世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
先日、街を歩いていますと後ろから、「関根さーん!」と声をかけてくださった方がいました。名前を呼ばれるっていいもんですよね。えーっとそこのほら、隣の・・・、そうそうそう、そこのあなた、なんて呼ばれるより、名前を呼ばれると何となく嬉しいものです。
イエス・キリストがエリコという町に入られた時のことでした。イエス・キリストのもとに大勢の人たちが集まってきました。その中に、町の嫌われ者、取税人の頭であったザアカイという人がいました。彼もイエス様を見たかったんでしょうねえ。外に出ていきました。ま、彼の名前、ザアカイという人の名前は、「清い」という意味が込められた名前なんですね。でも実際は、名前は「清い」という意味でも、彼のやっている事は汚いことばかりでした。不正を働いていた訳です。まあみんながザアカイの名を呼ぶ時は、皮肉を込めてザアカイの名を呼んだことでしょう。そんなザアカイも、イエス様を一目見ようと出ていきましたが、すでに人垣が出来ていてちっとも見えないんです。すると彼はすぐ近くの木の上に登り、イエス様を高見の見物とやらで見ていたんです。するとどうでしょう。イエス様はその木の下に立ち止まり、突然、「ザアカイ。降りて来なさい。」と言われるんです。(一体どうして自分の名前を知っているんだろう。) 不思議だったに違いありません。そしてそのイエス様が呼ばれたザアカイという響きは決して皮肉混じりな軽蔑を込めた言い方ではありませんでした。イエス様は続けて、「今日わたしはあなたの家に泊まることにしている。」と言われたんです。ザアカイは決して長い説教を聞いた訳ではありません。ザアカイにとって親しく名を呼ばれたその事だけで、彼の心は溶かされていきました。それからザアカイの人生は変わりました。不正の人生ではなく、名前の通りの人生へと変えられていったんですねえ。
聖書のことばの中にこんなことばがあります。「恐れるな。わたしがあなたを贖(あがな)ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。」そしてまた別の所には、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」イザヤ書49章です。あなたの名前を親しく呼んでくださる神様がいてくださると聖書は言います。決してあなたを忘れることのない方がいてくださいます。ザアカイは親しく自分の名を呼び、家に来てくださったイエス様に接し、人生が変わりました。今日も同じです。あなたの名を呼び続けるキリストの声は、今日も響いているんですよ。
( PBA制作「世の光」2005.4.26放送でのお話しより )
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