29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

「狭い回廊」に入って留まり続けることの困難

2020-02-16 10:38:40 | 読書ノート
ダロン・アセモグル, ジェイムズ・A.ロビンソン『自由の命運:国家、社会、そして狭い回廊』櫻井祐子訳, 早川書房, 2020.

  制度の観点から各国比較をするという試み。『国家はなぜ衰退するのか』の続編となる。長いけれども一般向けである。原書は、The narrow corridor: states, societies, and the fate of liberty (Penguin, 2019.)である。

  前著で「包括的」と「収奪的」の二つに分類された政治経済体制のうち、「収奪的」の方がさらに「専横的」と「不在」に分割されている。前者は国家が強すぎるケースで、後者は国家が機能せずに「社会」が強すぎるケースである。このときの「社会」とは、部族だったり、階級だったり、中間共同体だったりいろいろだ。「専横的」と「不在」のどちらのケースも、暴力を抑止することができず、個人の自由が失われる。結果として、イノベーションが阻害される。

  繰り返し提示されるのが、x軸に社会の強さ、y軸に国家の強さをとったグラフである。その45度線上に、国と社会の間の力関係においてバランスの取れた先進国が現われる。著者らはそれを「狭い回廊」と呼んでいる。

  本書は、狭い回廊の中の国、社会の側に外れた国、国家の側に外れた国を、過去か現代かを問わず、その形成過程を詳細に分析していくという内容だ。分析されるのが、初期イスラム国家、古代ギリシア、中世イタリアのコムーネ、インド、ナイジェリア、ガーナ、米国、ワイマール期のドイツ、中国、コロンビア、南アフリカ共和国、スウェーデン、コスタリカ、チリ、レバノンなどなどである。日本については短い言及があるだけで大きく取りあげられてはいない。

  日本の読者にとって参考になるのは、やはりドイツのケースだろうか。国の制度はある程度行き渡っており、政府が不在となる局面は少ない。しかし、さまざまな「社会」が相互不信に陥り、そのうち特定の「社会」が権力を握るならば、抑圧的なシステム(ある種の問題を放置するという無能さも含む)が出来る恐れがある。これは実際過去に経験したことだろう。したがって、社会の動員(=政治参加)を促して国家を監視し、社会間で調整かつ協力を促すことが重要だというのが、本書から得られる示唆である。「どうやって」という話は読者の側にある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マイブラ中毒患者のための代... | トップ | マルチレベル淘汰を導きの糸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書ノート」カテゴリの最新記事