世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
えー、今日は成人の日なんですねえ。聖書の中にこういうことばがありますけれども、「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」 (1コリント 13章11節)というまあ、こういうことばですねえ。えー、子どもだった時と大人になった時とは違うはずだということな訳ですけれども。
どういうことが成人ということなのかなあという・・・。成人するとたばこも吸える、酒も飲める、成人映画も見れるとか、そんなようなことではないはずだと思うんですけれども、最近は良くその歳はもうとっくに成人を過ぎているんですけれども、いつまでも大人になれない人が増えているというような言い方がされることがありますよねえ。で、何とかチルドレンというのもありますけれども、いつまでもチルドレンという所から子どもという所から抜けきれない。で、子どもというのはやっぱり親に頼って、つまり依存して生きているという言い方だろうと思いますね、一つはね。ですから大人になるってことは一つのこうけじめをつけて今まで依存しているものから自立していくという一つのけじめをつける時というふうに言うことができるんではないかなあと思いますよね。
えー、なかなかこの依存といってもですね、大人になってもその子離れできないとか、親離れ出来ない、孫離れ出来ないとかいうことがあったり、何とか依存症というのがあったりですね、本当に自分自身をきちんと生きることができない生き方というのはやっぱりそれは子どもということなんだろうなあというふうに思わされる訳ですねえ。
私たちは本当にその依存すべきお方にきちんと依存していないと、そうでないのに頼りたがると言いましょうか、自立できないということがあるのではないかと思うんですね。
私たちは神様によって生かされている。私たちの信頼すべきお方は、この目には見えませんけれども確かに生きておられる信頼に足るお方、このお方に信頼し、このお方に依存して生きるということがきちんとしていたら、つまらない事柄にですねえ私たちは依存しないで、まさに自立して生きることができる。そしてそれはただ自分が生きるだけではなくって、他者のために自分自身の与えられた人生を生かしていく生き方へと変えられていく、それが大人の生き方なのかなあというふうに思わされておりますが、いかがでしょうか。
( PBA制作「世の光」2008.1.14放送でのお話しより)
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