米軍はアジアの民主主義国家の平和を守っている。沖縄米軍基地はその一つである。



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米軍はアジアの民主主義国家の平和を守っている。沖縄米軍基地はその一つである。
 
なぜ、戦争をするのか
 10歳の頃である。私たちは公民館のブランコや滑り台や砂場でよく遊んだ。公民館の砂場で遊んだ後、家に帰る前にみんな集まって色々話し合っていたが、1歳上の西平少年がいて、彼は戦争について物知りだった。彼の話にみんな注目した。
彼の話によると、第一次世界大戦は1914年に起こり、第二次世界大戦は1939年に起こった。その間が25年である。だから第二次世界大戦から25年後の1964年頃に第三次世界大戦が起こると言った。1964年は6年後である。彼は広島や長崎に原子爆弾というとてつもない爆弾が落とされたことや原子爆弾よりすごい水素爆弾というのがつくられたということも話した。だから、次の第三次世界大戦は核戦争になると言った。
第三次世界大戦が起こったら、嘉手納弾薬庫には原子爆弾が貯蔵されているから、真っ先に沖縄に原子爆弾が落とされ、沖縄の人間はみんな死ぬと言った。もし、明日第三次世界大戦が起こるとしたら、死ぬ前に何をしたいかも話し合った。どのようなことを話していたか覚えていないが、私はお婆さんがやっている商店に押し入って、お婆さんを撥ね退けてお菓子をお腹いっぱい食べたいと思った。しかし、それは強盗になるので話さなかったことを覚えている。
嘉手納弾薬庫は私たちの村の東側にある山や原野一帯であり、畑もあった。嘉手納弾薬庫はとても広く、出入りは自由であったから私たちが遊び回る原野でもあった。山の奥の方に入った時に爆弾が積まれているのを見たこともある。沖縄のガードマンが見張っていて、私たちは追い払われた。嘉手納弾薬庫に爆弾があるのを私たちは見た。だから、嘉手納弾薬庫に原子爆弾が貯蔵されているという噂は広まっていたが、私たちは本当にあると信じていた。西平少年の話は真実味があった。

1962年にキューバ危機があった。中学1年生の時である。
キューバ危機とは、1962年10月から11月にかけてキューバに核ミサイル基地の建設が明らかになったことからアメリカ合衆国がカリブ海で海上封鎖を実施し、アメリカ合衆国とソビエト連邦とが対立して緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達した危機的な状況になったことである。
私はキューバ危機が第三次世界大戦の引き金になり、沖縄に原子爆弾が投下されて沖縄は全滅するかも知れないと心配した。幸いにも危機は回避された。ロシアに毅然とした態度で一歩も引かずに交渉し、危機を回避したケネディ大統領は私のヒーローになった。
その後の少年雑誌は核戦争の第三次世界大戦が起こるかも知れないことを掲載し、核戦争が起こった様子を書いたSF小説も登場した。第三次世界大戦が起こるかも知れない・・・。そう思っていた。

沖縄戦のことは子どもの頃から何度も聞いていた。南部では歩くこともできないくらいに死体が溢れていたという話を聞いていたし、戦争犠牲者の死体の写真も見たが、それは過去のことであり、これからの戦争は核戦争であると信じていたから、沖縄戦のことを参考にこれからのことを考えることはなかった。
昨日は慰霊の日であった。上原愛音さん(17)=宮古高校3年は「ここに誓おう。私は、私達は、この国は、この世界は、きっと愛おしい人を守り抜くことができる。この地から私達は、平和の使者になることができる」と糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」の会場で語ったが、戦争は外からやってくると考えていた私は彼女がいうように沖縄の私たちが平和の使者になれると考えたことは一度もなかった。
とても小さな島の沖縄に住んでいる私たちは戦争に対して無力であると思っていた。沖縄は戦争を起こすこともできないし、止めることもできない。ただひたすら戦争が沖縄で起こらないように祈るだけである。中学生生の時に、平和の使者になれると思っている人がいたら、それは沖縄の無力を知らないで過信している自惚れ屋と思っていただろう。
沖縄が戦争に巻き込まれるのは世界大戦が起こった時であると信じていた私は世界情勢について敏感になっていた。
そして、なぜ戦争が起こるのだろうかと考えるようになった。

