29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

勝ち組男性の孤独対策、人間関係の維持に努力せよ、と

2024-08-08 07:00:00 | 読書ノート
トーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか:男たちの成功の代償』宮家あゆみ訳, 晶文社, 2024.

  心理学。中年以上の男性が自殺する原因について探っている。原書はLonely at the Top: The High Cost of Men's Success (St. Martin's Press, 2011)である。邦訳では特に言及されていないけれども、フロリダ州立大学の心理学教授という著者プロフィールからは、『自殺の対人関係理論:予防・治療の実践マニュアル』(2011, 日本評論社)の著者と同一人物であると推測される。彼の主著はWhy People Die by Suicide (Harvard University Press, 2005)だが、未邦訳である。

  男性は、子ども時代から与えられた人間関係を当たり前のものとして享受し、コミュニケーション能力を磨くことをせず、仕事に邁進する。その結果、晩年になって家族から見離され、友人もいない状態になり、孤独のまま精神のバランスを崩して自殺することになる。にもかかわらず、追い込まれるまで自身は孤独なままでも平気だと思っているという点が深刻である。男性もまた女性が子ども時代からそうしてきたように人間関係を維持する努力をすべきだということを、豊富なエピソードを交えて論じている。

  読むうえで気を付けなければならないのは、男性一般の、ましてや弱者男性の話などではなくて、原書タイトルから示唆されるように、仕事に打ち込んでそれなりの稼ぎを得てきた(一時的にせよ)社会的にも認められた男性、彼らの孤独が問題視されているという点である。彼らは、プライドが高くて自己決定権を持つことを尊び、そのせいで周囲と衝突し、なおかつ他人に助けを求めることができない。彼らは、成長期や社会人である途上で仕事(あるいは仕事をうまくこなす能力)にエネルギーを注ぐことを選び、人間関係維持にエネルギーを注ぐことが少ない。また周囲も「男性だから」という理由でそれを許容している。著者はこのことを甘やかし(spoil)という表現で批判している。

  以上が、成功した男性もそれなりのコミュニケーション能力を磨くべきだという理由である。そのような男性の厚生に限れば、これはメリットのある提案なのではないだろうか。ただし弱者男性論の文脈ではそうではないかもしれない。ある程度の稼ぐ能力がなければ家族にせよ友人にせよ人間関係を安定的に維持することは難しいだろう。厚生を維持する以前の状態である。なので、まずは働いてそれなりの収入を得よというアドバイスのほうが適切かもしれない。仕事と人間関係維持にはトレードオフがあるということなんだろう。
  
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米国の2010年前後の状況を元にした「情報と民主主義」論

2024-08-07 07:00:00 | 読書ノート
John M. Budd Democracy, Economics, and the Public Good: Informational Failures and Potential Palgrave Macmillan, 2015.

  図書館情報学、といっても米国社会の話が主で図書館が出てくることはほとんどない。主に民主主義と情報の関係について政治哲学の議論を取り入れながら論じている。著者は米国の図書館情報学者で、このブログでは以前Knowledge and Knowing in Library and Information Science (Scarecrow Press, 2001)を取り上げたことがある。

  冒頭の1章でまず、米国では「リベラル」概念が、権利の拡張派にも穏健派リバタリアンである保守派にも両者に利用されているのは混乱である指摘する。そこで2章では、後者を「新自由主義」としてリーマンショック後の経済危機を理由に批判し、権利の拡張派から切り離す。続く3章でも、公共財(public good)と公共圏(public sphere)といった概念を用いて、米国政治の制度的腐敗を論じている。4章では、上のような危機と腐敗の原因として「情報の失敗」があると議論される。この章では米軍による監禁事件などかなり具体的な例が挙げられている。最後となる5章では「情報提供の可能性」が論じられる。単なる情報の提供ではなく、真実である情報である。かつ送信者がそのような情報を伝えることを意図していることが、民主政体を維持してゆくうえで重要だという。このほか教育制度、オキュパイ運動、ティーパーティ運動への言及がある。

  以上。タイトルからかなり抽象的な議論が展開されるのだろうと予想して読んだが、思いのほか時事的で、リーマンショック後の米国社会の混乱について詳しく、またそれを前提として議論が組み立てられている内容だった。残念ながら本書による概念整理は十分説得力のあるものだとは思えない。だが、議論の前にまず正確な情報をということについては同意できる。
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オープンアクセスの効果と費用をめぐる実証研究

2024-08-06 10:28:47 | 読書ノート
浅井澄子『オープンアクセスジャーナルの実証分析』日本評論社, 2023.

