アーカイブスで見た佃島

2007-06-06 14:43:39 | 塾あれこれ

日曜の夜は眠くて途中からTVのNHKアーカイブス
を見ました。
昭和37年の佃島は私が当時住んでいた広島市内より
田舎の風情が残っていました。
好い町だったようです。
こんなところで育つと人も違うでしょうね。

団塊の世代の子供達を捉えたドキュメンタリーです。

戦後、社会環境は激変し(オリンピック前ですが)
親は多忙で子供の世話まで手が回らず「かぎっ子」が
増え、教育力は低下、子供の健全な成長を危ぶむ声も
強くなっていた時代です。

この状況は現在と大きな違いがありませんね。

社会の様子は物質的なことを中心としてこの数十年で
大きく変わってしまいました。
教育については変わりがありません。
基本的課題が何も解決していないのです。

この間、教育に関する学問も進みました。
学問のみならず教育に対する考え方も進歩し、
現場も様々の努力を重ねて来たはずです。
さらに教育法やツールも大きく進歩をしています。

上記の番組が放送され40年以上も経ちます。
その間に文部省の学習指導要領は大きく3度も改訂
されました。

しかし、多くの人達の努力に関わらず解決の糸口も
見えないのが現状です。

社会の変化が速くて改善が追いつかないのかもしれ
ません。
学力などの定義の問題かもしれません。
ある意味では学力は落ちていないともいえます。

測定方法が確立していないのでそもそも比較の仕様
がないことかもしれません。

ただ実感としては、落ちている、もしくは改善されて
いないということも事実です。

もちろん実感というものは注意しないといけません。
少なくとも業界では新しい生徒を「力がない」と見る
癖がついている人間が多そうですし。

前の塾では10年20年をかけたデータを取っていま
した。すべて置いて来ましたが、はっきりと下降線が
出ていたのは間違いありません。
(履修範囲による調整はしてあります)
入試問題を解くという意味においては力は下降し続け
ていたことに間違いはないようです。

繰り返しますがこれだけを「学力」と言うものでは
ありません。
また学力だけを教育の問題とするものでもありません。

比較的、現状を語り易く、仕事柄私もナニゴトかは
語れそうなのでそこに中心を置いた話になります。


何十年たっても学力など改善が見られない、という
前提で、もう少し話を進めましょう。

色々、努力をしてきたが上手く行かず、それを踏まえ
た現在の再生会議の提言もあの程度の小手先です。

手詰まりになっていると言えそうですね。


スタートを間違えているのだと私は考えます。

「占領軍の謀略」を持ち出すわけではありません。
証明不能なものを持ち出して自説を述べることが
流行りのようですが親学ならぬコメンテーター学が
必要な時代ですね。

話がそれました。

スタートというのは、どう言う社会であるべきかの
コンセンサスができていないことをさします。

価値観が多様になる中で大変に難しい事ながら、時代
の気分に流されることなく次へ進むためには、どうし
ても必要なことです。
もちろん画一的な社会を作ることではありません。

私達は、伝統と縁が薄くなってしまった団塊やそれ
以後の世代にせよ日本文化の中で育ってきました。

先日来のワンパタンになりますが、日本の文化を
見なおし、悪い面は排除しつつも歴史の中に学び
解決法をさぐる、ここから始めたらどうか、と愚考
しているのです。

日々の仕事の中にそれを意識しておかねばなりません
し、また発信もし続けねばなりません。

人気のないブログで何かを言いつづけることは百年
河清を待つ愚者の行為かもしれません。

とはいえ、これくらいからでも始めないと世間様へ
ご恩返しができません。
光陰矢の如し。