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ライトノベルにとどまらず近代子ども文化史の書き換えまでを射程

2014-12-03 12:56:49 | 読書ノート
大橋崇行『ライトノベルから見た少女/少年小説史:現代日本の物語文化を見直すために』笠間書院, 2014.

  日本大衆文学史。マンガやアニメの鬼子みたいに考えられてきたジャンル「ライトノベル」の起源を、そもそもマンガやアニメ自体が明治~昭和期の少年・少女向け娯楽小説の影響を受けているんじゃね?と遡ってみせる内容。子ども向けの娯楽作品を分析対象として選んでいるのだが、返す刀で「では正統な文学とは?」と問いかけてくるところもあり、なかなか奥が深い。図書館における「ヤングアダルト」概念への言及もある。

  第一章はライトノベルの定義の考察。先行する言説に対してかなり戦闘的な書き方で、またくどい気もするが、著者がそういうタイプだからこそ本書のような革新的な視点を持てるのだろう。第二章は、正統派の児童文学史が扱わないような少年小説(押川春浪とか講談本、赤本)や少女小説(性関係を扱うもの)を採りあげ、マンガに先行する表現パターンを挙げる。第三章は、ライトノベルをライトノベルたらしめている要素についての考察。それと文学との違いとして、キャラクターが自分の心的状態についてすべて説明してしまうこと(対して文学ならば読者の解釈にまかせる)、セリフ部分(ぼく、おれ、わし等)によってキャラクターの性別から出身階層・性格までわかってしまうこと、を挙げている。セリフでキャラクターがわかるのは、読者の側で人物造形のパターンが共有されているという理由からなのだが、こうした読者共同体の成立はやはり少年少女向け娯楽小説に遡ることができるという。

  1960年代から70年代にかけてマンガ・アニメが子ども文化の中であまりにも支配的になってしまったために、それ以前の少年少女小説の系譜が忘却される。その結果、ライトノベルがマンガ・アニメの影響「だけ」で成立したかのように勘違いされている、というのが著者の見立て。また、はっきりそうは書いていないけれど、本来子ども文化の主流はこうした娯楽小説であり、児童文学は傍流にすぎない、という認識も透けて見える。個人的にもこの点には納得で、巌谷小波や江戸川乱歩の作品における少年の造形はどちらかと言えば「週刊少年ジャンプ的」で、児童文学史では大きく扱われる『赤い鳥』系の繊細な子供たちと全然違うという印象を持っていた。これらの点で、日本の子ども文化史の見直しを迫る力強い問題提起の書として高く評価したい。
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