  オープンアクセス(OA)化された学術雑誌の効果と費用について探った専門書籍である。著者は明治大学経済学部の教授で、このブログでは前著の『書籍市場の経済分析』を取り上げたことがある。

  OA化は論文を投稿する側に「論文処理料」という費用負担をもたらした。1章では、OA化という理想が、既存の雑誌をハイブリッド誌からOA誌へと転換させるトレンドを生み出したが、その渦中でRead&Publishという購読料と論文処理料のバンドル契約をもたらし(出版社と大学間の契約)、これが出版社間の競争を阻害して大手出版社を有利にする可能性があると論じている。

  以降の章では以下のような疑問を扱っている。2章では、OA誌掲載論文はそうでない論文より被引用数が高くなるか?──答えはジャーナル側の編集戦略次第だという。3章では、Elsevierほか大手学術出版社が短期間に多数のOA誌を保有することを目指した理由は何か?──委託するジャーナル側にも事情があるとのこと。4章では、購読料と論文処理料の決定要因は何か?──高い被引用指標と、ハイブリッド誌に限れば大手出版社の独占力が影響しているという。

  5章では、著者が投稿先を選択するうえで論文処理料の価格は影響するか?──影響しないとのこと。6章では、OA誌に掲載される著者が属している国の分布が調べられ、ハイブリッド誌の分布と比べると低所得国の著者が多くなっているという。7章では、ハイブリッド誌におけるOA論文とそうでない論文のアクセスパターンの分析で、OA論文のほうがアクセス数が多くなるけれども減衰の時間的パターンはそうでない論文と変わらないとしている。

  以上。先行研究にも詳しく手堅い内容である。今後は、高騰する雑誌購読料または論文処理料を抑えるための議論をするならば本書を踏まえるべきということになるだろう。もちろん、本書でも最後の章でその議論がある。
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大学の受験科目に数学を必ず課すべきとはいうもののしかし...

2024-08-05 21:30:05 | 読書ノート
西村和雄 , 八木匡編著『学力と幸福の経済学』日経BP/日本経済新聞出版, 2024.

  教育経済学。回帰分析なども出てくる論文集であり、一般読者にとって読みやすいとは言い難い。けれども、得られる知見は有益であり、手っ取り早く結論部分だけ読むというのはありかもしれない。なお、編著者の西村和雄は数理経済学を専門とするが、かつてセンセーションを巻き起こした『分数ができない大学生』(東洋経済新報, 1999)の著者の一人である。

  冒頭の論文の初出は1999年で、それから2024年発表に至るまでの四半世紀に及ぶ論文が14本(=14章+終章)続く。いずれの章も教育・育児についてデータ分析を施している。最初の1~3章は1990年代のゆとり教育批判であり、当時の大学生の学力低下が懸念されている。続く4章~8章が本書の中核部分で「文系より理系のほうが所得が多い、数学を受験科目として大学入学した者がそうでない者より社会に出てからの給与も高い、それゆえ数学教育を重視せよ」と説く。9章~12章は家庭教育の話で、しつけのスタイル──支援型、厳格型、迎合型、放任型、虐待型──によって幸福感や倫理感が変わってくるとする。最後の13~14章は個人の行動スタイルや思考タイプについて分類している。

  以上。数学が重要でかつ支援型家庭教育が望ましいという主張については納得できるものだ。問題は、そのためのコストに社会や家庭が耐えられないかもしれないという点である。少子化の中、ゆとり教育以前のようにあれこれ厳しくするというのも難しいことだろう。受験教育を通じて数学力を高めるという以外の方法を考えてみてもいいかもしれない、と簡単に言ってみるものの、アイデアがあるわけではない。
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地方メディアの生残りと地方情報の流通環境維持の努力についてルポ

2024-08-04 21:09:00 | 読書ノート
松本恭幸『地方メディアの挑戦:これから地方紙、地方出版・書店、地方図書館はどう変わるのか』風媒社, 2023.

