ひろの東本西走!?

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瀞ホテル-近代和風の名建築-1

2009-08-14 22:15:00 | 近代建築

先日、「吉野熊野国立公園」随一の景勝地といわれる瀞八丁にある「瀞ホテル」を見学してきました。これは「瀞ホテルと瀞峡」を訪ねる現地見学講座に参加したもので、現在は営業を休止されている瀞ホテルを今回、特別にお願いして一時的に開けて頂いて実現しました。以下、内容は主に講師の川島智生先生が書かれた文章を参考にさせて頂きました。

瀞ホテルのことを川島先生からお聞きし、ぜひ行きたいです!と手を上げてから半年以上が経ち、この日が来るのを待ちわびていました。気になっていた天気も上々で心ウキウキです。早朝に集合場所の大和八木駅前を出発したバスは、途中、下北山歴史民俗資料館(大正14(1925)年・西村伊作設計の旧桑原医院を移築したもの ※別途記載予定)などに寄りながら細く曲がりくねった山道を駆け抜け、約3時間30分かかってようやく瀞ホテルに到着しました。さすがは現代でも秘境?遠かったですね。

バスが着いたのは瀞ホテルの裏手でした。そこから石の階段を下ったところに玄関がありました。おぉーっ、ここか・・・。古い看板も味わいがあります。

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まずは急いで全景が見える位置に移動。

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これが瀞ホテルか・・・。写真では見ていましたが、実際に目の前にすると凄いです。瀞峡を見下ろすように崖の上に建てられた瀞ホテルと渓谷の緑の木々、荒々しい岩肌、深い緑色の水面の組み合わせはまさに絶景。約40名の参加者も「ほぉーっ・・・」といった感じでしばしホテルと瀞峡を見つめています。

瀞ホテルは大正6(1917)年に「あづまや」として開いた筏宿だったそうで、その後「招仙閣」と名前を変え、昭和初期からは「瀞ホテル」という呼称を用いておられます。

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ホテルというよりも実際の形態は旅館だったようですが、まず目をひかれるのは2階にぐるりと巡らされた回廊と高欄です。普段は雨戸が閉まっているのを開けて頂き、その開放的で伸びやかなな姿をこの目で見ることができて大感激!そして、一同は館内へ。玄関を入って左手はロビーでしょうか。ふんだんに光が入って心地良し。

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さて、いよいよ2階へ。ここでも高欄越しに見る絶景に感嘆の声が上がります。高欄そのものはかなり傷みが激しく寄りかかることは厳禁ですが、みんなこの前に座り込んで渓谷を眺めます。

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大広間で先生の解説を聞いたあとは小休止です。営業を休止されて数年が経過していますが、往時はこのような賑わいをみせていたのでしょうね。花の絵などの額も美しく見事。

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次に、正面からは見えていなかった3階へ。ここには格式の高い客室だったようで、「瀞ホテルと瀞峡」をモチーフとした透かし彫りの欄間が素晴らしいです。また、やや洋風のベランダも印象的でした。ただ、人数制限もあったため、交代制でゆっくり眺める時間のなかったことが残念です。

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瀞ホテルは素晴らしかったです。
あの佇まい、2階の高欄越しに見る景色のそれはそれは見事なこと。みんなで話していたのですが、2階の雨戸を開け放った広間でごろりと寝ころんで本を読んだり、眠気にさそわれたらそのまま昼寝したり、ときどき風に吹かれながら高欄越しの景観をゆっくりと楽しんだりすること、これこそが真の贅沢かもしれません。現代社会では、そのようなことを楽しむ余裕がなくなってきましたね。

どんな形であれ(ただし、あの風情を極力変えずに)何とか残したい景色です。

※以下、その2に続く予定です。

なお、瀞ホテルがまだ現役だった頃に泊まられた方が、「時代屋小歌」というホームページの旅行記「旅横丁」-「幽玄の旅、南紀・瀞ホテル」という記事に詳細な感想を書かれており、そちらの文章と写真も素晴らしいです。現役だったときに宿泊したかったなあ。。。