写真は、4月5日撮影の桜です。今日の記事とは関連がありません。
近く休刊される雑誌「諸君!」の5月号に、面白い対談が載っていた。
テーマは、「麻生太郎よ、保守の気骨を見せてくれ」となっていた。
出席者は、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、櫻田 淳(東洋学院大学准教授)、宮崎哲弥(評論家)の三人。宮崎氏が司会の立場だった。
保守政治家とはどうあるべきか。二人の立場が微妙に違っていた。
櫻田氏は、「つねに国民の幸福の総和が最大となるよう、臨機応変に政策を打ち出す人々のことです」 と言っていた。
さらには、「外交政策は、その時々の情勢次第で柔軟かつ臨機応変に運用しなければ、長期的な国益を害します」 とも言っている。
櫻井氏は、「国家としての日本の生存を第一に考える」 のが保守の条件だとしている。
さらには、「日本の生存という言葉には、文化・文明、価値観における日本らしさの維持も、重要な要素として含まれます」 と言っている。
今の日本の混迷は、保守派と言われてきたこの二人の違いに象徴されているのではないか。
「河野談話」も「村山談話」も、櫻田氏の言う「臨機応変」によってもたらされた。
その結果として、今もってそれらの「談話」に縛られ、一歩も踏み出せない日本がある。
北朝鮮による今回のミサイル問題も、過去の臨機応変の結果と言えなくもない。
私は、櫻井よしこ氏の言う「国家としての日本の生存を第一に考える」ことが、混迷や閉塞感から抜け出すための基本スタンスと考えている。
今の日本は、過去の「その場凌ぎ」の弊害が出ているのだ。
真の保守がいいか、リベラルがいいか、それとも革新がいいか。
いろいろな立場があっていい。
しかし、「誇りある日本の存在」を否定する人はあるまい。
「国民の幸福の総和が最大」と言うだけでは、何が国民の幸福かが抜け落ちている。
北朝鮮のミサイルは、日本人に「考えること」を突きつけてきた。
逃げずに考えなければなるまい。
何よりも政治家。単に選挙戦術論に終始するのではなく、「どんな日本であるべきか」の視点に立った政策論議を求めたい。
姑息なその場凌ぎの「臨機応変」は止めるべきだ。過去の結果が物語っている。
それとも、懲りずに「臨機応変」という逃げ口上をいい続けますか。
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