♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし 29 / 大嶋重徳

2017年10月26日 | Weblog
2017/9/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは、人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じていて、神様には名前があり、私たちはその神様の名前を呼ぶふさわしい呼び方があるのだと教えています。

 実は聖書で名前を呼ぶというのは重要な意味があります。世界が創造された時、神様は人間に動物たちの名をつけると言う事を任されました。アダムは動物たちに、「君はキリン、君は猫。」と名前をつけたのです。親が子どもに名をつけるように、名をつけるとはそのいのちを愛し、成長を見守る役割があります。人間は世界に満ち溢れる生き物のいのちを管理する使命があったのです。

 しかし人は神様の前に罪を犯し、その管理する使命と責任を見失ってしまいました。見失うだけではなく、神のようにこの世界を支配するようになったのです。しかしそのような私たち人間の前に、神様は今一度出て来てくださって、私たちの名前を今日も呼んで、私たちを神様に託されている使命と責任の中に生きるようにと招いていてくださっているのです。

 旧約聖書では、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と、神様がご自分のことを自己紹介される箇所があります。世界を造られた神様の名前のそばに私たちの名前があることを恥ずかしいなど思われない神様です。むしろこの神の名の隣に私たちの名があることを喜んでくださる。「大嶋重徳の神」と私の名前を入れることも許してくださる神なのです。あなたのことをどこに出しても恥ずかしくない我が子だと世界中にご自分のことを明らかにしながら、私たちの名を紹介してくださるのです。それゆえ私はふさわしい生き方をして行きたいと願うようになるのです。神様に託された、名を付けるという仕事をきちんと果たしていきたいと思うのです。

 だからこそ私たちは毎週の礼拝において神様と出会うことをやめてはいけません。礼拝に出る事をやめる時、私たちはふさわしい神の名の呼び方を忘れて、自分勝手な生き方をしてしまいます。礼拝において賛美をし、祈りを捧げ、神様のことばを聞くときに、神の名を知るという偉大な賜物を神様から与えられた事と神様から名を付けるという世界を委ねられた強い自覚を私たちは与えられるのです。私たちは礼拝から神の名を名乗る民として出発するのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.9.21放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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