  インターネット情報源が普及した後、地方の紙メディアの出版流通はどう変化したか、について伝えるルポルタージュ。図書館の話もある。著者は摂南大学の先生で、風媒社は名古屋に本社のある出版社である。

  地方紙、地方出版社・小売書店、地方図書館の三部構成となっている。地方紙はどこも「読者の高齢化とインターネットの普及で購読者が激減し、デジタル化を図るもののマネタイズが難しい」というパターンにハマっている。地方出版社や書店も読者の減少で徐々に体力を削られて...という状況の中、本書は比較的うまくいっている事例を集めている。地元密着方のweb情報源となって読者から記事を投稿してもらう、一定額を預けて書店員に購入タイトルを選書させる、カフェなど別業種と書店とのスペースの共有、などである。

  図書館のところでは、山中湖村、小布施町、瀬戸内市、都城市、札幌市(の図書・情報館)、西之表市、岐阜市、鳥取県、さらにまちライブラリーや地方のアーカイブスが取り上げられている。あまり知られていない地方の視聴覚ライブラリーの現状についても頁が割かれている。

  これを読めば地方出版の未来を楽観できるというものではないけれども、真剣な生残りの努力を続ける地方新聞社・出版社・書店について知ることは出版関係者の刺激になるのではないだろうか。本書が扱っているような「地方情報の流通環境の維持」についてはこれまであまり考えられてこなかったと思う。その点で貴重なルポである。
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米国通による米国映画のディティールを記号として読む本

2024-07-26 21:08:00 | 読書ノート
渡辺将人 『アメリカ映画の文化副読本』日経BP/日本経済新聞出版, 2024.

  米国映画における登場人物や場所の設定、小道具などから現代の米国文化を読み解くというもの。著者は慶應大学総合政策学部の准教授で、米国の選挙とメディアに詳しい。このブログでは別の著書『メディアが動かすアメリカ』をすでに採り上げたことがある。

  全体の章は、都市と地域、社交と恋愛、教育と学歴、信仰と対抗文化、人種と民族、政治と権力、職業とキャリアに分かれている。その中で、公共交通が貧弱なこと、日本人にはよくわからない大学入試システム、ウォーク系リベラルと労働者系リベラルの違い、同じ中華系でも台湾系・広東系と大陸系の対立があること、宗教がパートナー選択に強く影響すること、などなどが語られてゆく。挙げられる映画は1990年代から2010年代にかけて製作されたものが多く、ときおり1970年代以前のものも言及される。映画を観ていなくてもある程度わかるように書かれている。

  映画を通じて米国社会を知ることができる良書である。本書を読んだ後ならば、これまでより米国映画をより深いレベルで楽しめるだろう。だが、本書で与えられたあれこれの知識を知らなければよかった、と思わなくもない。今後は、画面に現れるさまざまな記号をきちんと読み解かねばならないと身構えて米国映画を観ることになるからだ。知識が無いことによって楽しむ、そういう娯楽への接し方が失われてしまった。
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出版・書店の危機に関連する書籍新旧三点

2024-07-07 22:15:45 | 読書ノート
山内貴範『ルポ書店危機』Blueprint, 2024.

  全国小売書店の状況についてのルポルタージュ。著者は1985年生まれのジャーナリストで、前半1/3は彼の出身地にある秋田県羽後町の書店の店主のインタビューである。中盤は全国10か所の書店状況のルポ。最後の1/3は図書館や公設書店の八戸ブックセンター、コンビニや小規模出版社などについてである。小売書店業界全体としての解決策はないけれども、個々の書店の生き残りのヒントならば見つけることができるかもしれない。書店関係者でなくても、出版界の置かれた状況を手っ取り早く知ることができる。

月刊『創』編集部編『街の書店が消えてゆく』創出版, 2024.

  雑誌『創』では2019年頃から書店の危機を報道してきた。本書はそれら記事をまとめたものだが、いくつか初出記事もある。日書連といった団体の役員から、大規模チェーン店、小規模な個人経営店、独立系書店など、さまざまなタイプの関係者に取材を行っている。ただし、この業界でキーになるのが取次業者なのだが、『2028年街から書店が消える日』と同様に、発言がないのが気になるところ(取材を断っている?)。寄稿者の一人である松木修一氏はトーハン出身だが、JPIC専務理事という立場で書いている。全体としては「書店の終わりの記録」という印象が強い。

小林一博『出版大崩壊:いま起きていること、次にくるもの』イースト・プレス, 2001.