映画好きの私は、映画を見るお金が欲しかったので、あの頃唯一のアルバイトであった新聞配達をやりたいと親や隣近所に探してくれるようにお願いしていた。すると中学1年生の時に古堅のモーガンマナーという外人住宅にモーニングスターという新聞を配達しないかという話が舞い込んできた。私は迷わずに承諾した。中学時代の私は毎週映画を見るようになった。
映画を観ることによって、なぜ戦争をするのかその理由がわかってきた。
時代劇が好きで東映の映画をよく見ていたが、戦国時代の映画などで、戦争をやるのは世の中を平和にするためであると主人公は話していた。悪い人間が戦争を起こして正義の主人公が悪い人間をやっつけて世の中を平和するというストーリーである。あの頃は正義の主人公と悪の敵役が定番の勧善懲悪をテーマにした映画が多かった。確かに映画で説明しているように戦国時代を正義の武士である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が世の中を平定して戦国時代を終わらしたと考えることができた。平和のために戦争をやるというのを中学生の時はそれなりに納得した。しかし、高校生になるとそれでは納得することができなくなった。 
強欲で腹黒い人間が弱者を苛めて、それを正すために正義の人間が悪をやっつけるために戦争するというのとは違う別の理由があるのではないかと疑問が湧いてきた。世界史を勉強するとその疑問が大きくなった。世界史で展開される戦争の原因を時代劇のような善悪で判断することはできなかった。特にアレキサンダー大王が大帝国をつくったことは日本映画の善悪の世界をはるかに超えていた。戦争の天才アレキサンダー大王は次々と王国を滅ぼしていって、紀元前338年から紀元前323年の32歳で死ぬまでわずか5年間でエジプトやインドまで遠征して東西2400キロメートルに及ぶ歴史上最大の帝国を築いた。


戦争は正義が勝つのではなく強い者が勝って帝国を築くことを強烈に印象づけたのがアレキサンダー大王であった。

世界史で世界の戦争を見ていくと戦争は平和のためではなく植民地を確保して国が栄えるために起こしているのではないかと思うようになった。そういう視点から私なりに日本の歴史を見るようになった。

日本は明治時代になると帝国主義国家を名乗り、富国強兵を掲げて清やロシアと戦争をし、アジアに進出していった。日本はアジアを平和にするためではなくて別の目的があって戦争をしているのではないかと思うようになったが、戦争をする目的がこれだという確信が持てる理由を見つけることはなかなかできなかった。ただ、戦争を積極的に仕掛ける者たちの富を得る目的が原因ではないかという疑いが強くなっていった。その疑いが疑いではなく確信を持つようになったのは20代半ばになった頃である。

