花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

小津映画に見る「輪廻」と「無常観」

2011年09月11日 | 諏訪商店街振興組合のこと
9月30日の小津安二郎再発見は「彼岸花」です。
この作品は、昭和33年9月7日に公開された小津監督始めてのカラー作品で、机に飾られた花や、山本富士子の着物の裏地に見られる赤や黄色の色彩が見事です。例によりチェックのカーテン、縞模様の着物、湯飲みの模様などに小津の趣味が色濃く出ているところにもご注目ください。
今回は、父親役の佐分利信が娘の結婚に大反対なのですが、中村伸郎の説得や山本富士子の策略、田中絹代の内助の功も手伝って有馬稲子の結婚を許すことになります。
     
小津監督の戦後作品には立て関係を描いたホームドラマ、娘を嫁に出す親子ドラマが多く見受けられます。「晩春」と「麦秋」では原節子が、「彼岸花」では有馬稲子が、「秋日和」では司葉子が、「秋刀魚の味」では岩下志麻が親の元を離れて嫁いで行く物語です。
晩年、がんに侵されていることを知った小津は病床で「やっぱり映画はホームドラマだ」と語っています。同じテーマの作品を作らざるをえなかった監督は悩んでいたんですね。その答えになるかどうか・・・と中野翠さんは著書「小津ごのみ」にこう記しています。
「麦秋」以降の小津映画には似たようなセリフが繰り返し出てくる。
「麦秋」では菅井一郎が「うちも今が一番いい時かも知れないねえ。これで紀子でも嫁に行けばまた寂しくなるし」と言い、
「お茶漬けの味」では木暮実千代が友達の娘である津島恵子を指して「この子ぐらいの時、何したって面白いのよ」それに対して友人は「そう、一番いい時ね、今」と応え、
「秋刀魚の味」では笠智衆が娘に向かって「そりゃお父さんだってね、今が一番いい時だとは思っているよ。でも、それじゃあいけないんだ」と言います。
多くの人は、様々な不満や屈託を抱えながらも、いささかの心理的努力をして、こういった言葉を呟き、自分の人生を肯定しようとする。
もうひとつ、今回の「彼岸花」では、山本富士子が「せんぐりせんぐり」というセリフを繰り返している。これは順繰りという意味らしい。
「小早川家の秋」では最後のシーンで、火葬場から立ち上る煙を眺めながら農夫の笠智衆が「(死んだのが若い人だったらかわいそうだけど)死んでも死んでも、あとからあとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」と言うのだ。
     
これらのセリフから感じられるのは、「輪廻」とか「無常」、もっと俗に言えば「世代交代」や「この世のはかなさ」だと中野さんは語りこう結ぶ。
「今が一番いい時」という言葉の底には「いつまでもこの状態が続くわけではない」という思いが張り付いている。「私たちはいいほう」という言葉は「これを自分の一回こっきりの生として受け入れなけらばいけないのだ」という思いを「せんぐりせんぐり」という言葉は「いつか自分もこの世を退場する」という思いを、いわゆる「前向き」に言い換えたようなものだ。
誕生、成長、成熟、衰退、死・・・。世代の違う人間同士が同居する家族(特に親子関係)とは、まさに「輪廻」「無常」の場だ。凡人たちにとっての根本ドラマの場だ。
小津安二郎監督の残されたメモにこうあった
「何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく貴い」
コメント
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