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米国中南部植民地こそ米国史的に重要であり、北部は特殊である

2013-08-28 10:39:31 | 読書ノート
ジャック・P.グリーン『幸福の追求: イギリス領植民地期アメリカの社会史』大森雄太郎訳, 慶應義塾大学出版会, 2013.

  米国社会史の専門書。ボストン周辺の東海岸北部を米国社会揺籃の地とみるニューイングランド中心史観に、もう一つの入植地であった東海岸中部のチェサピーク湾(メリーランド州やバージニア州がある)を対置するという論争的な内容である。そもそもニューイングランド中心史観の影響力を理解していないとまったく面白くないだろう。原著は1988年。

  17-18世紀にかけての人口構成や経済・社会体制などをデータとして挙げながら、チェサピーク湾を筆頭に、他の英国植民地──ニューヨークなどの中部、サウスカロライナなどの南部、ジャマイカなどのアンティル諸島、そしてアイルランド──のどこでも、ある程度共通性のある、利己的かつ個人主義的な植民地社会が発達したことを論証する。その中で、宗教による強い統制があり、富に対して警戒心のあったニューイングランドは、かなり例外的な社会であった。しかし、経済発展の過程でその共同体志向は薄れてゆき、他と同様の「個人の利益を追求する」社会に変貌してゆく(それは聖職者からすれば「堕落」とみなせるようなものだった)。こうして独立前後には、米国東海岸によく似た価値観を持ついくつかの植民地共同体が出来上がる。だが、それは決してニューイングランドからの影響で広がったのではなく、他の植民地がすでにもっていた資本主義的なエートスを、ニューイングランドも受け入れるようになっただけ、というわけである。

  では「なぜニューイングランド史観が後世に優勢になったのか」については、簡単な示唆に留まっている。独立当初からの米国大統領五人のうち四人はみなバージニア州出身で、チェサピーク湾植民地の建国当初の他の地域に対する高い地位は明らかだった。しかし、19世紀になると北部の州と南部の州は対立し、北部側が勝利する。この結果、バージニアを含む南部の相対的地位が低下した。こうした理由のためだろうと著者はほのめかしている。

  日本ではウェーバーの『プロ倫』がいまだ強い影響力を持っているようだが、本書ではまったく言及されていない。しかし本書は、資本蓄積は信仰心の弱い他の植民地の方により強く展開したというもので『プロ倫』の反証になっている。そもそも今どきの制度派経済学が重視するのは「財産権の保護」(参考)であるので、『プロ倫』はもう時代遅れなのだが。さようなら『プロ倫』。
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