ポンの行方

2007-06-16 09:55:05 | 塾あれこれ

「海抜千五百尺の高寒なこの村にも、ポンの往来する
大道は幾筋か通っているとみえる。
どの山あいを越えるのか、途(みち)で遭ったという人も
聞かぬが、今まで一年として来なかった年もなく、
いつの間にかちゃんと来て小屋を掛け、つつましく煙を
あげている。
からやや離れた山の蔭の、樹林を隔てて水の静か
に流れる岸などが、この徒の好んで住む地点である。
あるいは往還から下手の日当たりに、子供まじりの
人声を聞くことがある。・・・」

柳田國男著『ポンの行方』書き出しの一節です。
昭和初期に発表されたものですが、どうです?
名文でしょう?

オオゲサな表現などは一切ありません。

ポンと呼ばれた人達がいた。その人達は・・・?
と引きこまれるじゃないですか。


上記の文は柳田國男が大正九年頃の旅行での聞取りを
エッセイにされたものです。

文春文庫・沖浦和光著『幻の漂白民・サンカ』から
柳田國男の著作を孫引きいたしました。

旧仮名だともっと気分が出るでしょう。

なお、改行は私が勝手に行なっています。


これが名文である理由の一つがリズムです。

漢文の素養を基にし、書き言葉の世界がきちんとして
いた時代には国語のリズムもしっかりしていました。
定型から多少離れても良い調子を保てるのです。

定型詩の世界も同様で、五七五などの世界が安定して
いるから、自由律が可能になります。

山頭火の後に著名な作家が続きませんけれども。
私が知らないだけかなあ?

自由律は難しいですよね。
作歌作句においては字余りですら難しいのです。
いわんや~をや、です。

千年以上前の歌人が字余りなどを自在に使っている
のを知ると感嘆しますね。

それに比べて現代ワカモノ作の字余りは下手です。
字数は余っているのだけれども「字余り」になって
いません。
字が余ったからそうなっている、というだけで歌に
なっていないのです。
難しいと言うこと自体が分からないレベルなのでしょう。

またヂイさんの「近頃の若者は」が始まりましたね。
今日はこの辺で。