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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

〝10年の思いをエッセーに”

2022年04月10日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

中日三重サービスセンターさん発行の「四日市ホームニュース」に掲載されました。

早速“映画館巡り”でお世話になっている“男の囲炉裏端の会”の志田さんから届きました。ありがとうございました

2022年3月26日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 

「ありがとう」感謝の言葉で シニアライフ より

伊藤博幸さんが投稿してみえます。

“すべてがあなたにちょうどよい”

今のあなたに今の夫がちょうどよい

今のあなたに今の妻がちょうどよい

今のあなたに今の子供がちょうどよい

今のあなたに今の親がちょうどよい

今のあなたに今の兄妹がちょうどよい

今のあなたに今の友人がちょうどよい

今のあなたに今の仕事がちょうどよい

死ぬ日もあなたにちょうどよい

すべてがあなたにちょうどよい

 実は真理は簡単だった。“ちょうどよい”と素直に分かるのに五十年かかっただけです。すべては起こるべくして起きていたのです。あらゆることが天の摂理のように自然に発生しているのです。

 読ませていただいた時、気持ちがすっきり致しました。感謝

あなたの周りにいる人たちは、今のあなたにふさわしい。 | 子育てコンパス (tdma2050.com)

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悲劇の大津皇子

2021年08月14日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

壬申の乱で勝利を収めた天武天皇は、奥方の持統天皇と、自分の子と天智天皇の子らとともに吉野へ行幸した。壬申の乱が兄弟間での戦だっただけに、心配だったのだろう。天智天皇は、持統天皇との間の子、草壁皇子を次期天皇にしたいので、異母兄弟間で仲良くやってくれと子供らに“吉野の誓い”を立てさせた。ところが皮肉にも腹違いの四男、大津皇子が賢くて良い男だった。

大津皇子は、石川郎女(いしかわのいらつめ)をめぐって、草壁皇子と争っている。

あしひきの 山のしずくに 妹待つと 我(あれ)立ち濡れぬ 山のしずくに

(あしひきの=山の枕詞)山のしずくに濡れました、貴方を待っていて立ったまま濡れました 山のしずくに

石川郎女の返事はというと

我(あ)を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしずくに ならましものを

私を待っていて、貴方が濡れたという(あしひきの=枕詞)山のしずくに私がなれたら寄り添えるのに

大津皇子

686年、天武天皇が崩御すると、持統天皇は我が子の、草壁皇子を次期天皇にさせたいがため大津皇子を謀反の罪で捉え、自害へと追い詰めた。享年僅か24歳、辞世の歌・・・

百(もも)伝う 磐余(いわれ=自宅があった場所)の池の堤に 鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲隠り(くもがくり)なむ ・・・鴨の姿を見られるのも今日限り、私は死んでしまうのだろうか

大津皇子は、謀反の罪で取らえられる直前に、伊勢で斎宮をしている姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の処に密かに会いに行っている。二人は同じ父母を持ち早くに母親を亡くしていた。夜を徹しての相談事は尽きなかったと想像できる。弟を見送る大伯皇女は・・・

我が背子(せこ)を 大和へ遣(や)ると さ夜ふけて 暁露(あかときつゆ)に 我(あ)が立ち濡れし

弟の大津皇子を大和に帰し見送ろうとして、夜も更けて暁の露に私は立ち濡れたことだ

大和へ戻った翌日、大津皇子は捉えられ自死させられた。弟の屍を二上山に葬った時の大伯皇女の歌

うつそみの 人なる我(あれ)や 明日よりは 二上山を 弟(いろせ)と我(あ)が見む

死んだ弟と違いこの世の人である私は、明日からは弟の埋葬されている二上山を弟だと思って眺める事であろうか

二上山

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眠れないほどおもしろい 万葉集

2021年08月13日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

663年(ちなみに 壬申の乱は672年)百済に出兵した白村江の戦いで日本軍は、けちょんけちょんに大敗した。おかげで新羅や唐からの防衛のため、国民に北九州や対馬・壱岐への徴集がかけられた。御上は3年間、国の防備にあたれという。しかも、解任後は現地解散。故郷にたどり着くまでに亡くなった人も多かった。命を懸けた旅立ちだった。

