花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

白道寮物語5

2005年10月11日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
白道寮に冬休みが来た。寮内には2名の予備校生と、九州へ帰るお金がない岩本さんの3人になった。
局、岩本さんも出してきたばかりのラジオを再度質入れし、そのお金を足して正月前に帰っていった。寮内は立花さんとオイラの二人だけになった。
つも夜になると、どこかの部屋に集まりお茶会と称して、持ち寄ったお菓子やコーヒーを飲んでしゃべった。オイラと立花さんは工藤先輩の部屋へ忍び込み二人だけのお茶会をした。その部屋には粉末の高級コーヒーがあったからだ。ラベルには外人女性がコーヒーを飲むイラストが印刷してある。
夜、見つからない程度に少しずつ飲んだ。ところが気がついたら、ほとんどなくなっていた。悩んだ挙句、オイラは各部屋から持ち出したコーヒーを、そのビンに入れておいた。白道寮ブレンドの出来上がりだ。その後、工藤先輩からは何のお咎めもなかった。
の寮は寒い。人が居ないと余計寒い。ある晩、台所の机を拭いていた。いくら拭いても白い物が点々と残って取れない。よく見たら布きんの凍った水だった。
さんは寮生が二人になっても食事を作ってくれた。毎朝、袖が付いた掛け布団を着て台所に来た。関東では変わった布団があることをそのとき知った。まるで布団の山が歩いているようだった。正月は関東風雑煮を作ってくれた。どんなだったのかは記憶にない。
災予防のため、寮内は暖房器具の持ち込みが禁止されていた。湯たんぽが唯一の暖房機だ。湯たんぽに水を入れ直接ガス台にのせる。栓をしたままかけた学生がいて、大音響と共に栓が天井まで飛んだことがあった。
イラは辛抱できず、秋葉原で電気敷布を買い込み、押入れに敷いて机を置き、その中で勉強した。暖かかった。が、ほとんど寝ていた。
レビを一切見ない1年間だった。ニュースはラジオか、台所に置いてある新聞を読んだ。新聞は工藤さんのだ。皆が見るので工藤さんが読む頃にはくしゃくしゃだった。住職は、お金を出している人に悪いといつも怒っていた。
雪の降った冬が終わり、寮に春が訪れようとしていた。オイラは受験に出掛けたが、すべて惨敗だった。結果、四日市に戻された。
年前、兄が寮を勧めなかったわけが、わかった。
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