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演歌が大衆の心を掴んでいた期間は意外に短い

2011-08-05 10:05:22 | 読書ノート
輪島裕介『創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』光文社新書, 光文社, 2011.

  カルチュラル・スタディーズ。1950年代から60年代にかけての「レコード歌謡」が、1960年代後半に「演歌」としてカテゴライズされ、ナショナリズム的な意味を付与されていった過程を見る作品。とても説得力があり、面白い。

 「レコード歌謡」とは著者独自の概念。著者によれば、それらは今では「演歌」として扱われているが、当時はそう呼ばれなかったし、またその出自も演歌が想起させるような意味での「日本的」なものでは無かったという。フランク永井が得意としたようなムード歌謡の多くは、ジャズやラテンの影響を受けており、当時は「洋風」の音楽として受容されていた。当時の歌手の出自も、クラシックの訓練を受けた1930年代の歌手(淡谷のり子ら)から、ジャズ、シャンソン、浪曲、どんなジャンルでも歌った流し歌手と様々だった。また現在演歌歌手とみなされる歌手(美空ひばり等)が当時吹き込んだレコードも、流行に合わせた、ジャンルにこだわらないもので、そのあり方は「演歌」的一筋さや苦節から遠いものだったという。

  変化は1960年代後半に訪れる。専属作家制の崩壊である。それまでのレコード歌謡は、レコード会社に専属する作曲家と作詞家によって作られていた。ところが、グループサウンズの時代になると、筒美京平などフリーの作詞家・作曲家が台頭してくる。その後1970年代になると、「ニューミュージック」にカテゴライズされる自作自演の音楽家も一般化する。レコード制作の分野で、こうした非専属作家による「新しい」音楽と、これまでの専属作家による「古い」音楽という線引きがなされるようになる。そして、「古い」という否定的レッテルを張られた後者のアイデンティティとして、「日本の心」が要請されたというのである。

  その際に参照されたのが五木寛之の小説『艶歌』であり、そのヒロインを体現したような歌手・藤圭子である。五木は、「遅れた日本」という戦後民主主義によって否定的に語られてきた価値を反転させて肯定的なものとする新左翼イデオロギーを背景に、近代的洗練から見放された日本を称揚する。そして、「長い下積み」「マスメディアに頼らない宣伝活動」「暗くて頽廃的・アウトロー的」「昭和初期から連綿と続くジャンルで現在衰退しつつある」というイメージを「演歌」のラベルの下にまとめあげた。直後に登場した藤圭子は、彼の「演歌」概念を戦略的に取り込んだマーケティングによって一世を風靡した。こうして、1960年代末期に現在の演歌イメージが普及したのだという。だが、その全盛期は1980年代前半までで、産業としては十数年程度しか大きな収益を上げていない。

  もちろん、明治に自由民権運動とともに誕生した「演歌」概念についても目配りがある。古賀政男のメロディーが、西洋音階に出自をもっているという影響関係の指摘も細かい。その他さまざまな洞察があり、小ネタ集としても使える。言及されている大半の曲もYouTubeで視聴でき、読者による曲の検証も困難ではないだろう。

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