  1990年代以降の出版の危機を伝える。日本の出版産業の売上のピークは統計上1996年であるとされているが、著者はそれは怪しいという。1980年代から書店の出店ブームがあり、さらに1990年代になると大型書店が現れるようになった。この時期、書店の数が増えてかつ敷地が広くなった分、書店在庫も拡大した。すなわち、1990年代前半の書籍・雑誌の売上の伸びは、書店在庫分が売上として会計上で計算されていたためであり、実際には売れていなかった、とする。著者は出版産業の売上が減少に転じたのは1989年あたりからだと見積もっている(p.92-96)。したがって、図書館の普及やAmazon到来以前に出版流通制度に構造的な問題があったわけで、著者もやはりそこに手をつけろと主張している──再販価格の維持を支持するけれども、書店の取り分を多くすることと買切り制とすること。20年以上前の書籍で、古さもあるけれども、有益な示唆も多かった。
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小売書店の苦境と再生案をインタビューを通じて伝える

2024-06-23 11:46:00 | 読書ノート
小島俊一『2028年街から書店が消える日』プレジデント社, 2024

  コロナ明け後、日本の小売書店の閉店のニュースが相次いている。本書は書店の置かれた状況について詳細に報告する一般向け書籍で、小売書店や出版社の関係者28人(取次関係者はいない)のインタビューによって構成されている。著者はトーハンの元営業部長で、出向して赤字経営だった地方の書店チェーンの社長となり、リストラ無しに立て直したという人。現在はコンサルをやっている。

  全体は、書店の現状、成功している小売書店の事例、出版流通まわりの問題点、改革のための提言の四部構成となっている。個々のインタビューの内容はさておき、全体を貫いているのは、出版流通の制度改革と書店の経営努力によって小売書店は甦ることができるという主張である。前者の制度改革の例としては、買切り書籍(すなわち返品不可)の拡大、価格に対する分配率の見直し(小売書店の取り分を現状の2割から3割にする)、雑誌の発売日協定の廃止(配送時の負担が減る)などである。後者の書店の経営努力に関しては、自店で書籍をセレクトする、著者のプロモーションなどイベント収入で稼ぐ、などである。数字の話も詳しい。定価のおよそ二割が書店の取り分なのだが、インフレもあって人件費と光熱費にほぼすべてが費やされてしまい、利益が残らないのだとか。

  以上。出版社と小売書店それぞれの考えがわかって興味深い。ただ、それぞれのインタビューが3~4頁にまで要約された記述となっていて、インタビュイーの人柄みたないなところまでは伝わらない。読み物ととしてはこの点に不満が残るのだが、28人と掲載人数が多くその業績と考えを伝える編集方針としたということなんだろう。とはいえ、貴重なレポートである。
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1990年代に「読書する意味」の転換点があったという

2024-06-22 09:57:58 | 読書ノート
三宅香帆 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書) , 集英社, 2024.

  日本近代読書史。タイトルを見て「労働時間と余暇時間がトレードオフにあることは当たり前じゃね」とまず思うだろう。これに対し、昔の日本人はもっと長時間労働をしていたはずだと著者は反論する。ならばいったいどの時間帯に何を読んでいたのか、そして読者は読書に何を求めていたのか、という疑問を著者は掘り下げる。

  章立ては明治から現在までの通史となっている。読書の中心層は、明治には高学歴インテリ男性だったのが、大正から昭和になるとサラリーマン男性となり、1980年代以降になると女性もまた重要になってきた。その間、読むものには自己啓発書、教養書、円本、大衆小説、司馬遼太郎などのブームの変遷があった。まず読書に求められたのは娯楽である。一部「教養」を読書に求める向きもあったが、それは仕事上の利益に必ずしも直結していたわけではなかったが、長期的期待においてまったく無関係というわけでもないものだった。

  転換点はバブル経済崩壊後の1990年代以降である。教養主義に代表されるような内面の向上や社会意識の形成が無駄なものとされる。なぜなら、そのような曖昧な知識獲得の努力をしても自分を取り巻く世界は変わらないから、卑近な言い換えをすれば経済の停滞下においてそれは仕事上の待遇を向上させることがないからである。替わりに台頭してきたのが、(自分でコントロールできる狭い範囲の)仕事上の利益に直結する行動変容の努力であり、それは自己啓発書を読むことを促すものとなる。あるいは、ネットでの問題解決的な情報の収集となる。このような変化によって、余暇もまた仕事に従属する時間となってしまい、これまでの読書がもたらしてきた余剰(著者は「ノイズ」と呼ぶ)を許容できなくなってしまった、と著者は言う。

