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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■血筋とは一切関係がない / 福井 誠

2025年02月25日 | Weblog

2024/10/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。昨日からマタイの福音書を読み進めています。今日は、「血筋とは一切関係がない」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書3章9節をお読みします。 

 「あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです」   

 「われわれの父はアブラハムだ」ということばは当時のユダヤ人にはよく使われたことばです。それは一種自慢めいた言い方で、自分たちが神に愛されたアブラハムの子孫であること、つまり神の特別な加護の下にある民族の一員だ、と主張するような言い方でした。

 しかし、預言者のバプテスマのヨハネは、それは考え違いだ、と言うのです。神は、アブラハムなどとは全く関係のない 人間でもない「これらの石ころからでも」アブラハムの子孫と呼ぶような者を起こすことができる。つまりアブラハムと同じように、神に愛される信仰者になることは血筋とは一切関係のない事だ、と言うのです。

 確かに信仰を持つことは個人的な経験です。熱心な信仰の両親のもとに生まれたからその子も信仰者である、あるいは先祖代々キリスト教を信じてきた家柄にあるから自動的に信仰者となることはありません。
 たとえそのような両親や家系に生まれたとしても、人は個人的に神と向かい合って神の前に罪を悔い改めて、イエスの十字架にある罪の赦しに対する信仰を告白して信仰者となっていくのです。

 またさらに言えば、日々誰かの信仰にあやかって信仰を続けることもありません。自立的に神を呼び求め、心を通わす時を持ち、神のことばに生きていく。そのような主体的な信仰によってこそ、アブラハムの子孫、神に愛される信仰者になれるのです。

 神は私たちに個別に関わり、個別に祝福してくださる方であることを覚えましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.15放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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