花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市の中世城館④茂福城址

2022年03月15日 | レモン色の町

茂福城は、沖積地の微高地上に築かれ、東海道筋に位置し、現在は宅地、畑、水田となっており、その一部が市の史跡に指定されている。道路で囲まれた約14(訂正・140×135)×135メートルの範囲に土塁と壕が推定でき、地割がくずれた部分に虎口を想定できるかもしれない。昭和52年富田山城線道路改良工事に伴い発掘調査が行われ、壕の一部と考えられる遺構と、戦国時代の土師器、木槌、下駄、漆器椀などが出土した。(四日市市史研究 第四集 駒田利治著)

伊勢 茂福城-城郭放浪記 (pei.jp)

昔、通学で、電車の窓から眺めておりました。ボーっと

永禄10年(1567)茂福掃部助盈豊は織田信長に降ったが、六角義賢に通じたため、滝川一益に長島城へ誘い出されて謀殺され、茂福城には山口次郎四郎を目代として置いたという。

茂福城 - Wikipedia


最新の画像もっと見る

コメントを投稿