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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

大正期の富田の町

2025年05月19日 | レモン色の町

先日のこと、富田に生まれ育ったNさんとIさんから昔日の富田についてお話を伺いました。

御大 お二人 写真掲載のお断りがしてないので お顔だけ隠させていただきました

その折に「ふるさと富田」の本をお借りしました。そこに掲載されていた特別寄稿『富田いろいろ 思い出すままに』(近藤香代さん)は、大正から昭和戦前にかけての富田の町のゆったりとした風情が書かれていました。

大正6年、一老女が生まれた富田の古き良き時代を、思い出すままに綴ってみます。

私、富田小学校の北側、今の中央通りと旧東海道との十字路あたりで産まれました。北は花の木川、旧道から堤防を上がり現在の四日市高校へ行く“お琴の橋”のすぐ上は、舟板を2,3枚並べて、近くの女たちの団らん所、洗濯場になっていて一日おしゃべりの絶えないうわさ話の交換所になっていました。

おことが住んでいたころの川端は裏通りで 芸妓置屋「喜月」から時折 三味の音が聞こえていた 現在の富田中央通り商店街 この先が近鉄富田駅になる(富田をさぐる より)

旧道をはさんで東に下ると“喜月”があり、日中は芸妓(げいぎ)の三味(しゃみ)の稽古(けいこ)が聞こえ、のんびりとした街でした。前は床屋、隣はうどん屋(東京庵)で、茶屋通りと呼ばれていました。

大正4年の御大典の折、父が造った「大鯛」の張りぼてが町中の話題になり、後に鯛の祭車を造るきっかけになりました。職人に仕事を任せて、自分は作業小屋通い。この小屋には飴売りが住んで居て、頭の上に半切を乗せ、太鼓を叩いて売り歩くのです。雨の日は、飴づくりと太鼓の稽古。朝から太鼓の音がするので、太鼓町と呼ばれていました。

鯛の祭車は、大正10年のお盆にやっと間に合い、町の人たちが張り切って引いていました。この年は、石取りも鯨船も良くなったと云われ大変な賑わいだったことを覚えています。

旧東海道が往還(おうかん)といわれていたその頃、物資は桑名から四日市へと流通していました。夜明けと共にシジミ蛤売り、朝日(伊勢朝日)から歯みがき砂売り、そして、朝明の水売りが毎日のように来て、飲み水を買いました。十時頃になると「パンパン あんパン」と、チリンチリン鈴を鳴らしながら板車にガラスケースを乗せたパン屋が来ました。やがて牛乳屋がガラス瓶をガチャガチャいわせながら箱の車でやってきます。午後になると川原町のマル五呉服店が、板車に荷物をつけて小僧に引かせ、番頭がついて売りに来ます。旧東海道は商いの道であり、毎日の生活に欠かせない道でした。  つづく

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富田のステンショに陸蒸気が来た!

2025年05月18日 | レモン色の町

四日市と桑名間に関西鉄道(かんせいてつどう)が敷かれたのは明治27年7月6日のことでした。東海道の桑名と四日市の間の宿(あいのしゅく)にあたる富田(とみだ)驛に、機関車が到着します。「ステンショ(ステーション)に陸蒸気(おかじょうき)が来たぞ!それっ みんな見に行け!」大人から子供まで見物人でごった返したそうです。

明治40年10月1日、関西鉄道は国有化されます。

赤の線が旧東海道 かぎ型に曲がっています

マップ右上にあたる場所、北ジャスコの地点には東洋紡績が広大な敷地を占めていました。その左(西)にJR富田駅がありますが、当時は専用の引き込み線が、東洋紡績工場内へと敷かれていたそうです。

昭和4年1月30日、伊勢電鉄の熊澤一衛は、四日市・桑名間を開通させることにより西富田駅ができます。マップJR富田駅の下(南)にある現在の近鉄富田駅のことです。

昭和5年12月、伊勢電鉄の桑名・伊勢間の運行が始まります。さらに、木曽川の鉄橋を国から買収し、昭和13年6月26日、名古屋・桑名間を開通させます。昭和16年3月、大阪電気軌道と三重県を走る参宮急行電鉄が合併して、関西急行となり、西富田駅は富田駅に変わります。昭和18年、関西急行と大阪鉄道が合併することで、近畿日本鉄道が発足することになるのです。

「うみてらす」から見た富田の町 手前は鈴木造船

こうしてみると、“富田”は昔ながらの町を、旧東海道、国鉄線、近鉄線、そして国道1号線と国道23号線(名四国道)が束になって通っていることに気づかされました。

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近畿日本鉄道四日市駅 新駅がオープンした!

