私は右派でも左派でもない。愛国派だ。
私は保守でもリベラルでもない。愛国者だ。
愛国者と言うと、極右活動家と思われた頃があった。そんな意味の愛国者ではない。
日本の歴史と伝統を守り、この国の領土と国民の財産・生命を守りたい。その意味の愛国者だ。
国民の生命や財産を守るにあたり、誇りを失わないことは当然の話だ。
国のために生命を投げ出していいとは思っていない。やはり生命は惜しい。
しかし、生命が欲しいためだけの理由で、理不尽な強制には屈しはしたくない。やはり、誇りは失いたくない。
ミサイルを撃ち込むぞと恫喝されても、屈したりはしたくない。
そのような私だが、いや、そのような私であるがゆえに、この国の現状に満足はできない。
外交や政策の実行にあたり、その場限りの一時凌ぎで逃げてはいけない。
そんなことを考えたとき、現状には疑問を抱いてしまう。歳のせいだろうか。
このままの日本で、いいはずがない。子供や孫たちに、嘆きを押しつけることになりそうだ。
国家像をどのように考えるのだろうか。
この国をどのような国にしたいか。面倒な話は先送りしているのではないか。
国防の問題をどう考えるのか。このままの日米安保条約で、大丈夫なのだろうか。
福祉の問題をどう考えるのか。少子高齢化の進展に、対応できるのだろうか。
国家財政をどう考えるのか。このままでは、子孫にツケを残すことになってしまう。
教育をどう考えるのか。将来を託すに足る若者が育ってくれるだろうか。
正直なところ、現在の日本の政治家に、心からなる信はおけない。
世襲制の制限について、声を上げた自民党政治家がいたが、潰されそうな雰囲気だ。
「職業選択の自由を侵害する」 これが反対の理由らしい。笑ってしまうね。
現在の自民党は、世襲議員がかなり多い。幹部にも多い。だからすんなりは行くまい。しかし、それを乗り越えられなくては、自民党の未来はない。
政治家の最大の心配事は、自分が当選できるかどうかということ。国の話は2番目だ。
だから、マスコミなどが実施する世論調査が、気になってしかたがない。
論議はいつも支持率からスタートし、支持率で終わってしまう。
嘆いているばかりではダメだ。今年こそ大転換記にしなければならない。
再生日本の礎を、今度こそしっかり創ろうではないか。
愛国者の私は、心からそう思っています。
別館として、写真俳句ブログの「いのちも囁き」を開いております。
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