図書館で面白い本を見つけた。「浅草フランス座の時間」井上ひさし・こまつ座編著。文春ネスコ発行の本だ。
昭和22年、新宿帝都座5階劇場で、額縁ショーが爆発的ヒットとなり、日本のストリップショーの火種となった。この年の8月浅草ロック座が出来ている。ロック座の大当たりに続き、たちまち浅草はストリップのメッカになった。浅草座、帝都劇場、美人座、フランス座、カジノ座、公園劇場、百万弗劇場が軒を並べるようになる。
ここで育ったお笑い芸人には、そうそうたるメンバーが並ぶ。伴淳三郎・由利徹・長門勇・渥美清・谷寛一・関敬六・茶川一郎・財津一郎・東八郎・戸塚睦夫・三波伸介・萩本欽一・ビートたけし。
当時の興行には、1時間半のショーに1時間の喜劇が付いた。客は女性の裸を見に来るのだけれど、裸を並べただけではありがたみが分からない。正反対の喜劇をショーの間に挟みこむことで「構造」を作った。
たたき上げの喜劇役者が育った。何が何でも爆笑の渦にしてやろうと必死だったそうだ。渥美清は語る。当時は弁当持参でストリップショーを見に来る客が多かった。ほとんどがショーの間の喜劇芝居のときに弁当を食べる。そこで渥美清は自分の舞台で、客に弁当を食べさせる暇がないくらい笑わせようと頑張った。
かなり前の事になるが、オイラも新宿歌舞伎町のストリップ劇場を覗いたとき、ショーの合間にコントをやっていた。日活ロマンポルノの「未亡人下宿」に出ていた学生役の俳優が一人でしゃべっていた。陰気な雰囲気をぶち壊すような面白い話に、救われた気分だった。
北野武は昭和47年、フランス座で初舞台を踏んだ。井上ひさしは昭和31年に、フランス座の文芸部に入った。北野武の初仕事はフランス座のエレベーターボーイだったそうだ。二人の対話で武はこんなことを話している。彼の映画には不意打ちがある。
「不意打ちはわりかし漫才に似ている気がしますねえ。ぼくの好きなネタにこういうのがあります。クイズ番組の司会という設定で、「次の方どうぞ。お名前は?」「小林信夫といいます」「ああ、フランス人の方ですね」
まさにナンセンスの不意打ちだ。おもしろいですか?
踊り子名鑑にも興味深い話が載っていた。演劇評論家の石崎勝久氏談だ。マリア・マリという踊り子がいた。ロック座とカジノ座だけで20年間まじめに勤め上げた、この世界のためだけに生まれてきたような子だった。弟を大学に通わせるために踊り続けた。一度結婚したが失敗、再び浅草に帰ってきたが、アパートの2階から落ち、その怪我が元で短い一生を終えたそうだ。ドラマを地でいっている。
「踊り子というのはダマされやすいし、気の小さい、優しい子が多いから、酒に溺れる子が多いのもよく分かりますね。失恋の痛手から自らの命を絶った子もいます。きっとみんな寂しかったんでしょう」
そして、関西から裸を見せるだけのショーが入ってきて、古き良き浅草のストリップショーは変貌していくのです。
昭和22年、新宿帝都座5階劇場で、額縁ショーが爆発的ヒットとなり、日本のストリップショーの火種となった。この年の8月浅草ロック座が出来ている。ロック座の大当たりに続き、たちまち浅草はストリップのメッカになった。浅草座、帝都劇場、美人座、フランス座、カジノ座、公園劇場、百万弗劇場が軒を並べるようになる。
ここで育ったお笑い芸人には、そうそうたるメンバーが並ぶ。伴淳三郎・由利徹・長門勇・渥美清・谷寛一・関敬六・茶川一郎・財津一郎・東八郎・戸塚睦夫・三波伸介・萩本欽一・ビートたけし。
当時の興行には、1時間半のショーに1時間の喜劇が付いた。客は女性の裸を見に来るのだけれど、裸を並べただけではありがたみが分からない。正反対の喜劇をショーの間に挟みこむことで「構造」を作った。
たたき上げの喜劇役者が育った。何が何でも爆笑の渦にしてやろうと必死だったそうだ。渥美清は語る。当時は弁当持参でストリップショーを見に来る客が多かった。ほとんどがショーの間の喜劇芝居のときに弁当を食べる。そこで渥美清は自分の舞台で、客に弁当を食べさせる暇がないくらい笑わせようと頑張った。
かなり前の事になるが、オイラも新宿歌舞伎町のストリップ劇場を覗いたとき、ショーの合間にコントをやっていた。日活ロマンポルノの「未亡人下宿」に出ていた学生役の俳優が一人でしゃべっていた。陰気な雰囲気をぶち壊すような面白い話に、救われた気分だった。
北野武は昭和47年、フランス座で初舞台を踏んだ。井上ひさしは昭和31年に、フランス座の文芸部に入った。北野武の初仕事はフランス座のエレベーターボーイだったそうだ。二人の対話で武はこんなことを話している。彼の映画には不意打ちがある。
「不意打ちはわりかし漫才に似ている気がしますねえ。ぼくの好きなネタにこういうのがあります。クイズ番組の司会という設定で、「次の方どうぞ。お名前は?」「小林信夫といいます」「ああ、フランス人の方ですね」
まさにナンセンスの不意打ちだ。おもしろいですか?
踊り子名鑑にも興味深い話が載っていた。演劇評論家の石崎勝久氏談だ。マリア・マリという踊り子がいた。ロック座とカジノ座だけで20年間まじめに勤め上げた、この世界のためだけに生まれてきたような子だった。弟を大学に通わせるために踊り続けた。一度結婚したが失敗、再び浅草に帰ってきたが、アパートの2階から落ち、その怪我が元で短い一生を終えたそうだ。ドラマを地でいっている。
「踊り子というのはダマされやすいし、気の小さい、優しい子が多いから、酒に溺れる子が多いのもよく分かりますね。失恋の痛手から自らの命を絶った子もいます。きっとみんな寂しかったんでしょう」
そして、関西から裸を見せるだけのショーが入ってきて、古き良き浅草のストリップショーは変貌していくのです。