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ダンス重視の歌謡曲という埋もれた系譜を発掘する

2015-07-22 08:58:13 | 読書ノート
輪島裕介『踊る昭和歌謡:リズムからみる大衆音楽』NHK出版新書, NHK出版, 2015.

  踊りを軸に展開する昭和流行歌史。占領期のジャズから、1950年代後半から1960年代前半にかけての、マンボなどカリブ海産のラテンのリズムを採り入れた「ニューリズム」(レコード会社がそう煽った)の時代、1970年代後半のディスコとピンクレディー、1990年前後のユーロビートとAvex、と話は展開してゆく。記述の中心はニューリズムの時代で、ロックが覇権を握る以前に、出自の多様な音楽ジャンルが共存した国際的な音楽シーンが存在したことがわかって面白い。

  ただなあ、一周まわっていわゆる「売れ筋」が評価されるだけか、という感慨もある。本書は、鑑賞性の優位に対して、これまで下世話だと考えられてきた「踊り」を対置することによって、これまでの音楽観の相対化を試みるというものだ。鑑賞を優位に置く芸術音楽には、クラシックだけでなく、レコードに高い完成度を求めるような、後期ビートルズを筆頭としたロック音楽もまた入る。この種の二項対立論には、演奏者と聴衆の分離を問題視して、座席に縛られた聴衆を開放する参加型音楽を止揚するというパターンがある。このパターンは1970年代にパンクが登場したときにも、1990年代にクラブミュージックが流行ったときにも使われた。パンクのときもクラブ音楽のときも新しい音楽に出会えたからまだいい。だが、本書では氣志團とかAKB48だ。ちょっと盛り上がらない。

  この図式に対して疑問に思うのは「大衆音楽の世界で「正統」はそんなに強力なのか」という点だ。鑑賞優位の音楽など、洋楽の中のそのまたごく一部であって、セールス的にはまったく大したことはないだろう。それは目の敵にするような抑圧的な存在ではなく、世間ではオタクと馬鹿にされるようなマイナーな趣味の世界にすぎない。こういう貧弱で支配力も無い「正統」に変えて、より売れ筋のヒット作品を持ち上げたところで、日本の音楽は豊かになるのだろうかと感じるところだ。混乱の中で正統を創りだそうとする労苦のほうが僕は評価に値すると思うのだが。

  良い本だし知らないことばかりで勉強になったのだが、著者の相対主義があまり生産的でないように思えたもので。前著では、「伝統的だと考えられている演歌は実は1960年代後半に誕生した」というフーコー風の転倒が目から鱗だった。本書にはそういう驚きはない。僕は、この種の音楽本に対しては、新しい音楽の紹介かまたはすでに知っている音楽の新しい聴き方の教示を期待してしまう。このような僕の期待に問題があるのかもしれない。
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