桶狭間も長篠も

2009-09-24 11:32:32 | 本の話
織田信長。
軍事や政治の天才。....かな?と

桶狭間の迂回奇襲作戦や長篠の鉄砲三千挺三段撃ちは
史実に反する、どこにもそんな記録はない、という
ことを書かれた本があります。

我々が教科書などで学んだのと、どちらが本当か
興味がある方はご一読を。

藤本正行著『信長の戦争』講談社学術文庫

織田信長のどこが優れていたか、
どういう欠点があったか、が分りますし
後世の日本軍にまでつながる問題でもあったことに
改めて深刻な思いを抱きます。


織田信長に近く仕えた太田牛一という人が書き残した
『信長公記』を大元にすえた研究です。

この本そのものの資料としての扱いにくさを語り
長所も示した上での記述ですから信用度が高い。

世間に良く知られる「天才織田信長」のあれこれは
江戸時代になっての物語であると指摘します。
物語りとは小瀬甫庵の『信長記』などです。

この説明は説得力がありますね。

明治になって日本軍の大本営が編纂した『日本戦史』が
十分なテキストクリティークをしないで江戸時代の
物語を採用しちゃったものだから、のちの学者も
それを孫引きして(常識)が出来上がっちゃった。

軍事のプロがまとめたものですから信用しますよね。

織田信長は幸運にも篠つく雨のお蔭で今川軍のすぐ傍を
気づかれずに通り抜け今川本隊を急襲できたとか
長篠の合戦で千挺ずつの一斉射撃を三段構えで連射を
繰り返し武田勝頼を大敗させた、とか。
ホントウ?

言われてみればかなり不自然な(歴史)なのです。

いや長篠は鉄砲で勝敗は決まっているのですよ、
千挺ずつ三段での一斉射撃がありうるか
そういう記録が残っているか、なのです。

信長のすごさはそういう奇を衒うものとは違い
現代に通じる合理的なところにあるようです。


『信長公記』をどれほど信頼するか、の問題はあります。
学者によれば意見がいろいろありそう。

それより著者が有名大学の先生でないためなかなか世間が
耳を傾けないということもありそうです。

東北の旧石器遺跡を捏造したFS氏は学会をリードして
いました。
それであんな手口が可能になったのです。
いったんそうなるとオオウソに学者でも引っかかる
~ちゅーか、惰性なんですね。

それが逆に働けば、たとえおかしくても(常識)は
なかなか変わらないものです。
学者も群れて行動しますから。


大本営の『日本戦史』を学んだエリート参謀たちは
桶狭間の迂回急襲を強く意識していたようです。
特に日米戦では日本の物量が劣勢だったから
一発逆転を狙うのですね。
そうして大敗を繰り返してしまった。

辻正信のムチャクチャの数々などは典型例でしょう。
(ノモンハン、ポートモレスビー、ガダルカナル
 拉盂玉砕・・・)

その教科書たる「桶狭間の奇襲」が間違いであった=
根拠は江戸時代の物語でしかなかったとしたら
多くの兵士の死は浮かばれないでしょう。

(追記)
本年3/30に少し書きました井伏鱒二『徴用中のこと』
にも辻正信のことに触れた部分があります。
かなり危ない人柄が浮かんできますね。