2020/1/17放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様は地上の生涯の最後の一週間をエルサレムで過ごされました。イエス様のもとに当時のユダヤ教の一派であったサドカイ人たちが神学論争を仕掛けにやってきました。サドカイ人たちは復活とか死後のいのちを否定していた人たちでした。サドカイ人は、旧約聖書のモーセの五書にはどこにも復活のことなど教えていないのだから復活などは無い、と主張してきたのです(参照 マタイの福音書22章23節、マルコの福音書12章18節 )。
そこでイエス様は、モーセの五書の中の出エジプト記3章の6節を引用してこう言われました。 「死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(マタイの福音書22章31-32節、参照マルコの福音書12章26-27節 )
この引用は、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時、神様が彼らをエジプトから脱出させるためにモーセを選ばれた時のことでした。モーセが80歳の時、荒野で羊の群れを追ってシナイ山まで来た時、なんと燃えている柴を見つけたのです。その柴がいつまでも燃え尽きないので不思議に思って近づいていくと、その燃える柴の中から神様がお語りになりました。「わたしはあなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。・・・モーセよ、あなたはエジプトに行って、苦しんでいるわたしの民を約束の地に導き出しなさい。」 神様はモーセにそうお命じになったんです(参照 出エジプト記3章6-10節 )。
その時、モーセは神様に、「もし私がエジプトに行ってあなたのご命令を話せば彼らは私を遣わされたあなたのお名前を尋ねることでしょう。そしたら私は何と答えればいいのでしょうか?」と問いただしたのです。神様は「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エジプト記3章13、14節 )と語られたんですねえ。この「わたしはある」ということの意味は、「わたしはいつでも存在する永遠の存在者だ。何かをなそうと思ったらなすことができるし、何かを起こそうと思ったら起こすこともできる存在なのだ」と、神様は永遠の存在者であるとはっきりと語られたんです。
イエス様は、「復活などはない」と言っていたサドカイ人たちに、「いや、聖書にははっきりと神様は永遠に存在するお方であり、永遠のいのちを与えることのできる方である」と告げられたんですね。だからいのちを与えることのできる神様を信じ歩んで行くのです。
(PBA制作「世の光」2020.1.17放送でのお話しより)
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