農業などの第一次産業の時代には領土が大きければ大きいほどに支配者の富は大きくなる。富を増やすために軍事力のある支配者は他の支配者を攻めて領土を拡大していった。

そんな視点から日本の明治時代から戦後までを観る前に沖縄の歴史を視てみる。
沖縄本島では14世紀に入ると、各地で城(グスク)を構えていた按司の中で軍事力に勝る按司が他の按司を攻めて配下にして領土を広めた。14世紀には三つの国にまとまった。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)である。三つの王統が並立する時代が約100年続いた。いずれも中国の明帝国に朝貢し交流を深めていた。しかし、三山を統一する人物が登場する。三山のどちらの王でもなかった、南部の佐敷(現・南城市)按司の子・尚巴志である。
彼は佐敷馬天港を通じて独自の貿易を行い、農業に必要な鉄を多く仕入れ、力を蓄えていった。尚巴志は31歳の時に近隣の大里按司を滅ぼし、その3年後に、琉球最大の勢力であった中山国の王・武寧を打ち、父の尚思詔を中山王に据え、第一尚王統を開いた。さらに10年後の1416年に北山国を攻め滅ぼし、1429年には残る南山国をも攻略して、初の沖縄本島統一を成し遂げた。
領土が大きくなればなるほど収入も増す。三山を統一したから、尚巴志は佐敷を支配していた時と比べて莫大な富を得た。だから、豪華な首里城を建築して贅沢三昧に暮らすことができた。
尚家は琉球王国を築き、八重山、宮古島など、沖縄の島々も制圧して年貢を納めさせた。また、1466年(文正元年)には尚徳王が自ら3000の兵を率いて喜界島を制圧し、奄美群島を支配下に置いた。当然のことながら支配した奄美大島には年貢を納付させた。北は奄美大島、南は宮古、八重山まで支配して栄えた琉球王国であったが、1609年に薩摩藩に侵攻されて支配された。そして、莫大な年貢を薩摩藩に納めなければならなくなった。
琉球王国に属していた奄美大島にも薩摩藩は侵略した。奄美大島は薩摩藩が侵略した時に激しく抵抗したのが原因なのか知らないが、薩摩藩が直接支配した奄美大島は琉球王国よりも厳しく搾取された。全ての畑にさとうきびを植えさせて砂糖をつくらせて、そのすべてを薩摩藩に献上させた。奄美大島の農民が食べるための野菜を植える畑はなかった。奄美大島の農民は山にソテツを植え、ソテツの実を食糧とした。奄美大島の山にソテツが多いのはソテツを食糧にした名残りである。それを奄美大島では黒糖地獄と呼んだ。その事実を最近、NHKのブラタモリの番組を見て知った。沖縄ではソテツ地獄があったが、奄美大島の農民はソテツ地獄以上の苦しみを体験していたのである。

1867年に江戸幕府は大政奉還し、明治政府が誕生する。江戸時代が終わり明治政府になると薩摩藩は鹿児島県になり、琉球王国は沖縄県になり、薩摩藩の搾取も琉球王国の搾取もなくなる。
明治政府は大日本帝国憲法、富国強兵を掲げて日本は帝国主義国家になった。
江戸時代は江戸幕府が日本を支配していたが、それぞれの藩は独立していて、法律は藩が決め、流通する貨幣も藩が発行していた。藩には関所があり、藩が許可しないと入藩ができなかった。明治政府は廃藩置県をやり、法律を決めるのは帝国議会が唯一とし、貨幣も明治政府のみが発行し全国共通とした。関所を廃止して、人々は自由に移動できるようにした。本当の日本統一は明治政府がやったのである。
四民平等、法治主義を掲げて日本を統一した明治政府は日本国を欧米並みの富国にするために、憲法を大日本帝国憲法と命名したように帝国主義国家になる。
帝国主義というのはヨーロッパ諸国では昔からあったことで日本が特別ではない。むしろ帝国主義が国を豊かにするというのはヨーロッパでは常識であった。帝国主義国家を掲げたのはアジアでは日本が初めてであった。
イギリスやオランダなどのヨーロッパ諸国はインドや東南アジアやアフリカを植民地にして自国を豊かにしていた。帝国主義とは軍隊で他国に侵略して植民地を増やして搾取し富を得ることである。
植民地を確保するには軍隊が強くなければならない。富国強兵を掲げた明治政府は徴兵制度を設立し、国民を徹底的に鍛えて軍隊を強くしていった。そして、清に侵略して日清戦争を起こした。日清戦争で勝った日本は台湾を植民地にした。日露戦争で勝ったので、南樺太を植民地にした。
工業などの第二次産業を発展させて近代化を目指していた帝国主義日本の場合は封建時代の植民地政策のやり方とは違っていた。封建時代は支配した領地の農産物を納めせていたが、アジアに侵略して植民地をつくった日本は植民地を経済発展民させる政策をとった。多くの沖縄県民は日本軍が植民地にしたアジアに移住してさとうきび生産をやった。日本政府は砂糖工場を設立して砂糖の生産を増加させていった。

江戸時代は将軍や藩主が政治と軍事を司っていたが明治政府になると政治と軍事の二つに分業化した。そして、大資本家である財閥が国家の運営に参入した。帝国主義国家日本は政治家、軍部、財閥が組んでアジアに侵略していったのである。だから植民地からは3者の富が求められた。3者の富を求めてアジアに侵略し戦争が起こった。

