花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市で空前絶後!

2023年10月22日 | レモン色の町

国産振興四日市大博覧会は、昭和11年3月25日から5月13日までの50日刊にわたり開催され、入場者数が124万人あったという(当時の市の人口6万人)。今なら660万人の来場者で埋まることになる!これは空前絶後であります。この博覧会は時の市長である吉田勝太郎が強力に推し進め、予算は市の一般会計に匹敵する70萬円を計上、空前の大博覧会となった。

駅前に建てられた歓迎門

会場では、「四日市小唄」「桜音頭」「躍進四日市」などの歌謡曲が一日中が流され、夕刻になると市内の諏訪公園では広報隊による宣伝のための踊りが披露されたという。

会場西の航空写真 昭和初期(舘様蔵)博覧会会場は下の部分になる

国産振興の名の通り、国内からは14万点の工芸品や農林水産品が出品され、輸出奨励品として審査された。また、具体的成果として、万古焼の陶土が朝鮮にあることが分かり、交易のきっかけとなっている。そして後日、市内の企業や出展者、旅館組合などから四日市市へ多数の感謝の言葉が届けられている。

会場空撮 写された四日市より

この博覧会の趣旨について吉田市長は、四日市港の国内外への宣伝と、新しく出来た港湾への工場誘致が大きな目的であって、巨額を投じて港整備に関わった国と県への感謝を述べている。

左に千歳橋と会場入り口 仏教館が望める

立憲民政党系であった吉田勝太郎市長は、この博覧会における不正会計の疑いから不信任を出されていたが、博覧会の大成功と後日の産業振興に功績があったとして、任期満了にあたっては再任が全員一位で採択され、昭和34年には名誉市長に推薦された。ウィキペディアを参考にさせていただきました。陳謝!

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5 コメント

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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2023-10-22 16:43:31
この昭和11年の博覧会のダイ成功は、昭和27年の博覧会開催動機の大きな要因の一つでしょうね。昭和27年の博覧会開催のそもそもが知りたくなりました。
私が諏訪の四日市幼稚園に入った年でした。
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Unknown (タケオです)
2023-10-22 20:39:27
了解しました 下総人さんのお宅へ ご婦人方が トイレを借りに来たことも
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Unknown (ボケ老人の下総人)
2023-10-23 16:56:53
博覧会のばっちいトイレを使いたくない二人のの女性。うちのトイレを借りに来た。
よく憶えておられますね。
あの錦町(現三栄町)の日本板硝子の社宅跡、最近訪れていませんが、いまもどこぞの駐車場になっているのでしょうかね。
昭和26年初夏から昭和30年始めまで過ごした場所です。
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Unknown (タケオです)
2023-10-23 20:39:53
そうです 駐車場になっています
法務局の前 裁判所の西でしたね よく通っています
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博覧会会場の海側に石炭荷揚げ用のクレーンが (阿智胡地亭辛好)
2023-10-26 16:02:42
かすかに見えるのを発見しました。ありがとうございます。戦前のある日あのクレーンから500Mほど離れた千歳町の工場社宅で私は生まれました。24時間石炭を燃やす窯でガラスは作られます。工場全体が一年24時間操業でしたから技術職の父はメンテナンス要員でもあり社宅は工場にひっついていました。四日市は昭和23年に一度出てまた昭和30年から33年までこんどは蔵町に住みました。当時あの水平引き込み式クレーン(LLC)を製造納入した会社に将来自分が勤めることになるとは思いもしませんでした(笑)。
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