花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

地獄船で来た捕虜

2018年08月14日 | レモン色の町

本日から中日新聞で始まった「瀬田栄之助 元収容所通訳が残したもの その1 地獄船できた捕虜」

巨大なプラントや倉庫が立ち並ぶ四日市市石原町のコンビナート群の一角。ここに1945年8月の終戦までの1年間外国人の捕虜収容所があった。(中日新聞三重総局・熊崎美奈)

石原産業横に建つ俘虜収容所には米、英、オランダの捕虜を最大時600名収容していた。12時間労働という劣悪な環境の中、民間人の通訳、瀬田栄之助は友人のように捕虜と接した。

瀬田が直面したのは、幽霊のように蒼白な顔をして、一歩前へ歩くことさえままならないやせこけた男たちだった。収容所内の病室は、疲弊した捕虜たちであふれていた

73年ほど前の、四日市市石原町でのことである。

ところで、次代はさかのぼるが、これは本町の水谷さんにお借りした「相生橋俘虜通過の光景」の絵葉書。明治39年とあるから日露戦争戦勝記念の絵葉書だろう。捕虜のロシア兵は四日市から船でどこかへ運ばれたのか?なぜ、四日市を捕虜が通過していたのか?謎である。

水谷さん、資料提供 ありがとうございました。

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