明治政府の時は政治家、軍部、財閥の対立はなかったが、次第に政治家と軍部は対立が生じていく。昭和になるとそれが顕在化していき1932年(昭和7年)5月15日に犬養毅首相が軍部に暗殺され、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日には高橋是清 (大蔵大臣)斎藤実 (内大臣)渡辺錠太郎 (教育総監・陸軍大将)が暗殺される。暗殺することで政治家より軍部の勢力がますます強くなり、日本は軍部が進める植民地拡大主義にまい進していく。もし、政治家のほうが強くて軍部を押さえていたらもっと計画的に植民地拡大は進み、米国との戦争は起こらなかった可能性は高い。

515事件で暗殺された犬養首相と軍部は満州の植民地化のやり方で対立した。犬養首相は日本の傀儡政権をつくって表向きは満州を独立国にしようとしていた。しかし、軍部は犬養首相の案に反対していた。軍部の予算を少なくしようとしていたことと併せて軍部と対立していた犬養首相は軍部に暗殺された。
政治家中心に植民地を増やしていたら、武力で支配するのではなく傀儡政権の国家をつくって植民地の経済を発展させながら国づくりをしていただろう。そのように友好と武力の両方を駆使しながら計画的に植民地を増やしていっただろう。台湾や朝鮮はそのような植民地にしていった。台湾では学校を開いて日本語による教育もやった。沖縄県の最初の知事になった屋良朝苗氏は台湾で教員をしていた。台湾の老人たちは日本語を話せる人が多いし、植民地であったにも拘わらず日本に親しみを持っている人は多い。産業を発展させて地元にも還元しながら搾取すると言う方法であったから、財閥、政治家、軍部にも莫大な収入があったが、それは台湾の人々から搾り取るというものではなかった。
しかし、そのようなやり方は軍部が政治家を押さえたために影をひそめた。いわゆる軍国主義時代の日本は軍事力による植民地拡大主義になった。軍部中心の軍事力によって日本はどんどんアジアに進出していった。政治的に無策な軍国主義日本は米国と戦争をし、敗北した。

戦後は米国、英国などヨーロッパの国々は植民地を確保するための戦争はしなくなった。日本もそうである。第二次世界大戦が終わった時、紀元前から戦前までの長い間ずっと続いていた帝国主義が終焉した。
ただ、共産党一党独裁国家ロシアは周辺国を武力で侵略し、ロシアに有利な社会主義国家群のソ連邦を形成した。戦後の戦争は植民地確保のための戦争ではなく資本主義・議会制民主主義国家と社会主義国家の対立が原因の戦争が増えた。
帝国主義が終焉した原因は社会主義圏との対立だけではない。議会制民主主義の発展が大きく影響している。帝国主義時代は政治、軍事、財閥の三者が国家運営に参加していたが、議会制民主主義が発展すると、財閥や軍の権力を排除するようになる。ヨーロッパでは欧州連合域内における競争法(大企業や国家などの経済主体による市場に対する圧力を規制する法体系)が施行され、アメリカ合衆国では反トラスト法がそして日本では私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)が施行された。
ヨーロッパ、米国、日本では独占資本家は居なくなった。日本では帝国主義時代のように財閥が政治に参加することはできなくなった。そして、軍は政治にシビリアンコントロールされるようになった。
財閥や軍事家や政治家が植民地支配によって富を得ることは議会制民主主義ではできなくなった。また、議会制民主主義は国外の人々も平等であり人権があると認めるようになり他国を搾取する政治もなくなった。
議会制民主種国家にとって受け入れることができないのが共産党一党独裁国家であった。ソ連、中国、北朝鮮、北ベトナム、キューバなどの社会主義国家との対立が深まって行った。しかし、国家の独立性を尊重する議会制民主主義国家が社会主義国家を侵略することはなかった。

