「県外移設」論はアメリカには理解できない

 「県外移設」論は革新政党には元々はなかった。革新政党の主張は反戦平和の立場から米軍基地撤去であった。革新政党を率いている共産党と旧社会党は沖縄だけでなく日本全体から全ての米軍基地を撤去を主張し続けてきた。デモの時のシュプレイコールも軍事撤去であり、「県外移設」というシュプレイコールはなかった。

 最初に普天間基地の「県外移設」を実現しようとしたのは小泉元首相であった。辺野古沖へのヘリコプター基地建設を断念して普天間基地の「県外移設」をやろうとしたが、「総論賛成各論反対」で普天間基地移設を引き受けてくれる地域を見つけることができなかった。そのために、小泉元首相は再び辺野古に戻り、辺野古の陸上にV字型飛行場をつくる案を提案して、地元と名護市長の了承を得たのだった。

 その頃から、「沖縄は基地が集中している。沖縄は本土の犠牲になっている。沖縄は差別されている」というような差別論が新聞に書かれるようになった。知念ウシさんのような沖縄差別論者は、沖縄の苦渋は本土も平等に負うべきであると、米軍基地の本土移転を盛んに主張した。平等主義の主張は普天間基地は辺野古ではなく県外に移設するべきだというようになった。
 米軍事基地撤去を主張してきた共産党、社民党など革新政党の主張と「県外移設」論は違う。革新政治家である宜野湾伊波前市長の選挙公約は「普天間基地の三年以内の閉鎖」であり「県外移設」ではなかった。ところが「県外移設」の風潮が出てきて、民主党が「県外移設」に賛成するようになると、一気に「県外移設」が世論の主流になった。
 沖縄の革新政党の軍事基地撤去のトーンは低くなり、いつの間にか共産党、社会党も「県外移設」を容認するようになった。

 軍事基地撤去と「県外移設」は根本的に違う。軍事基地撤去は日本から米軍基地をなくす目的があり、軍隊を日本からなくすという憲法九条の平和の理念に立つ主張である。共産党も社民党も平和憲法を守る立場から戦後ずっと基地撤去を主張してきた。
 「県外移設」は沖縄の米軍基地を本土に移設するのだから、米軍の日本駐留を認めている。だから平和憲法を守る共産党や社会党の政治姿勢とは違う。「県外移設」は米軍基地否定ではないし、平和主義でもない。

 「県外移設」論は米軍基地否定ではないし、平和主義でもないのだから、共産党と社民党は「県外移設」には絶対に反対するべきである。ところが反対しない。それどころか「県外移設」運動と歩調をあわしている。
 平和憲法を遵守する立場なら「県外移設」反対を高らかに叫ぶべきである。

 もし、共産党や社民党が「県外移設」に賛同するなら、アメリカ軍の日本駐留を認めたことになるから政治方針を根本的に変えたことになる。もし、「県外移設」を主張すれば憲法九条を放棄することになる。共産党、社民党は半世紀以上にわたる政治姿勢を変えるのか。共産党と社民党の反戦平和主義のポリシーは地に落ちた。

「県外移設」論は屈折した平等論から出た主張である。基地被害は沖縄だけが受けるのではなく、全国が平等に受けるべきであるから普天間基地は県外に移すべきだという主張である。
 仲井間知事は渡米して、アメリカの有力者向かってで米軍基地や普天間基地の危険性や被害を訴え、「県外移設」を訴えた。果たしてアメリカは仲井間知事が訴えた「県外移設」の内容を理解しただろうか。仲井間知事は沖縄のアメリカ軍基地の危険性や被害を訴え、その中でも普天間基地は世界で一番危険であることを説明しただろう。そして、普天間基地を県外へ移設することを訴えただろう。

 しかし、米軍基地や普天間の危険を訴えたら、普天間基地のグアム移設などのアメリカへの移設を訴えるのが普通である。なぜなら、アメリカ人にとって仲井間知事は日本人である。日本人の仲井間知事が沖縄の米軍基地の危険性を訴えたなら、仲井間知事が沖縄だけの危険性を説明したつもりでも、アメリカ人にとっては日本のアメリカ軍基地の危険性を訴えているのと同じである。仲井間知事は日本の米軍基地の危険性を訴えているとアメリカの有力者には映っただろう。