2025年05月16日 | レモン色の町

文化の諏訪駅に掲示してあった短絡後の新しい四日市近鉄駅の写真です

昭和31年オープン直前のプラットホームを南側から撮られた

そして、昭和31年9月23日開業当日の駅前風景。自転車が並ぶ。2階は見物客でいっぱいだ。

31年9月23日、新駅に発着する上り名古屋行急行 懐かしい車輛です

下り大阪行き急行 昭和31年10月撮影でした 雨のプラットホームです

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新駅誕生はもうすぐ!

2025年05月12日 | レモン色の町

昭和31年9月の近畿日本鉄道四日市新駅完成に向けて、工事は追い込みとなっていた。

在りし日の、諏訪駅中央ホーム先端から西方向に撮られた写真。まっすぐ伸びているのは湯の山線である。湯の山温泉口の広告塔が立つ。『ここから西へ向かうと、あの有名な湯の山温泉です』湯の山温泉は関西方面でも名前が売れていた。右へカーブしている線路は名古屋へと向かっている。右端には天理教が建つ。やがてここは廃線となります。(水谷宜夫氏 提供)

左の点線が新しく敷かれる線路。諏訪駅は、八王子線と湯の山線の始発駅だった。

ご紹介するのは、丸の個所で撮られた写真。湯の山線と近鉄線には新しい線路が敷かれつつあり、まさに交換の瞬間を待つ工事の様子でアリマス。

新しい近鉄線と交差して進む湯の山線。(文化の諏訪駅 提供)

諏訪駅を出た名古屋行特急はカーブに差し掛かり、新しい線路と交差して進む。「間もなくここを走る電車もなくなる」そう思うと感無量である。(樹林舎刊 四日市の昭和より)

諏訪駅を出た名古屋行特急が、新線路をまたいで天理教前を通過する。南方向に新駅のホームが見える。(文化の諏訪駅 提供)

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新駅前を通過の現あすなろう鉄道

2025年05月10日 | レモン色の町

近鉄線の短絡化により、昭和31年9月に諏訪駅は取り壊され、中央通りの正面に新しい近畿日本鉄道四日市駅が出来た。

文化の諏訪駅階段壁面に八王子線(現:あすなろう鉄道)が工事中の新駅前を通過する写真があった。

昭和27年 中央通り予定地を会場として講和記念農機具博覧会が開催された。この写真は、諏訪駅を出た八王子線が南にカーブ、川村鉄工所東を通過するところだ。線路西側に写真屋さんがフィルムを販売している。現在の近鉄百貨店前あたりになる。

工事中の新駅前を通過。昭和31年9月撮影 これは!電気機関車みたいなんが 牽引しとる!

ここを通過出来なくなるのも時間の問題だ。昭和31年9月撮影 駅は構内に組み込まれることとなる。東から、近鉄線大阪行き・名古屋行き・湯の山線・内部八王子線の順で並んでいた。

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昭和初期の諏訪驛路線図

2025年05月07日 | レモン色の町

驛舎は北向きにあった

昭和3年には四日市驛西口前広場が整備された。驛舎を入り、陸橋を東へ渡ると関西本線ホームと東口に出た。

旧四日市を語る会 より

昭和5年の善光寺カーブ

昭和5年の市街地地図。善光寺カーブを曲がると東海道沿いの諏訪驛へ達する。

四日市驛西口の図 下が北

大樹さんに送っていただいた、伊勢電気鉄道史より。椙山満先生のお話を聞きながら作られたメモで、四日市驛西口から歩廊をかぎ型に進み、線路を渡ると伊勢電のホームへ出た。

下が北

東海道沿いにあった諏訪驛。始発である四日市鉄道と三重軌道の線路の様子が分かる。最初は利用に便利な東海道沿いに造られたが、手狭となったので200mほど西へ移動した。そこは、貨物ホームや四日市鉄道の引き込み線などがあったところで、広い敷地が確保できた。

 

 

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東海道諏訪驛の写真を見つけた!

2025年05月05日 | レモン色の町

昭和4年のことです。東海の飛将軍といわれた四日市の実業家 熊澤一衛氏は、三重軌道と四日市鉄道が並行して走っていた四日市~諏訪間を買収。伊勢電を桑名まで通すことで旧東海道沿いに諏訪駅つくり、三重軌道と四日市鉄道の始発駅としました。文化の諏訪駅にあった東海道沿いの写真です。諏訪駅はここに 昭和4年から昭和17年までありました。

昭和6年撮影の南駅 湯の山行のホームが覗く

諏訪駅の南駅

昭和5年撮影の北駅

北駅の写真は初めてみました。桑名行きの車両が到着したばかり(間違い!桑名からの下り列車)。四日市駅から来た下り(訂正:上り)の車両の人が諏訪神社方面に向かう。ホームの坂を下りて北駅舎を通って東海道を北へと進みます。志ぐれ蛤の看板が目につきます。町の中にあった四日市駅は手狭となり、昭和17年に西へ移築することとなりました。

追記:写真を見ると、上り下りの両車輛が停車しています。複線化されるのは昭和13年ですから、昭和5年当時はまだ単線のはずです。つまり諏訪駅でやり過ごしていたということでしょうか? それと、終点となっていた三重・四日市の両鉄道は、既に電化されていれば、転車台が必要なかったのではないでしょうか?たいじゅさん?

