アイマイ=最高

2007-06-07 10:30:35 | 塾あれこれ
日本語の曖昧な表現は否定的に捉えられてきました。


この数ヶ月、話が、体罰→信頼→効果測定→文化
という具合に大きな内容をずるずると続けています。

思うに、話を聞いてもらえないオジサンの独り言かも
しれません。
「昔は・・だった。いまの若いものは・・」

ならばツイデにフロシキをもっと広げてやろう、と
いうのが本日の「曖昧」です。


日本語の曖昧さは従来国際標準ではないと評判の
悪いものでした。
外国の人達に通じないという責任の半分はアチラに
あるのですが日本語表現ばかり問題にされました。

日本人の気配りですかね?

曖昧で分かりにくければ、外国の人に向かって
ハッキリと意思表示をすることで問題は終わりです。
外国語の勉強でも気をつければよろしい。
他文化との接触では、損得勘定からも「曖昧」は避け
ましょう。

ただそれだけのことで日本語の曖昧さを捨てる必要は
ないのです。
日本国内が外国レベルになることはありません。

けれども最近は曖昧表現に対応できない日本人が
増えてきました。
私は憎まれ口をたたいてます。
「あったま悪いんじゃねーの」

物を考えることをしないからあいまい表現に
ついていけないのです。

肯定的に使われる「ええ、まあ」
否定的に使われる「ええ、まあ」
(そしてその中間も)

これらを使い分けられるから日本語は豊かであり
聞き分けるから、心が働き、頭も回るのです。

それを捨ててしまえば外国人に勝てません。

何故なら彼らのような論理的思考を日本人は苦手
としており、また人と論争してもうまく収束できる
芸当を持たないからです。

国語教育でも論理的思考は恐ろしく脆弱ですね。


近年、モノを考えないで済むので曖昧表現が避けられ
ているようです。

国際化を目指しているのでしょうか?

曖昧にしない代りにモノゴトを断定的に言わないこと
で表現を和らげているようです。
こちらは責任転嫁を考えているのでしょうか。
「~とか。」
「思いますけど。」

曖昧を避けようとイイトコドリしてみたつもりが
まずいことことになってきました。
文化を軽んじたバチですね。
   ○
「この度はお世話になりまして」
「いえ、もうそのようなことは」
「あ、そうですか」
   ○
「このまえ検討すると言われてた件ですが。
 あ、そうすか。はっきり言ってくれればア」


さて「曖昧」をどう教えますかねえ。。。。