好きではなかった美空ひばり。。

2007-06-26 10:26:38 | 塾あれこれ
土日はTVで美空ひばり特集を見ました。

中で1980年の番組、
以前に自分が歌った『りんご追分』を聞くシーンが
ありました。
1952年の若い歌声です。
その姿を見て涙が滲んでしまった。
私もトシですねえ。

彼女がプロとして若い自分の歌を聴いている、その
向こうにそっと「時」を感じている『加藤和枝』が
少しだけ覗き見えるのです。

若い頃は美空ひばりは大嫌いでした。
個性が強すぎるように思っていましたね。

それに世間からの毀誉褒貶の激しさ。
戦後間もない頃の大人からは「教育上好ましくない」
という風に見られていたのではないでしょうか。

伝説となった今の美空ひばりからは当時の嫌われ方は
想像できないでしょう。
もちろん強烈なファンも沢山いらっしゃいました。


私の好悪がいつ変わったかはハッキリしません。
晩年十年間くらいでじわじわと変わりました。
特に昭和30年代前半までが好きです。

いいじゃないか、と変わり始めた頃、
「あれもひばり」と思い出した曲がありました。

『花笠道中』
さっき調べてみると昭和33年。
私は9歳でした。

今でこそリバイバルが数多く流れていますが
一時期は忘れ去られていた懐メロです。
何で思い出したのか、とある光景と共にふいに
浮かんできたのです。


私は一人で畳に座っていました。
叱られたわけでも、友達と喧嘩をしたわけでも
ありません。

窓からは柔らかな日差しが滲み美空ひばりの歌
だけが聞こえています。

私は世界でたった一人でした。
大人になってオオゲサに表現すると
存在の絶対的孤独、といえるもの。

年齢に似合わぬ幼い絵本を、読むでもなく
ぼんやりと広げていたような気もします。

じっと永遠を感じていました。

孤独に耐える、という言葉を知らなかったのが
幸いです。
知っていたら耐えられなかったでしょう。

♪これこれ石の地蔵さん

明るく開放的だけれども、同時にどこにも頼る
ことのできない浮遊感もありました。

私に悲壮感はありません。
明るくて、歌が流れて、いつまでも時が止まって
いました。

ただ、ただ、ひとりでした。


大人になってそのころを思い出した句です。

『お留守番 鳥影過ぎし すり硝子』

『母恋し 光ひとつぶ冬の土間』