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能力主義選抜の帰結として階級社会が到来するという

2013-09-27 08:43:25 | 読書ノート
チャールズ・マレー『階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現』橘明美訳, 草思社, 2013.

  近年の米国社会の動向を詳細なデータを見ながら追ってゆくという社会評論。原書は“Coming Apart: The State of White America, 1960–2010”で、昨年発行されている。「階級分断現象を憂う」というテーマを聞いただけでリベラル系の著作だろうと予想したくなる。ところが著者は保守派である。マレーは“The Bell Curve”(Free Press, 1994, 未訳)でIQを扱って批判を浴びた二人の著者の一人である。

  話は単純。過去の米国社会は社会移動が激しく、低い出身階級から立身出世した者が、社会を動かすような地位に就くことも稀ではなかった。ところが、近年の米国社会は階級が固定化され、階級間の移動が難しくなりつつあるという。上流層には、有名大卒でかつ専門職や管理職に就く「認知的エリート」が増えている。彼等は、似たような大学の出身者や似たような上級職に従事する異性と夫婦になる。遺伝的な理由でその子どもたちもまた賢く、良い大学に進学して良い仕事に就き、結果として支配階級が再生産される。彼らは、犯罪の少ない優良なコミュニティの中で安全に暮らし、米国の下流層の姿を知らないままに社会の舵取りをするようになる。そして著者はそれは危険なことだという。一方で、高卒ブルーカラーを母体とした低賃金労働者および無業者のグループも存在し、そこでは家庭の崩壊、信仰の喪失、失業と犯罪がある。彼らをこうした状況に追い込んだのは福祉国家であり、それはブルーカラー男性をして家庭やコミュニティ維持に無責任な態度を取らせやすいものだと非難している。

  こうまとめるとたいして珍しくもない議論だが、データを白人家庭に絞っていることと、階級の再生産が認知能力に負っているとしているところが本書のミソである。富裕層に白人が多いことは想像がつくことだが、この種の議論では底辺層として有色人種──主に黒人──が対置されてきた。著者はそうした紋切型を避けるべく、社会の底辺に滞留して抜け出せない白人層も大きなグループ("white trash"というらしい)を占めているのだと指摘する。そして、そのような格差を生む要因は、人種ではなく認知能力であるという。この認知能力の差が生まれる理由として、社会学者が原因として指摘するような家庭環境の差だけでなく、遺伝的な能力差もまた挙げられている。すなわち、格差は似たような文化と同程度の認知的能力を持つ者同士の結婚を原因とするもので、それは能力主義選抜の失敗ではなく、むしろ能力主義選抜が進学や上級職の世界に行き渡った結果なのだ、と。

  以上である。しかしながら、上のような論理展開から「福祉国家を止めてアメリカ建国の精神に還れ」と著者が結論するのは論理の飛躍であるという印象を持った。むしろ逆だろう。著者の言うように、格差の原因が似た者同士のカップリングであるならば、有効な政策は何もない。正確に言えば、能力主義や選択の自由という資本主義的(=アメリカ的)な原則を維持したまま、そうした傾向を修正することはできない。ならば、対処療法的に福祉国家による所得移転によって国家の一体感を維持する他ないという結論になるはずである。ちなみに、これは米国だけの傾向ではないだろう。日本においても、橘木俊詔・迫田さやかによる『夫婦格差社会』(中公新書, 2013)で「パワーカップル」なるエリート層夫婦の形成が指摘されていた。
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