  解決策として、仕事に打ち込む強度を低めるという働き方改革を著者は訴える。具体的には労働時間の短縮が提案されているが、それだけはなく私生活まで仕事に従属しないような働き方が目標となる。しかしながら、読者としては、働き方改革という解決案は「違う」という印象を持つ(娯楽としての読書は復活するかもしれないけれども)。昔は長時間労働の中でも読書できていたわけで、本書は、これまで教養的な読書で得られた世界観が1990年代以降になると無力なものとみなされるようになったこと、これを働いていると本が読めなくなる原因としている。したがって、この点について対処する提案が欲しいところだ。

  以上。驚くのは、著者が1994年生まれにもかかわらずすでに10冊以上の著書があること。いったい生涯に何冊の本を残すことになることやら。続きも期待している。
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米国小売書店論、特にチェーン店と独立系書店の攻防に詳しい

2024-06-21 18:56:21 | 読書ノート
Laura J. Miller Reluctant Capitalists: Bookselling and the Culture of Consumption. University of Chicago Press, 2006.

  20世紀後半の米国における小売書店の状況を伝える学術書である。著者は社会学者。なお、米国の新刊書籍の取引は返品ありだが定価販売なしという慣行となっている。

  以下で「独立系」というのは、個人経営の店から数店舗を持つ小さなチェーン書店までを含む。ただし、日本と異なり取次業者が配本してくれるわけではないので、仕入れは自店で行っている(はずだが、米国では当たり前のことなのか詳しい説明はない)。この違いは日本在住者が本書を読むうえで理解しておくべきところだ。卸売業者も存在しているが、それは小売書店にとっての「倉庫」として位置付けられている。

  タイトルにある「不本意な資本主義者」というのは独立系小売書店主のことである。彼らは、書籍というのは通常の商品とは異なっていて、特別な価値を持っていると考える。高尚な文化を扱っているという意識があるためプライドも高い。このようなエリート主義は19世紀から続く米国の書店の伝統的な自己認識であると著者はいう。とはいえ、書籍もまた他と変わることのない単なる商品であるとみなす勢力も20世紀前半から存在していて(例えばデパート)、割引価格でベストセラーを薄利多売した。この勢力は1960年代にはショッピングモールに出店するチェーン店となり、1990年代にはBarnes & NobleやBordersのような超大型店となって、独立系書店の存立を脅かした。

  20世紀初頭から半ばにかけて、出版社主導で再販価格制度を導入する動きがあって、一時的には成功した(すなわち立法で裏付けられた)。だが、割引販売を展開するチェーン店が普及した後は支持されなくなり見捨てられた。その後、米国書店協会内でチェーン店派と独立系派との間で主導権争いがあり、後者が権力を握ると出版社を訴えて大手チェーンと独立系の間にある取引条件の差(例えば割引率)を是正しようとした。結果、和解という形である程度の成果を得たが、完全勝利とはならなかった。並行して独立系小売書店もまた徒党を組んで販促キャンペーンを行ったが、その過程でチェーン店と同じような消費主義に近づいた。また、チェーン店も独立系も従業員への待遇が悪い点では一緒だという。

  2000年前後になると、独立系書店保護が全米各地の大規模小売店反対運動と結びついて、チェーン店の地域出店を頓挫させることもあった。チェーン店との競争によって独立系書店におけるエリート主義的な雰囲気もいくぶんか和らいだが、かといって「本は特別」という見方が失われたわけではない。消費主義への対抗意識と地域密着志向が、これら独立系書店を(利益とは別に)支えてきたという。

  以上。著者は独立系書店に同情的であるものの、記述はイデオロギッシュではなく、チェーン店の肯定的な面も独立系の二枚舌的なところもきちんと記している。衒学的なところもない。ThompsonのMerchants of Cultureではあまり詳しくなかった米国独立系書店の精神、特に本を特別視する思想の存在を知るうえではとても参考になる。
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