防人に 行くは誰(た)が背と 問ふ人を 見るが羨(とも)しさ 物思(ものも)ひもせず   大伴家持

〈防人に行くのは、どなたの夫と悲しみもなく聞く人を見るとうらやましい〉他人事とみる世間の目は冷たい・・・。いつの時代も同じですね

立ち鴨(こも)の 発ちの騒きに 相見てし 妹が心は 忘れせぬかも

(立ち鴨の=枕詞) 出発する騒ぎの中に、共寝をした妻の優しい気持ちは忘れられない。

旅だった夫を想っている奥さんの歌

我が背なを 筑紫へ遣(や)りて 愛(うつく)しみ 帯(おび)は解かなな あやにかも寝も

私の夫を防人として筑紫へ旅立たせて、いとおしさに私は帯を解かずに夫のことを案じながら寝ようか

夫婦の別れ。家族との別れ。戦は何時の時代も残酷でした。

防人の詩/さだまさし(3333 in 武道館) - YouTube

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くるべ官衙遺跡と万葉集

2021年08月11日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

天智天皇が逝去すると、吉野に篭っていた弟の大海人皇子(天武天皇)が、息子の大友皇子に対して兵をあげた(壬申の乱)。皇位を争う戦だったが、その裏には額田王(ぬかだのきみ)をめぐる三角関係という説もある(教科書にも載っていて有名)。

あかねさす 紫野草(むらさきの)行(ゆ)き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる

額田王が求愛してくる大海皇子に対して詠った。以前は大海皇子と額田王は夫婦関係だったが、この時は離婚して天智天皇と夫婦だった。(ヤヤコシイ)

“大海皇子さん、ラブコールするのはやばいよ。旦那の天智天皇が見ていますよ”

対する大海皇子の返事は?

紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋めやも

“兄の妻になってしまった貴方を、私は今でも恋い慕っているのです”この歌は宴の場で公に披露されている。この時は、みなさんもう良いお年になっており、余興の席でのご愛敬・・・という事だったのかも。

珍しくするっと読みました

天武天皇と聖武天皇から“くるべ官衙遺跡”へ出かけたが、親切な説明に、万葉集に興味が広がった。恋愛歌も面白いが、白村江の敗戦から北九州の防人として駆り出された人達の哀切を謡った“防人歌”には泣かされる。つづく (で・・・椙山先生の湊は少し休憩です)

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好奇心満載!ぐるぐる博物館

2021年05月28日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

三浦しおんさんの“舟を編む”を読む。じつはDVDがよかったので、本棚の隅でほこりをかぶっていたのを引っ張り出して最終まで再読した。当時なぜ頓挫したのか分からなかったが、面白かった(得した気分)。

さて、次の三浦しおんさんの良さそうな本はと、本屋を覘く。あった!“ぐるぐる博物館”。博物館大好きな著者の、人類史、鉱物、漫画、SM、服飾、地場産業、伝統工芸・・・様々な世界と人間への情熱と愛と好奇心に満ちたルポエッセイ。次の博物館はどんなのだろうかと、丁寧に楽しみながら読み進んだが1週間で読破した。殆どの博物館がHPで覗けるので、これならと思われた方は是非、実業之日本社文庫“ぐるぐる博物館”をお買い求めください。(本体680円)

茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館(長野県茅野市)

国立科学博物館(東京都台東区上野公園)

龍谷ミュージアム(京都市下京区)

奇石博物館(静岡県富士宮市)

大牟田市石炭産業科学館(福岡県大牟田市)

雲仙岳災害記念館(長崎県島原市)

石ノ森萬画館(宮城県石巻市)

風俗資料館(東京都新宿区)

めがねミュージアム(福井県鯖江市)

ボタンの博物館(東京都中央区日本橋)プラスオマケの博物館付き

コロナ化が終息したら是非、出かけてみたいと思っています。(元気二オルヤロカ?)

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好事不如無

2021年02月03日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

楽しいことのあとには 虚しさが訪れる。何も起こらない人生が 一番良いのかもしれません。この歳になって分かりました。

何回観ていただいても無料です。よろしゅうに!

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謹賀新年

2021年01月03日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

あけましておめでとうございます

 

澄遇邁駅の通潮閣(ちょうまいえきのつうちょうかく)

                    蘇軾(そしょく)

余生老いんと欲す 海南の村

帝は巫陽(ふよう)を遣わして我が魂を招かしむ

杳杳(ようよう)として天低(てんたれ) 鶻(はやぶさ)の没する処

青山一髪(せいざんいっぱつ) 是れ中原(ちゅうげん)

 

