“四日市の今昔”樹林舎刊より
門脇さんが撮られたこの写真が どこからカメラを構えたのか 分からない?当初 左の親子の子供は自分だと思っていたが 昭和30年代だと 自分はもう少し大きくなっている 父親も眼鏡をかけているようだが、親父は老眼鏡しか使わなかった。そして、足元の影をみると 昼過ぎで南方向からではないかと思った。両端に見える“スワ劇場”の看板は 映画館に近いからか?自分がこの道を歩くことは無かった・・・
そして何より気になるのは プラットホームの屋根の形と位置だ
“内部・八王子線のりば”とホームの庇に描かれているが 形は同じでも文字がないところから 逆方向と推理した
八王子線の電車が停車しているが 線路は諏訪駅の裏に敷かれている のか?ナ・・・
焼け跡を空から見る
人々は 諏訪駅裏を川村鉄工所へ向かって渡っているようだ
<追記>諏訪駅裏を 大勢の人が歩いているが、これは 八王子線の電車が通り過ぎ 待っていた人が一斉に線路を渡りだしたところだと思う だから大勢の人ごみが出来たのだ
諏訪駅が取り壊された跡地(辻さんの写真)で北から南向き パチンコ屋の前を右方向へ道が通っていた
西向きの写真(辻さん撮影)ここを八王子線が通り それに沿って道があった それにしても狭い。
結論 この辺りから北方向に撮られたと考える 暇だったので 今日も1日写真とにらめっこをしていた
構内を自由に行き来できる踏切があったとすれば、初めの写真は納得できます。構内に3ッつの踏切があったのは、たいじゅさんに教えていただき知りました。問題は、一番西の踏切です。どう繋がっていたのか?昔の人に聞いてみます。
ありがとうございました。
2枚目に掲載の諏訪駅構内の写真、画面中央に学生らしき人が渡っている手前の通路も含め合計3本の連絡通路?らしきものが写っています。現代の常識で考えると、これらの通路はそれぞれの乗り場に行き来するための駅内連絡通路だと考えますが、別アングルからの他の諏訪駅写真と照合するとどうも乗客の駅内連絡通路のみでなく一般市民が線路を横断するための「踏切」的要素もあったように見受けられる(つまり誰でも駅ホーム内に進入する事が出来る)のですが、当時を知るタケオ様に実際のところはどうだったのかご意見をお伺いしたくコメントさせて頂きました。・・・もし本当にこれだけフリーに駅内に入れるのであれば改札はほぼ無意味ですね(笑)大らかな時代だからこそ、ということなのでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。
※追記・「四日市60周年…」という冊子は多分無いかと思います(未確認ですが)。ネット検索して頂ければヒットするかと思います。説明不足で申し訳ありませんでした。たいじゅ
それと「四日市駅移設60周年」の本ですが、図書館にあるか?明日 調べに伺います。ありがとうございました。
あくまで私見ですが、諏訪駅南口駅舎付近は八王子内部線の急激な軌道曲線部に位置しており、南口駅舎の東側(?)方面に延びる通路?屋根のようなものとの位置関係から、3枚目の写真に写り込んでいるツートンカラーの車両は(2枚目の写真のように)八王子線4番乗り場に止まっている付随客車だと私は推測します。・・・ちなみに付随客車だという理由は、雨天にもかかわらず車両前面にあたる部分の車両窓が開けられているっぽい(上下の窓の色が違う)ことから冷房機能のない時代のための換気のため(季節は梅雨時期か)ではないか、また同様の理由で走行中雨が入り込むため運転席側の車両ではないだろうという推測(あくまで推測です)からです。
なお、証拠写真等がないので断定はできませんが、2枚目の写真、八王子内部線と湯の山線が合流する2本並ぶ狭軌軌道はその後さらに駅の東側で1本に合流して2代目諏訪駅があった付近まで延び、八王子内部・湯の山線共通の避退線(及び機回し線)用線路として使用していたと推測されます(あくまで推測)。「四日市駅移設60周年」という写真集のサイトから昭和31年9月23日撮影の諏訪駅東側の画像を部分的に確認する事が出来ます。一度ご覧になってみて下さい。長文失礼致しました。 たいじゅ
ところで軌間の呼称ですが、むかし広軌と呼んでいたのは実は国際標準軌のことです。国際的に広軌とはこの標準軌よりも広いものをいいます。ロシアなどに例があるようてす。
名古屋線が標準機になるのは伊勢湾台風後というのは 改めて知りました
名古屋線と大阪線の間の伊勢中川で切り替えたのでしょうか?ねぇ
伊勢生まれの下総人で〜す。
これに対し、当時の近鉄名古屋線は狭軌(1067mm)。標準軌(1435mm)の大阪線とは中川で連絡していました。
名古屋線が標準軌に改軌されるのは伊勢湾台風直後の昭和34年の秋。
湯の山線が標準軌(1435mm)に改軌されるのはずっと後です。
諏訪駅の周辺をもう少し知りたいところ・・・です
ありがとうございました
これは近鉄の名古屋行き電車と同じホームを使っていた湯の山線の電車ではないでしょうか。
八王子線のホームは駅舎の裏手にあったのでは?