2025/3/26放送
「世の光」の時間です。愛知県安城市にある安城中央キリスト教会の牧師、山下 亮です。
様々な区切りや節目を迎えることの多い3月末の時期となりました。そのような中で、あなたはこの春、何らかの役割を終えて手放していくという経験をされるでしょうか。あるいは役割を終えるということにおいて、どのようなことが印象に残っているでしょうか。
私にとって印象に残っていることの一つは、6年10ヶ月勤めた会社を自主退職したときのことです。キリスト教会の牧師として働くことを志して牧師を養成するための教育機関で研修を受けることにしたのです。退職した直後の月曜日に、何とも言えない脱力感を経験しました。幸いにも直ぐに立ち直ったのですが、心のどこかで「労働をして何かしらの貢献をしていることが自分自身の存在意義のすべて」のように錯覚していたのでしょう。
あなたも、何らかの役割や貢献が自らの存在意義のすべてとなっていることはないでしょうか。もしそうであるならば、やがてそれらすべてを手放すときに、あなたはどのように自らの存在意義を見出していくのでしょうか。
聖書の中には次のような神様のことばが記されています。
「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」
これは聖書のイザヤ書46章4節に記されていることばです。神様は私たちの存在意義を役割や貢献によって判断されるお方ではありません。たとえ年を重ねて、かつて出来ていたことが出来なくなっていったとしても、神様は私たちを背負って救い出してくださるのです。
もしあなたがこれまで担っていた役割を手放すことで自らの存在意義を見失い、空しさを経験するようなことがあるならば、ぜひこの聖書のことばを思い出してください。
今日も神様はあなたが存在しているそのことを喜んでくださっています。あなたを背負って救い出してくださる神様の招きに応えて、神様と共に歩むことができますようにお祈りしています。
( PBA制作「世の光」 2025.3.26放送でのお話しより )
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