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レッシグ『コード』以降の米国における「表現の自由」

2016-11-02 09:13:12 | 読書ノート
成原慧『表現の自由とアーキテクチャ:情報社会における自由と規制の再構成』勁草書房, 2016.

  レッシグの『コード』における問題提起を受けて、表現の自由を守るためにアーキテクチャをどうコントロールしたらよいかについて考察する内容。どちらかというと法学書で、議論は米国の連邦最高裁の判例をベースとしている。技術の話が無いわけではないが、タイトルから想像されるよりは少ない。人々の情報取得方法を変えた技術の存在は所与となっていて、評価の対象ではない。むしろ、そうした技術に合わせてどう表現の自由を実現してゆくかについての概念的な議論が展開されている。

  インターネットの世界では、プロバイダーのような民間企業が利用者に表現の機会を提供している。これによって、政府による表現の統制は難しくなったわけではなく、むしろ少数の企業を対象とすることで十分となったために政府の表現への介入は容易となっている、と著者はいう(外国にサーバがあるケースなど難しくなった面もあるが)。こうした状況に関連する議論──表現の自由の理念、性表現の規制(CIPAをめぐる裁判の考察もある)、著作権、安全保障、忘れられる権利──について採りあげ、議論を整理している。

  米国での論争を伝えてくれる点で便利ではある。だが、アーキテクチャ論であるならば、著作権と安全保障の章はもっと厚くても良かったと思う。表現の自由の理念の話や性表現規制の話はもっと詳しい本もあるし、端折っても良かった。たぶん、著者はインターネット登場以降の表現の自由に関連するさまざまな領域での議論を通覧して関連付けてみることを優先したのだろう。
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