花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市祭り

2018年10月06日 | レモン色の町

目で見る郷土史 四日市のあゆみ 市制80周年記念刊行 より

椙山満監修 四日市の100年より

四日市祭りは諏訪神社例祭の余興として行われたもので、戦前北町にあった大山車には、330年前に山車が存在していたという記録があった。明治以前は毎年7月27日、維新の改暦後は8月28日となったが明治12年に疫病が流行したため以後9月27日となった。維新前は26日、ご陣屋前に練り物が勢ぞろいして順次演技を披露、維新後はこれが町練りとなり、28日は諏訪神社の社頭で神事にのっとり厳かに、そして絢爛豪華に演技を奉納、全部の練り物が帰町するのは深夜になったという。しかも帰途は帰り山車と言って練り物が変装するのでそれを見ようとする人たちで夜おそくまでにぎわったという。

椙山満監修 四日市の100年より

 また、祭礼が近づくと全戸が格子戸を洗い、祭礼当日は戸毎に竹簾を垂れ、提灯を掲げ、商店や大家では表を開放して赤毛氈(もうせん)を敷きつめ、造り物や生花、金屏風を巡らして酒肴を振舞うなど祭礼気分に浸ったのである。


大津視察外伝 御所

2018年10月06日 | 四日市商店連合会です

天皇の即位式は、高御座という八角形?の幕の下で行われる。確かに御所にあるということを聞いたので、次回の即位式はここであるのでしょうか?と尋ねると、高御座は、東京へ運ばれるということ。今上(平成)天皇の即位の礼の際にも、自衛隊のヘリで隠密裏に輸送されたということだった。

長州、薩摩の過激集団が、天皇を担いで明治維新を起こしたという説を展開する原田伊織著「明治維新という過ち」がベストセラーになり文庫化されている。今まだ読破してないので、感想は避けるが、御所についての記述があった。

 

天皇の住まい=御所の佇まいは、観光名所として直接目にした人も多い事だろう。一つの永い歴史を持つ民族の最高権力者の住まいである。

 それにしては、その塀の低さはどうしたことかと気づいた人もまた多い事であろう。余りにも無防備である。こういう例は、恐らく我が国以外にはあるまい。都の庶民にとって、天子様とは文字通り「お天道様」のような崇高な存在ではあるが、決して権力者ではなかった。自分たちが神仏の加護を得て平穏に生きていられるのも、神々との懸け橋であられる天子様がそこにおられてこその話なのだ。この国にとってもともと天皇とは、そういう存在である。これを侵すものがどこにいようか。したがって、高い塀も、城壁のような防御施設も御所には要らないのである。

 天皇自らが、討幕そして維新を指図したかといえば、NOであると書いてあります。面白そうなので、もう少し頑張って読んでみます。