カルロス・クライバー

2009-09-10 09:26:54 | 塾あれこれ
尾道の小学校から広島へ転校したのは小5でした。
千田小学校。
驚いたのは音楽教室があったことです。

音楽の先生は服部先生、女性の方でした。
怒ると怖いというウワサでしたが。

意欲的な音楽教育をされていたと思います。
いや、尾道の土堂小が田舎だったのかもしれません。
とにかくカルチャーショックでした。

音楽鑑賞の時間が聞くだけでよいから好きでしたね。
大きなスピーカーで聞くクラシックはほぼ初めての
経験で、うっとりとしました。

ビゼーのアルルの女を聞いてそのイメージを色と線で
現しなさい、なんて授業もありましたね。


ステレオなどの音の良い機器が家庭に入るのはまだ
ずいぶん先のことです。

近所に社会党の国会議員が住んでおられました。
三男が私と中学から同級生、ときおり彼の家に
遊びに伺うこともありました。

初めに驚いたのは一室だけとはいえ冷房があったこと。
今から思えばご夫婦共マルマルとしておられたので
必需品だったのかもしれません。

中2の頃だったか彼の家がステレオを買いました。
三男はさっそく友達に自慢。
見せてもらいましたがレコードを掛けたかどうか。

そんな時代ですから千田小での音楽体験は私の
クラシックへの興味を発掘してくれました。

家でベートーベンの運命を「ダ、ダ、ダ、ダ~ン」
なんて言ってると親父が、そのあとは?

もごもごと引き下がる私でした。

ま、ともあれ三橋美智也のような世界のほかに
何だか広い世界があると分かったのでした。

土堂と千田の差が大きすぎて、音符も読めない
楽器もひけない人間ができましたが、
音楽を好きになれただけでも有難い教育でしたね。


中学では初めてドボルザークの『新世界』を聞き
ました。
バーンステイン、ニューヨークフィル。

たしかバーンスインじゃなくて~テインだったような。

ともかく良かった。
その同じ演奏を先ごろNHKが放送しました。
懐かしかったですね。
教室の様子まで思い出しました。


少しずつ指揮者も知識に入りましたが
指揮というものはフリッツ・ライナーとかカラヤン
そしてムラビンスキーのようなこわ~い顔をした
マエストロの仕事と思い込んでいました。

あるときカルロス・クライバーの映像でビックリ。

「なんて楽しそうに振ってるんだ。」

もちろん音楽もすごい。
それ以来ぞっこんです。


いや、舞台にキャンセルが多いとか難しい人とは
思いますよ。
でもあの指揮振りには誰も敵わないのでは?

彦麻呂(クラシックのスマイリー・オハラじゃ)