花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

白道寮物語1

2005年10月07日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
キンモクセイの香りがしてくると思い出す。昭和42年3月。浪人生活のため、オイラは兄の後を付いて下宿を探していた。2~3探して回ったが思わしいところがなく、結局、兄が学生当時お世話になった白道寮に向かう。兄はあまり気乗りがしなかった様子だ。
宿から中央線で30分ほどのところにある白道寮は、浄土宗の寺が経営していた。駅前の商店街を抜けて閑静な住宅街に入る。当時、あたりはまだ武蔵野の名残りが色濃く、木々の茂みがあちこちに点在していた。
の塀づたいにだらだらと坂を下ると、右側に勝手口の小さな門があった。門をくぐって左側が寮。先に進んで右方向へ坂を登ると本堂になる。どこからか聞こえてくるピアノの音。鳩の鳴き声はよく聞いた。
人時代の1年間をここでお世話になった。白道寮には17~8名の大学生が下宿している。いずれ僧籍に付く大学生がほとんどだったが、浪人生や高校生も受け入れていた。戦前からあった古い古い木造の建物で、1階に炊事場と食堂、風呂場とそして南側に寮生の部屋、2階に上がると廊下を挟んで狭い部屋が両側に並んでいた。
本さんは九州から来ている大学生。休みになっても帰る旅費がないため、動くと腹が減るといって、よく部屋でゴロゴロしていた。里から仕送りが来ると寮費以外をインスタントラーメンとタバコ代につぎ込む。買ってきた品々を万年床に並べて悦に入っていた。わずかな残りはパチンコ代だ。
曜日の朝は読経で始まる。寮長が作ってくれた薄い味噌汁と納豆。一汁一菜の食事が済むと、なんとなくみんなで寮の前の庭に集まる。庭は床屋になった。
イラは床屋の経験があると嘘をついて岩本さんの頭を刈った。はえぎわがうまく揃わない。刈る部分が頭頂目指して徐々に登っていく。結果、虎刈りのモヒカン族みたいになった。それでも岩本さんは怒りもせずに「マフラーをするから良い」と言い、寒くもないのに首巻をしてデートに出掛けていった。
休み前。岩本さんはいいアルバイトがあったと喜んでいた。それは立川基地でのバイトだった。ベトナムから送られてきた死体がプールに漬かっている。その死体が浮いてくるのを竿で押し沈めるという仕事らしかった。お金になると皆に自慢していたが、1日行ってやめたらしい。感想と結果は聞けずじまいだったが前宣伝だけはすごかった。
道寮での1年間には、いろんな思い出がある。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
きも~ (横ちゃん嫁)
2005-10-08 15:37:44
死体を漬けて何にするのだ
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レ!きも~ (武兵衛)
2005-10-08 17:30:00
当たり前だ。

干して、焼いて、食うのだ。

きっとうまいぞ。

あまりのうまさに

食った人は決してしゃべらないのだ。
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