 だから、仲井間知事は米軍基地の国外移設を訴えるだろうと思うのは当然である。それなのに仲井間知事は「県外移設」を訴えたのである。「県外移設」は日本国内の移動であり、日本国内の問題である。仲井間知事の「県外移設」の訴えは彼らが予想していることとは全然違う訴えであっただろう。彼らが仲井間知事の訴えを完全に理解するのが困難である。

 アメリカの有力者が仲井間知事の説明を理解したとしても、沖縄は駄目なのに沖縄以外の日本ならなぜいいのかアメリカ人には納得できないだろう。日本に辺野古以上に最適な場所あると仲井間知事が主張するなら納得できるだろうが、仲井間知事は「県外移設」を主張するだけである。
 沖縄は差別されているから、沖縄の負担を本土も負うべきだという発想から「県外移設」の主張はある。つまり沖縄対本土という対立を設定しない限りら「県外移設」の主張は出てこない。

 ところが、アメリカの議員やジャーナリストにとって、アメリカ軍の沖縄駐留はアジア全体に関わる問題であり、彼らにとって日本はひとつである。沖縄と本土を対立関係置き、沖縄は差別されているという理屈によって、沖縄の差別論は展開されるのだが、アメリカの有力者たちが沖縄差別論を理解するのは難しい。仲井間知事もアメリカの有力者を納得させるような「沖縄差別論」を説明できないだろう。

 米国の外交問題ニュースレター「ネルソン・レポート」は仲井間知事の普天間県外移設の主張を、在沖米軍の即時前面撤去を主張していると勘違いして仲井間知事の演説を酷評したという。外交問題の専門家でさえ仲井間知事の「県外移設」論は理解できなかったのだ。

 沖縄国際大教授の佐藤学氏は、何今知事の演説が酷評された原因を、「嘉手納空軍基地の存続を受け入れた上で、普天間の県外移設を要求する現実的な議論が、このように曲解される環境が米国にある」と述べている。普天間基地の県外移設は日本の国内問題であり、アメリカに訴えることがおかしい。アメリカ人に向かって訴えているのにアメリカとは関係ない話をアメリカ人が理解できるはずがない。

 もし、仲井間知事の訴えを理解できたアメリカの有力者がいたとしよう。彼は「それではあなたは日本のどこに普天間基地を移設したほうがいいと考えていますか」と仲井間知事に質問したくるだろう。無論仲井間知事はしどもどろして答えることができない。

 アメリカ人にとって仲井間知事が県外移設を主張するということは辺野古以外に最適な場所があるからと考えるのが普通である。しかし、仲井間知事は答えられないだろう。仲井間知事はただひたすら「県外移設」を訴えるだけである。
 アメリカ人は苦笑しながら、「あなたに同情はします。しかし県外移設の問題は日本政府に訴える問題であって、アメリカ政府に訴える問題ではありません」と言うだろう。
 「沖縄の辺野古への移設は駄目で、沖縄以外の日本に移設するのはなぜいいのですか」という質問もあるだろう。仲井間知事はこの質問にちゃんと答えることができるだろうか。

 この質問には、沖縄に軍事基地が集中しているのは沖縄が差別されているのだから、沖縄の差別をなくすために沖縄の米軍基地の負担は日本全体で負うべきであるという平等論で説明できる。しかし、その理論はアジア情勢や軍事にあまりにも無知な理論であり、アメリカの有力者は苦笑するだけだろう。

 佐藤氏は、普天間の県外移設を要求するのは現実的な議論であると述べている。鳩山元首相の時に「県外移設」は無理ということが判明したのに佐藤氏はその事実を認めようとしない。
 学者は現実を客観的に冷静に見るべきである。冷静に見れば「県外移設」は不可能であるという結論がでる。「県外移設」は不可能であると主張する学者は沖縄の学者世界から村八分にされるのだろうか。

 沖縄の学者が革新政党の思想に横並びであるのは沖縄にとって大きなマイナスである。
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