のこり少ない余生を、この海南島の僻村で過ごし、老いてゆこうと思っていたのだが、天命が古代のみこ、巫陽(ふよう)に命じて、私の魂を呼び戻してくださった。はるかに遠く、天空が水平線のかなたにたれこめ、鶻(はやぶさ)の姿が消え去ってゆくあたり、ひとすじの髪の毛のように、細く連なる山なみがみえるが、あれこそが、これから帰りゆく中国の本土なのだ。

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こころをよむ シネマレッスン

2020年10月24日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

久しぶりにラジオを聴くことにした。今ではネット配信で過去(2か月前まで)の番組をいつでも聞くことができる。

さて、番組は『こころをよむ シネマレッスン 主人公が教えてくれること』その内容は・・・

第1回 愛の眼差し「ローマの休日」「めぐりあい」10月4日

第2回 勇気を持って「サウンドオブミュージック」「24の瞳」10月11日

第3回 邦画の香り「七人の侍」「天国と地獄」「生きる」「東京物語」10月18日

第4回 旅立て少年!「スタンドバイミー」「ニューシネマパラダイス」10月25日

第5回 我慢の先に「太陽がいっぱい」「ディアハンター」11月1日

第6回 予感に胸が「ウエストサイド物語」「マイフェアレディ」11月8日

第7回 修羅の道へ「明日に向って撃て!」「アラビアのロレンス」11月15日

第8回 越えられぬ壁「いまを生きる」「アマデウス」11月22日

第9回 父の背中「ジョーズ」「ゴッドファーザー」11月29日

第10回 自由を求めて「猿の惑星」「イージーライダー」12月6日

第11回 慟哭の果てに「ひまわり」「道」

第12回 少女の夢「禁じられた遊び」「ある夜の出来事」12月20日

第13回 夢見る頃に「オズの魔法使い」「メリーポピンズ」12月27日

NHK第2放送 [放送日]日曜日 午前6時45分〜7時25分

[再放送]その週の土曜日 午後6時~6時40分

  • NHKらじる★らじる こころをよむ シネマレッスン→聴き逃し番組を探すで検索してみてください
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今週の禅語 可も無く不可も無し

2020年10月18日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

店頭に禅語を印刷したものを公開しております。ウィンドウを拭いていたら 子供さんを連れたお母さんが読んで聞かせていました。ハズカシカッタ!

可もなく不可もなし 物事を決めてかかってはいけないという意味です 年を重ね 経験が豊富になってくると 取り掛かる前に「あ!ダメ」とか「あ!それムダ ムダ」とか決めつけがちです。可能性を信じて『やる前から しり込みをしてはいけないな』と 自分に言い聞かせています。戻れるところまでは行動してみましょう。

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市井からの眺め59弾丸列車⑨

2020年05月25日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

イザベラ・バードは、明治11年横浜に着いて以来、北海道函館へ向かって旅行を行った。その紀行文から当時の地方の暮らしが詳細に記録されている。この紀行文を民俗学者である宮本常一氏が解説している。「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリーより “理想と現実の同居”

ここで、北海道の開拓が非常にアンバランスであることを書いている。

山道を15マイル登っていくと、七飯(ナナイ)という整然とした洋風の村がりっぱな農作物に囲まれている。ここは政庁が新風土馴化その他の農事試験をしているところの一つである。

政府自らが北海道開拓地にテコ入れして欧米風の村づくりが行われている。そう、満州の状況を連想させる。

奉天

新京

函館から汽船でつながったところの森(地名)は、噴火湾の南端に近い大きな村だが、今にも倒れそうな家ばかりである。村は砂丘の荒涼としたところで、たくさんの女郎屋(ジョーローヤ)があり、いかがわしい人間が多い。

と、ガラッと変わってくるのです。つまり日本の恥部ともいうべきところが政府の高級な開拓方針とは別に、そこへ行くと金儲けができるというようなことで、こういうような人が集まっていて、理想と汚い現実が並行して現れる。これは日本の持っている一番大きな弱点というべきもので、朝鮮統治の問題にしても、台湾や満州統治にしても、全部これが絡んでいるわけです。役人の建てた建物は新京でも奉天でも素晴らしく、非常に良い街を作り上げていったのに、そこに集まった人たちは、素性の良い人と悪い人が混在していた。これが日本の僻地における開拓の姿だったといってよいと思うのです。(宮本常一)

 森からの汽船が室蘭に着くと・・・

いろいろな宿屋から番頭たちが桟橋に降りてきて客引きをするが、彼らの持つ大きな提灯の波は、その柔らかい色彩の灯火とともに上下に揺れて、静止している水面に空の星が反映しているかのように魅力的である。

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