花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

蛤御門の変のその後

2018年10月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

蛤御門の変では、朝廷を取り込もうと御所へ殴り込みをかけた長州藩攘夷組。大敗はしたが再起をかけて上洛。薩長同盟を結び土佐藩を取り込んで戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)を起こす。銃器の違いで優位に立つ同盟軍は、錦の御旗をでっち上げ、圧倒的大差で幕府軍を次々と破り北へ向かう。そして、会津、二本松の戦いとなる。このあたりから読む速度がアップする。

明治維新という過ち・原田伊織著 講談社文庫

二本松の戦いは悲惨を極めた。「二本松少年隊」は記録に残るだけで63名。12歳から17歳の少年で構成されていた。まさか、この本で泣かされるとは思ってもいなかった。次の戦場となった会津藩も壊滅。その後、明治政府の世となって行われた版籍奉還と廃藩置県では、会津藩は東北の下北半島へ移された。極寒の森林地帯。旧会津藩士は、空腹と戦い動物の死骸を食べてでも田畑を開いていった。

この荒蕪(こうぶ)の地の殖産を図って導入されたのが、リンゴ栽培である。平成3年9月、台風19号が青森のリンゴ園を直撃、これを壊滅させた。この時の様子を描いた司馬遼太郎氏が「北のまほろば」で紹介している。この作文の作者である4年生の少年のお母さんは、黒い雲の空を見上げて、目に涙を溜めて手を合わせて拝んでいたという。

 

ぼたぼた ぼたぼた

畑でリンゴの落ちる音がする

ふくろのかかったままの「むつ」が

風にたたかれて

枝からはなれていく

ぼたぼた ぼたぼた

リンゴの落ちる音は

お母さんのなみだが 落ちる音だ


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