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社会の格差の原因についての不吉な知らせ

2015-07-13 08:32:08 | 読書ノート
グレゴリー・クラーク『格差の世界経済史』久保恵美子訳, 日経BP社, 2015.

  格差論。原題はThe Son Also Rises (2014)。邦題では「経済史」となっているが歴史書というわけではない。内容は19世紀から今日までの間、経済体制や社会制度のどのような変化があろうと、各国で親から子へと社会的地位の継承は続いており、それは通常考えられている以上に高い確率で相続されていると主張するものである。

  財産を基準にして親世代と子世代の相関度を測ると、国よってばらつきはあるけれども、だいたい0.4ぐらいになるそうだ。この値が低いほど開かれた社会ということになる。しかし、焦点を財産ではなく社会的地位に充てるならば、どこの国でも世代間の相関度はおおよそ0.7~0.8の間に収まるという。生まれによって、最終的にその人が獲得できるおおまかな社会的地位は予想できるのである。

  その論証のために「希少な姓」が用いられる。貴族出自や農民出自であることがはっきりしている姓を採りあげ、人口中にそれが出現する割合と、医者・弁護士・エリート大学などの名簿に出現する確率を比較するのである。前者の割合より後者の割合が高いということはその姓がエリート層にあるということだ。日本の場合は華族・士族の姓(具体的な名字は挙げられていない)、中国の章では科挙試験合格者の姓が使われている。分析の結果、格差大国の米国と平等重視のスウェーデンの世代間相関度は大して変わらないことが明らかにされる。日英中ほかでもどの国でも同じ程度らしい。

  一方でまた、非常にゆっくりとではあるが、世代を経るにつれて、かつてのエリート層が社会的地位を下降させて平均に近づいてゆく傾向が見られることも確かだという。その理由は、社会が開かれるにつれてさまざまな社会階層間の婚姻が促進され、その子世代の能力が平均化されるからである。同様に、かつての非エリート層には平均に向かう上昇プロセスが観察される。ただし、カーストのあるインドでは、カースト内で婚姻を繰り返すために、国民の平均へ向かったエリート層の地位下降が起こらないという。

  どういうことかというと、社会的地位として継承されているように見えるものの実体は、遺伝的能力であると、著者はいうのだ。結局、地位達成には能力(はっきり書かれているわけではないが、「能力」に我慢強さや人当りなどが含まれていることは明白である)的な要素が大きく、19世紀も20世紀もこの点で大してかわらない。このため、社会保障を充実させようが文化大革命などでエリート層の多くが放逐されようが、社会的地位の世代間相関度は大きな変化を受けないのだ。社会の流動性は政策的にコントロールできないということになる。

  この結果を踏まえた著者の提案は次のようなものだ。スウェーデンの社会的流動性の低さを見て、機会均等のための投資、特に教育への投資の費用対効果は高くないとする。これはヘックマンへの反論にもなっている。かわりに、結果の平等のための単純な再分配で十分ではないかというのだ。また、個人に対しては、能力主義的な配偶者選択──配偶者候補が実際に達成した地位とは異なる基盤的能力を、親族の平均的地位から見極めよというやや複雑なアドバイス──を推薦している。

  正直に言って、個人的には実に嫌な書籍だった。我が一族のような家柄など無い下層庶民を憂鬱にさせる内容である。フォントのわりにはデカいし(A5版サイズだが四六版でいけたはず)。あれこれ難癖をつけたいところだが、長くなったのでここまで。
コメント (2)
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