世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「もうだめだということはない」です。
それでは聖書の中のヨハネの福音書11章25節から読んでみましょう。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
エルサレムから三キロほど離れた所にベタニヤという町がありました。 そこにはイエスが必ず訪れ疲れを癒すラザロという人の家がありました。 ラザロはマリヤとマルタという姉妹と三人で平和に暮らしていたのですが、ある日病気になって死んでしまうのです。
悲しむマルタとマリヤのもとをイエスが訪れたのは、もうラザロが死んで四日目のことでした。
マルタはイエスの顔を見ると、「もしイエスがここにいてくださったなら、兄弟のラザロは死ななかったでしょうに」と泣きだしてしまう始末です。 妹のマリヤも同じように兄弟ラザロの死を悲しんでいました。
そんなマルタとマリヤに語られたのが今日読んだ聖書の箇所です。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
死んだあとに天国でよみがえる、そういう希望についてならマルタも十分理解していました。 しかしそうではなく、この時イエスは死人のラザロをみんなの目の前でよみがえらせたのです。
この出来事をどう受けとめたらよいものでしょう。 理性ではとっても受けとめられない出来事ですねえ。 しかしイエスは言っています。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、・・・・」(ヨハネ 11章40節)
この世には信じられない神のわざがあるという訳ですねえ。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ 1章37節)と聖書は言っていますが、本当にそのことを信じていくことが信仰なのです。
ですから信仰者に「もうだめだ」ということはありません。 神にとってもうだめだということはないからです。 「信じるなら、あなたは神の栄光を見る」 そんな人生の可能性があります。
自分の人生には望みがない、そのように思っている人はいませんか。 ぜひ聖書を手にとって読んでいただきたいと思います。
(PBA制作「世の光」2009.2.26放送でのお話しより)
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