紀元前から数千年も続いていた帝国主義を、普通選挙による議会制民主主義が終焉させたのである。議会制民主主義は人間の歴史上画期的なことである。


朝鮮戦争は社会主義国家である北朝鮮が南朝鮮も社会主義国家に統一する目的で侵略してきた。米軍を中心とした連合軍は南朝鮮を守るために侵略してきた北朝鮮と戦争した。米軍は南朝鮮を植民地にするために戦争をしたのではなかった。北朝鮮を南朝鮮から排除した後も米軍は南朝鮮に駐留したがそれは南朝鮮を植民地にする目的ではなく、北朝鮮の侵略を抑止するためである。それは今も続いている。
ベトナム戦争も社会主義国家北ベトナムが南ベトナムを社会主義国家に統一する目的で地元の社会主義軍ベトコンと連携して侵略した。米軍は南ベトナムを守るために戦争をした。ベトナム戦争は米軍が負けて南ベトナムは北ベトナムが支配して社会主義国家になった。
米軍は湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争をやったが植民地にする目的では戦争をやっていない。現在もアフガンやイラクに駐留しているがアフガン政府やイラク政府を倒そうとするイスラム原理主義のタリバンやISISから守るために駐留している。

アジアの米軍は日本・韓国に軍事基地をつくり米軍を駐留させている。また、海上には原子力空母、海中には原子力潜水艦を配置している。米軍はアジアを植民地にするために存在しているのではない。北朝鮮や中国の武力によるアジア侵略を抑止するために存在している。沖縄の米軍基地は日本を守るためだけにあるのではない。韓国、台湾などの国々が侵略されないために抑止力として存在している。沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の安全を守っている米軍の一翼を担っているのであって沖縄の米軍基地だけで抑止しているのではない。沖縄の米軍基地が日本を守るためだけに存在していると考えるのは間違っている。

 今回の北朝鮮への対応を見ればそのことが分かる。
ミサイル発射を繰り返して挑発行動を続ける北朝鮮をけん制するために米軍は原子力空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンを日本海に配置した。2隻はいずれも「全長は約330メートルにも及ぶ。両空母の乗員は5500人前後で、66機前後の艦載機が搭載されている。最大射程26キロの艦対空ミサイル『シースパロー』や、巡航ミサイルなどを迎撃するための『近接防空システム(CIWS)』などを備えており、航空兵力の攻撃能力は1隻あたり、オランダやベルギー、スイスの空軍力に匹敵すると言われている。
二隻の原子力空母の日本海配置は北朝鮮にかなりの圧力であっただろう。原子力空母2隻は配置しただけでなく能登半島沖の日本海で、海上自衛隊や航空自衛隊と共同訓練を実施した。韓国軍とも訓練をした。そして、6月に日本海から離れた。
米軍はミサイル発射を繰り返し、米国、韓国、日本への攻撃を暗示するような北朝鮮に対して、原子力空母2隻を北朝鮮の近海に派遣して、もし、北朝鮮が戦争を仕掛けようとしたら何千発ものミサイルを原子力空母から発射して一気に崩壊させることを北朝鮮に暗黙の警告をした。それは北朝鮮への大きな抑止力である。
抑止に動員されたのは原子力空母だけではない。海中には原子力潜水艦が北朝鮮の近海に配置された。そして、沖縄の嘉手納基地には北朝鮮を監視している在韓米軍基地の有人偵察機U2「ドラゴンレディー」4機を一時的に配備した。北朝鮮との戦争に備えて嘉手納飛行場のF16戦闘機の訓練も増えた。

