石光真清

2009-09-08 15:02:37 | 本の話
石光真清。
明治元年生~昭和十七年歿

日露戦争のころ日本からシベリアや中国に潜入
スパイとして活動、数奇な運命は人を驚かせます。

石光さんがその人生を手記に残し、子息が整理
出版されたものです。
予め本を考えたものではなく、手記に後から
ご子息が手を加えているということで文として
の弱さがあるのではないでしょうか。

昭和33年龍星閣から上梓、『城下の人』以下4部作
です。
私が購入したのは第6刷、昭和46年となっています。
毎日出版文化賞と帯にありますね。
河盛好蔵、木下順二、中村光夫、臼井吉見、田宮虎彦と
そうそうたるメンバーが推しておられます。
当時はたいへん評判でした。
(写真は箱の背です)

定価が750円、4部作で3000円はしんどい
思いがしました。
大卒の初任給が5万円くらいでしたから。
それでも4部買ったということは面白かったから。

知らない世界を鮮やかな記憶で細やかに再現してあり
興味はつきませんでした。

ところが後年、中公文庫化され、損をしたような
気分になったのは貧乏性からでしょう。
「文庫になるのなら、待っておくべきだったか」


4部作め『誰のために』の中公文庫解説が森銑三さん。

それを『明治人物閑話』(また登場です)に載せてあり
本の途中で石光さんに出会って、懐かしい思いです。

『明治~』の中でも石光さんの章の文体は他と違って
います。
当然とはいえ、初出の媒体により文体を変える姿勢は
最近のモノカキに教えたいものですね。


若い頃、4部作を読み終えて父に読ませようと
思い立ち、父の元へ小包で送りました。

ずっと激しい喧嘩をしていましたが、社会人となり
東京と広島とに離れて、仲直りを模索していたのかも
しれません。

あるいは単純にシベリアの話が出てくるから親父なりの
読み方もあろう、と考えたのかもしれません。

父親のシベリア体験の厳しさを考えていなかった息子
でもあります。


半年後帰省すると、読んでいました。

口もろくにきかない仲でしたが
「お、これ返しとく。
 文章は下手じゃなあ」

文章が下手とは思っていなかったし、そんなことしか
言わないのかとムっとしましたね。

今、思うと照れがあったのでしょう。
シベリアのことを思い出したくないのもあったはず。

素直に、面白かった、とかそんな発言ができない世代
だったのですね。


久しぶりに本棚の奥から『城下の人』を出しました。

「神風連の騒動が動機となって熊本城下の様子はがらりと
 変わった。」

うむ、たしかにそれほど上手じゃありません。

(ほれみい、ワシがゆーたろーが)


その年の夏を越しかねて9月、父は亡くなりました。
57でした。(私25)

入院につきそった(別居中の)母を見て、父の子供と
勘違いする人がおられたほど父は老衰に近い容貌だった
ようです。

子供の小遣いまで酒代に代えるような父でしたし
悲しくはありませんでしたね。


後年、知り合いが彼の父親と一緒に飲む姿に
一気に涙が出たことがあります。

酒でボロボロになっていたとはいえ
一度一緒に酒を飲んでいれば良かった。

墓に酒を供えても仕方ありませんからねえ。