親学ですと?

2007-06-02 10:22:26 | 塾あれこれ
報道を聞けば親学と言いたくもなるでしょう。
ズイブンなケースもあるそうです。

でもそれって一部の話でしょ?
マスメディアが煽っている面もありそうです。
私の身近ではそんな話はありませんから。

そうすると「親学」も急な話じゃないですかね。

更に、親がダメだから子供が伸びないと言うのであれ
ば、その親はいったい誰が育てたか?
親の親にこそ責任があるのではないか。

「待ってください。じゃ、またその親は・・・」

でも祖父学祖母学を提唱する声は聞きませんね。
さすがに強引だからでしょう。

つまり親学をすぐに持ち出す発想も怪しいのです。

居酒屋でオヤジが「近頃の親ときたら・・・
親学?ン必要だね、ったく。」ならば構いません。

国の教育再生を考える場で持ち出されるとは。

政治家が極端な話を流し「だから親学」という
トリックをしかけたのかもしれません。

あるいは会議の有識者のリテラシーが怪しいのか
簡単なマジックで騙せると見くびられているのか。

「有識者」のリテラシーが怪しいって形容矛盾!
だけどそうとしか言えないようです。


本当は、我々の世代も含めて文化の継承が不充分な
ことが問題なのです。

昨日、智恵は断片ではなく自分の体系に結びつくもの
と書きましたが、それは文化を同じくしているから
可能なことなのです。

もしも文化を共有していないならば、外国から知識を
機械的に輸入するのと同様のコマ切れになります。

文化継承が不充分だからきちんと教育できない、とい
う面があるのです。


最近の学校で違和感を覚えることがあります。

体育館の床に大勢の生徒を座らせている光景。
私はどうにも不愉快になります。
コンビニの前でべたっとしてる若者に見えるのです。

学校の先生方には違和感はないのでしょう。
それをやらせているのですから。
私にはとても嫌なものに見えます。
昔の人間ならそうではないでしょうか。

生徒に罪はありません。
先生方に日本の文化が浸透していないのです。

勉強とは生きる姿勢作りです。

たとえば人の話は聞くものではないか。

校長はご立派な話をザワザワしている前でする・・
それで子供が将来伸びます?

文化が基本。
強調したいですね。


ジャージーでスリッパちゃらちゃら、生徒とタメグチ
こんな先生を尊敬できますか?
私は中学生のころから一部の先生を尊敬していません
でした。
ものごとを教わるべき人間を尊敬できない、これは
不幸です。
(尤も、大人しいくせに生意気な私もよくない・・)


急いで付け加えないといけません。

塾をしている今の私は・・
とうてい尊敬に値するものではありません。
ウチのカミサンに訊いてみて下さい。

それでやむなく努力はしています。
生徒は誤魔化されていないようですけれど。