米軍基地は日本を守るためにあるという考えが国内で定着している。保守も革新も沖縄の米軍基地が日本防衛のためにあるから、保守は沖縄に感謝して、他方革新などは日本を守っている米軍基地が沖縄に集中していることを問題にして日本全体で分担して沖縄の過重負担を軽減するべきだと主張している。
沖縄の米軍基地は日本を守るために存在しているということに私は戸惑う。
戦後の沖縄は本土から切り離されていた。沖縄が日本ではなかった時から米軍基地は存在していた。あの時も沖縄の米軍基地は日本を守っていたというのだろうか。であれば沖縄を日本から分割する必要はなかった。日本を守るのだから沖縄は日本の統治下にあるべきであった。しかし、沖縄は日本ではなく米国民政府の統治下にあった。本土復帰前に沖縄米軍基地が日本を守っていたというのはおかしい。
復帰前は沖縄は韓国から台湾、フィリピンにかけての扇の要の位置にあり、沖縄の米軍基地は社会主義圏の侵略からアジアを守っていると言うのが定説だった。復帰前にはベトナム戦争があり、沖縄はベトナム戦争に行く米兵の中継基地であり休息を取る場所であった。嘉手納飛行場からは毎日B52重爆撃機が離陸しベトナムを爆撃していた。
本土復帰して沖縄は沖縄県となった。そして、ベトナム戦争も終わった。するといつの間にか72年前の沖縄戦と同じように、日本を攻撃する敵軍は沖縄から攻めてくるのだという考えが広まり、沖縄の米軍基地は日本を守るために存在しているという説が定着してしまった。復帰前はそんな説は全然なかったのに、復帰したらいつの間にか保守も革新も「沖縄の米軍基地は日本を守るために存在している」と言うようになった。
アジアの状況は韓国、台湾、フィリピンが軍事独裁国家から議会制民主主義国家になって、中国が世界二位の経済大国になったが、中国、北朝鮮が社会主義国家であり日本などのアジアの民主主義国家と対立している状況に変化はない。それなのに復帰前の沖縄の米軍基地はアジアの要石としてアジアの国々を守っていたのに、復帰後は日本を守る基地になっている。
復帰する前はアジアの要石でアジアを監視していた沖縄米軍基地であったが、本土復帰をしたので沖縄県となり、沖縄県は日本の南端の島になって72年前の太平洋戦争のように敵が最初に攻めてくるのは沖縄であり、沖縄が最初の戦場になるので、日本侵略を阻止するための米軍基地になったのである。おかしな考えである。
 沖縄の米軍基地の役目は復帰前も復帰後も同じである。本土、沖縄の米軍基地と原子力空母、原子力潜水艦などは日本、韓国、台湾、フィリピンを北朝鮮、中国などの侵略から守っているのである。

 嘉手納飛行場の役目はそれだけに留まらない。現在米軍はイラクとシリアでISISと戦っている。米軍はISISに対して戦闘機による爆撃をやっているが、飛行訓練は嘉手納飛行場でも行われている。イラク、シリアは沖縄から遠いので関係ないと思うだろうが、それは違う。飛行訓練は嘉手納飛行場でもやっているのだ。それがなぜ分かるかというと、イラク、シリア戦が始まったのに合わせて嘉手納飛行場の騒音がひどくなったからだ。嘉手納飛行場では離着陸する戦闘機が増え、深夜だけでなく明け方までエンジン調整の爆音が聞こえるようになった。現在夜の12時であるが嘉手納飛行場からエンジン調整の爆音が聞こえるし、時々飛んでいる飛行機の爆音も聞こえる。
 アフガン戦争が始まるまで嘉手納飛行場は静かだったが、アフガン戦争が始まるとエンジン調整の爆音がひどくなった。アフガン戦争の次はイラク戦争が起こり、嘉手納飛行場の爆音は続いたが、イラク戦争が終わると静かになっていた。しかし、イラクでISISとの戦争に米軍が参加して爆撃が始まると、嘉手納飛行場の爆音の時間が長くなり、それは現在まで続いている。ISISとの戦争が終わるまで嘉手納飛行場の爆音は続くだろう。

 フィリピンのミンダナオ島で過激派組織「イスラム国」に忠誠を誓う武装組織とフィリピン軍の戦闘が始まった。ドゥテルテ大統領は、ミンダナオ島に戒厳令を出して対応にあたっているが、武装組織が市の一部を占拠し、市民を人質にするなどしていて戦闘は長期化している。米軍は戦争に参加していないが、もし、フィリピンの要請があれば参加するだろう。参加することになれば沖縄の海兵隊がオスプレイでフィリピンに移動するだろう。

 アジアでは中国や北朝鮮だけでなく、「イスラム国」や共産ゲリラなどの反政府勢力が存在していてフィリピンのようにアジアのどこかで戦争が起こる可能性がある。沖縄の米軍基地はそのような戦争にもいつでも対応してアジアの平和を守る態勢にある。

 沖縄の米軍基地は日本を守るためだけに存在しているのではない。アジアの平和を守っている米軍の一つとして存在している。
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