花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

湊かなえ著「告白」

2008年12月12日 | おいらの商店街
          
このところ商店街の役をさせていただいていると、腹の立つことが多い。
昔からそうだけれど、自分の状況が良くないと自分以下のものを作ることにより安心しようとする。自ずとそんな人がいると軽蔑したくなる。
この小説にも他人を軽蔑して、はけ口を殺人に向かわせる人物が登場する。もう一人、自分を正当化することで天誅を下す人物も登場する。
恨みと侮蔑とエゴ。それらが渦巻き救いようのない結末を迎える。
で、あるにもかかわらず、一気に読ませるおもしろさがある。というのも、真実がどこにあるのか知りたいからだろうか。
それぞれの人物が告白文の形で、ある事件をめぐり自分の立場で語る。各人の思いや苦悩が書かれている。読みすすむうち、各々の言い分に変に納得させられていくのが怖い。
せめてもの救いは、殺された愛美の父親だろうか。怒り心頭に達することがあっても、犯人を裁いてはいけない。それは悲劇の連鎖につながるだけだ。
人が人を裁く難しさを感じさせられた。
この結末にもかかわらず、作者は私たちにその後の顛末を放り投げられる。放り投げられて佇んでしまう。
このままでいいのか?このままで良いんですかと問いかけられる。
けれど、愚かな奴に天誅を下したい。しかし、制裁を加えたとしても相手は自分が悪かったなどと感じてくれるでしょうか?
「心の弱いものがさらに自分より弱いものを傷つける。傷つけられたものは、耐えるか死を選ぶしかないのか。そんなことはない。君たちが生きている世の中は、そんなに狭い世界じゃないんだ。今いる場所で生きいていくことが苦しいのなら、別の場所に避難してもいいんじゃないかと俺は思う。安全な場所に逃げることは恥ずかしいことじゃない。広い世界には必ず、自分を受け入れてくれる場所があると信じてほしい」(文中より)
今日、車を運転していて、こどもが道を渡ろうとしていた。
車を止めると「ありがとう」と大きな声で横断して行った。なんだかほっとした。
別に他の場所へ非難する必要はない。人々はお互いを信じあって懸命に生きている。そこへ目を向けるべきだろう。もっと広い世界へ目を向けるべきだろう。ニャ!

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1 コメント

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メール (yana)
2008-12-12 17:58:34
パソコンを変えたらメールアドレスがわからなくなってしまいました。
メールを一度送ってください。
よろしく。
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