現在のサンシ前から諏訪驛ホームの西端を見る

幻の諏訪驛 - 花の四日市スワマエ商店街

諏訪駅の?何処だ!⑥ - 花の四日市スワマエ商店街

<付録> 大正10年 コッペル社製汽車が西日野を走ります。

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諏訪駅構内へ消えるひとびと

2025年05月04日 | レモン色の町

諏訪駅へ入ると左側に、八王子・内部方面への始発ホームがあった。

文化の諏訪駅に掲示されていた昭和28年の写真。地方鉄道の雰囲気が良く出ている1枚。ホームには大勢の昇降客の姿が見える。工業高校だろうか?学生の姿が目に付く。

現在のあすなろう鉄道と同じで、到着の列車に並んで始発列車が出発を待つ。昭和25年撮影。

ここで再び気になるのは、この写真、子供たちを含む大勢の人々が八王子線ホームの南側の踏切を渡る写真である。スワ劇場の看板とホームの屋根から位置が推定できた。どうやらホームに列車の姿は見えない。よく見ると大人の方が多そうで、線路の向こうからは老婆もやってくる。一般の道路と変わりないようだ。諏訪駅構内乱入の様相である。

こどもの姿と人の多さから、スワ劇場の上映が終わった後かな?と思った。映画館を出た人々は、白揚書房前の狭い路地を通らずに、劇場北側の通りから八王子行ホームの南に出て諏訪駅へ入ろうとしている。この人々は、何処からきて何処へ向かうのか?

諏訪駅構内写真から、この人々がどういった道を辿るのか推定してみた。一つは、内部・八王子方面への列車に乗る。これは列車が到着もしていないのに、これだけの人々が行き交うのだろうか?もう一つは、諏訪駅構内を突き抜けてそれぞれ南口と北口の改札口へ出るというルートである。しかし、線路をまたぐ危険行為が、見逃されていたのか?みなさんは、どのように思われますか?諏訪駅の謎は深まります。

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懐かしの諏訪駅構内全景

2025年05月03日 | レモン色の町

諏訪駅構内の全景写真が『文化の諏訪駅』に掲示してあった。今まで見たことがなかった北側、近鉄線下りホームが写っている。昭和25年撮影。発見でアリマス。

左改札を入ると左に八王子線(現:あすなろ鉄道)のホームがあり、湯の山線の線路をまたいで中央のホームに上がると左側に湯の山線、右側に名古屋行のホームになる。

もう一つ近鉄線の線路を渡ると、北側が大阪方面下り線になる。

これは昭和30年廃線直前の写真であるが、ちょうど中川行の急行が停まったところである。

諏訪駅の北側にも改札口があって、どぶ川が流れ付近には水谷食堂や本屋が並んでいたようだ。

北側改札口は、赤線地帯である港楽園に直結していた。女高生には駅北口から西へ行ってはならん!とのお達しがあったようだ。これは当時の航空写真でアリマス。

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在りし日の善光寺カーブ

2025年04月30日 | レモン色の町

嘗て、文化の諏訪駅が1番街にあった。二階会議室へ上がる階段の壁面に昔日の写真が飾ってあった。ここにお借りすることができたので掲載する。

昭和30年、諏訪駅を出た近鉄特急が四日市駅に差し掛かる。善光寺カーブである。

水谷宜夫さんの写真

昭和27年、下り急行の車内窓から逆方向、四日市駅ホームに向かって撮られた写真。電車の音が聞こえてきそうだ。

ここの踏切は自転車のおばさんが待っていた踏切と一致する。

昭和31年9月、もう少し四日市駅へ進めた光景。西駅の改札口から通路を通り、ホームへ上がる坂が見える。人の気配が途絶えた感がある。諏訪駅へ伸びる線路は既に廃止されているのか?

昭和31年8月、廃止直前の四日市駅。上り急行 名古屋行からホームへ降りる人々。ホームには“ひかりや”さんの看板が挙がる。

<追記> 昨年の5月4日、ブログで月岡夢路さんの「白夜の妖女」を紹介させていただいた。その一部がユーチューブに掲載されていたのでご紹介する。

月丘夢路 『白夜の妖女』(1957):原作:泉鏡花『高野聖』ダイジェスト

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