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通勤は自由をもたらし、かつ人間の本性も満足させる、と

2016-11-25 21:07:17 | 読書ノート
イアン・ゲートリー『通勤の社会史:毎日5億人が通勤する理由』黒川由美訳, 太田出版, 2016.

  通勤をテーマにした一般書籍で、都市論の一断面という位置がふさわしい。著者は英国のジャーナリスト兼ライターで、記述はアカデミックではなく、考察の付いたエッセイという赴きである。取り上げるトピックもアドホックだ。原書はRush hour: How 500 million commuters survive the daily journey to work (Head of Zeus, 2014.)。

  鉄道による毎日の通勤という現象が生まれた19世紀から説き起こして、通勤者の社会階層の変化、英国と米国のほか日本・ソ連・インドの通勤事情、自動車通勤、自転車およびバイク、ロードレイジ(Road Rage:車での割り込み対する運転者の逆上現象を指す。あちらでは殺人に発展したりすることもあって問題となっているらしい)、在宅勤務、自動運転車について扱っている。日本の話においては満員電車での痴漢が大きく扱われており、もっと他に語るべきトピックがあったのではないだろうかと思わないでもない。

  著者は「都市は不潔かつ不衛生であり、緑のある都市郊外に居を構えて街中に通勤するというのは合理的である。また、移動は狩猟本能に根差しており通勤はそうした人間の本質を満たすことができる。さらに通勤者が独りになる時間を確保できることもメリットである」と主張している。

  だが、このような論陣を張るならば、人口密度の高さを評価する論者(例えばグレイザー)と対決してほしかった。渋滞や満員電車は郊外からの通勤の帰結だし、20世紀後半の都市は19世紀のそれとは異なって衛生的にもなっている。なにより人口密度の低さは生産性を低めると言われている。なので、著者のいう通勤のメリットは相殺されてしまっているのではないかと疑問に思わなくもないからだ。いずれにせよ、軽く読める本である。
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