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二極化してゆく米国テレビ報道の動向

2020-09-20 10:36:31 | 読書ノート
渡辺将人『メディアが動かすアメリカ:民主政治とジャーナリズム 』(ちくま新書), 筑摩書房, 2020.

  米国におけるテレビ・ジャーナリズムの報告と分析である。著者は現在北海道大学の先生であるとのことだが、過去に米国の民主党議員の下で選挙活動を手伝ったり、テレビ東京の記者としてテレビ報道の内側を見てきたという経歴がある。

  米国のテレビニュース番組には、日本の民放ニュースにはおなじみのコメンテイターがいない。ニュースは現場にいる記者が伝えるもので、アンカーはスタジオで個々のニュースをつなぐという役割を果たすだけである。チャンネルを変えても、どこも同じような画面の構成で、米国のニュース番組は工夫が少なく退屈だ。しかし、アンカーは、労力が少ないにもかかわらず、取材歴のあるそこそこ高名なジャーナリスト出身でなければならない。世間的信用のある人物としてかつ報道部門の代表として、アンカーにテレビ局経営陣と駆け引きをする役割が期待されてきたからだ。

  本書は、そのようなプロフェッショナルなジャーナリズムとテレビを取り巻く商業主義との均衡が、1990年代から米国では徐々に崩れてきたことを知らせてくれる。商業主義の影響、CNNやFoxテレビの台頭、政治家によるメディア対策(記者の囲い込みや政治的に繋がりのある人物の出演ごり押しなど)などで、かつてほど政治との距離は保てなくなってきているという。一方で、そうした動きに対抗する動き──コメディアンによる政治批評番組やエスニックメディアなど、必ずしも公平中立というわけではない──もあって、ダイナミックな変化があることが解説される。

  気になるのは、著者自身は「対象と距離を置いた客観的な報道」に理想を抱いているように感じられるのに、描かれた米国メディア側の方はそういう考え方に対してずっとシニカルであるかのように見えることだ。中立や客観など存在しない。ジャーナリズムには偏向があるだけなので、敵の偏向報道に対しては逆の偏向報道をぶつけることでしか真ん中という位置が分からない。こういう原理でメディアが動いているようなのだ。こういう考え方が蔓延するなかでは、妥協や歩み寄りなどできないだろう。
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