土日はTVで美空ひばり特集を見ました。
中で1980年の番組、
以前に自分が歌った『りんご追分』を聞くシーンが
ありました。
1952年の若い歌声です。
その姿を見て涙が滲んでしまった。
私もトシですねえ。
彼女がプロとして若い自分の歌を聴いている、その
向こうにそっと「時」を感じている『加藤和枝』が
少しだけ覗き見えるのです。
◎
若い頃は美空ひばりは大嫌いでした。
個性が強すぎるように思っていましたね。
それに世間からの毀誉褒貶の激しさ。
戦後間もない頃の大人からは「教育上好ましくない」
という風に見られていたのではないでしょうか。
伝説となった今の美空ひばりからは当時の嫌われ方は
想像できないでしょう。
もちろん強烈なファンも沢山いらっしゃいました。
○
私の好悪がいつ変わったかはハッキリしません。
晩年十年間くらいでじわじわと変わりました。
特に昭和30年代前半までが好きです。
いいじゃないか、と変わり始めた頃、
「あれもひばり」と思い出した曲がありました。
『花笠道中』
さっき調べてみると昭和33年。
私は9歳でした。
今でこそリバイバルが数多く流れていますが
一時期は忘れ去られていた懐メロです。
何で思い出したのか、とある光景と共にふいに
浮かんできたのです。
○
私は一人で畳に座っていました。
叱られたわけでも、友達と喧嘩をしたわけでも
ありません。
窓からは柔らかな日差しが滲み美空ひばりの歌
だけが聞こえています。
私は世界でたった一人でした。
大人になってオオゲサに表現すると
存在の絶対的孤独、といえるもの。
年齢に似合わぬ幼い絵本を、読むでもなく
ぼんやりと広げていたような気もします。
じっと永遠を感じていました。
孤独に耐える、という言葉を知らなかったのが
幸いです。
知っていたら耐えられなかったでしょう。
♪これこれ石の地蔵さん
明るく開放的だけれども、同時にどこにも頼る
ことのできない浮遊感もありました。
私に悲壮感はありません。
明るくて、歌が流れて、いつまでも時が止まって
いました。
ただ、ただ、ひとりでした。
◎
大人になってそのころを思い出した句です。
『お留守番 鳥影過ぎし すり硝子』
『母恋し 光ひとつぶ冬の土間』
中で1980年の番組、
以前に自分が歌った『りんご追分』を聞くシーンが
ありました。
1952年の若い歌声です。
その姿を見て涙が滲んでしまった。
私もトシですねえ。
彼女がプロとして若い自分の歌を聴いている、その
向こうにそっと「時」を感じている『加藤和枝』が
少しだけ覗き見えるのです。
◎
若い頃は美空ひばりは大嫌いでした。
個性が強すぎるように思っていましたね。
それに世間からの毀誉褒貶の激しさ。
戦後間もない頃の大人からは「教育上好ましくない」
という風に見られていたのではないでしょうか。
伝説となった今の美空ひばりからは当時の嫌われ方は
想像できないでしょう。
もちろん強烈なファンも沢山いらっしゃいました。
○
私の好悪がいつ変わったかはハッキリしません。
晩年十年間くらいでじわじわと変わりました。
特に昭和30年代前半までが好きです。
いいじゃないか、と変わり始めた頃、
「あれもひばり」と思い出した曲がありました。
『花笠道中』
さっき調べてみると昭和33年。
私は9歳でした。
今でこそリバイバルが数多く流れていますが
一時期は忘れ去られていた懐メロです。
何で思い出したのか、とある光景と共にふいに
浮かんできたのです。
○
私は一人で畳に座っていました。
叱られたわけでも、友達と喧嘩をしたわけでも
ありません。
窓からは柔らかな日差しが滲み美空ひばりの歌
だけが聞こえています。
私は世界でたった一人でした。
大人になってオオゲサに表現すると
存在の絶対的孤独、といえるもの。
年齢に似合わぬ幼い絵本を、読むでもなく
ぼんやりと広げていたような気もします。
じっと永遠を感じていました。
孤独に耐える、という言葉を知らなかったのが
幸いです。
知っていたら耐えられなかったでしょう。
♪これこれ石の地蔵さん
明るく開放的だけれども、同時にどこにも頼る
ことのできない浮遊感もありました。
私に悲壮感はありません。
明るくて、歌が流れて、いつまでも時が止まって
いました。
ただ、ただ、ひとりでした。
◎
大人になってそのころを思い出した句です。
『お留守番 鳥影過ぎし すり硝子』
『母恋し 光ひとつぶ冬の土間』