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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人生を覆う影 - 罪責感 / 関根弘興

2025年05月15日 | Weblog

2025/2/6放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 今、多くの人の心を覆い、人生をつまらないものだと思わせてしまう、まるで人生を覆う影のような、または雲のようなものが幾つかあると思います。

 その一つは自分に対する無価値感。二つ目は孤独感、そして三つ目は虚無感・虚(むな)しさ。そんなお話をこれまでしてきました。

 それでは四つ目は何でしょう。それは罪責感なんですねえ。
 聖書にはこう記されています。新約聖書 第一ヨハネの手紙 1章8節 
  
 「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。」

 このヨハネの手紙が書かれた時代は、罪なんてことを話題にすること自体、まぁ程度の低い証拠だという風潮があったようでした。ある人は「私は罪などまったくない」、または「自分には罪の責任などない!」と言い張る人がいたようでした。それは今でも似ているかもしれませんね。

 私は牧師としていろんな所でお話をしますが、罪ということについて話をすると、いろんな反応が返ってきます。
 「関根先生、違いますよぅ。これはねぇ環境のせいなんですよ。親のせいなんですよ。学校のせいなんですよ。」と、いつの間にか責任を他に押し付けてしまい、自分の正直な姿を認めようとしないことがあります。まあ自分には罪はない、と言いたいわけですよね。
 またある人は、「罪なんて自分に何の影響ももたらしませんよ。何の害も受けないし、たとえ私が何か間違いを犯したとしても、私が全部責任を取ればいいでしょぅ? 罪なんて関係ないですよぅ」 そう言われる方もいるでしょう。

 ヨハネは、こういう人生は自分を欺いている人生なんだ、とばっさりと言ったわけです。

 人は何をどう言おうが、心の中を覗いたら罪責感があるものです。「あんなことをしなければ良かった。あんなことを言わなければ良かった」・・・ たくさんの後悔が罪責感となっていることがあります。

 聖書は、罪ということの基本的な意味は「的外れ」「ずれ」という状態なのだと教えています。ですから聖書が教える罪人というのは犯罪を犯しているという意味ではありません。神様とあなたとの関係がずれてしまっているんですよ、そしてそのズレが私たちの生活に黒雲をもたらしているんですよ、とそう教えるのです。

 ですから、罪の解決は人生の救いに繋がっていくわけです。
 イエス・キリストは救い主として来てくださいました。それは、その罪の問題の解決のために来てくださったのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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