米軍の重圧に苦しんだのは本当ですか





宮平亀一さんは93歳である。宮平さんが生まれたころの大正の末から昭和初期にソテツ地獄があった。宮平さんが覚えているかどうかは知らないが聞いたことはあると思う。宮平さんはソテツ地獄のあとの沖縄の貧しい時代を体験した人である。
さとうきびは唯一の換金作物であり琉球王朝時代は砂糖を本土に売って琉球王朝は儲けていた。本土ではさとうきびを栽培できないので本土では砂糖は貴重なものであり、明治以後は国策として沖縄全島でさとうきびを栽培させた。沖縄はさとうきび以外の産業はなかった。宮平さんは、「県内には見るべき産業がなく、若い世代は海外移民が盛んになった」と戦前の様子を自分の体験から述べている。沖縄の戦前の経済力は50万人くらいしか住むことができなかったといわれている。畑で生活できるのは長男だけであり、次男三男は村から出ていき、本土や国外に移住するしかなかった。
 
 沖縄の自然は戦前も戦後も同じである。もし、米軍がいなくて戦前と同じ環境であったら沖縄の人たちは戦前と同じ貧しい暮らしをしていたはずである。沖縄には資源がない。赤土は痩せていて野菜をたくさんつくることはできない。沖縄は島国であり、中国大陸からも本土からも遠く離れていて産業が発展する要素もない。

 宮平さんが産業や経済に知識があったなら、沖縄の経済が発展し、どんどん人口が増えたのは米軍基地が沖縄に駐留していたからだと気付いていたはずである。アメリカが一番恐れていたのは沖縄の人たちの貧困による米軍への暴動であった。だから、米軍は軍雇用員を必要以上に多く採用して、沖縄の人たちの生活を向上させる努力をした。
 労働を知らない沖縄の人たちの仕事ぶりはひどいものだったらしい。監視役のハンチョーが居るときは働いて、ハンチョーがいないとユンタクして仕事を怠けたらしい。そして、ハンチョーが来ると再び仕事をやった。私の父も軍雇用員だったらしいが、私の父は頭が悪いというか容量が悪いというか、ハンチョーが来てもすぐには仕事をしなかったらしい。それでクビになったということだ。そのことは母の笑い話の一つとなっていた。
 沖縄の人たちは基地経済のおかげでそこそこの生活ができた。復帰した当時の沖縄の失業率はなんと1パーセント以下だったということだ。これは米軍が失業者を出さない対策があったからである。壷屋焼きの陶器を多く買い、壷屋焼きを復興させたのは米軍人である。那覇市が繁栄したのは地方の軍雇用員や軍を相手に商売している人が那覇市で買い物をしたからである。山形屋、リウボーなどの百貨店は那覇市にしかなかった。映画も沖縄で最初に上映するのは那覇市だった。

 沖縄の経済が発展した要因は沖縄が民主主義社会になり、戦前のような金持ちや特権階級が社会をを支配している時代ではなくなった。財産もない教養もない庶民が平和通りやアメリカ通りと呼ばれる市町村につくられた市場で自由に商売をすることができた。アメリカ軍が発注する建設などの仕事も自由競争だった。
 
マスコミの報道や革新政治家や知識人たちと彼らに感化を受けた人によって、戦後の沖縄は米軍基地に苦しめられたというイメージが定着しているが、戦後に生まれ育った者にとっては、むしろ、自由で活気に溢れていた沖縄という印象のほうが強い。

 宮平さんは沖縄の経済が戦前に比べて何倍も向上した原因が米軍のお蔭であることを理解していない。「国民平等の原則」とは権利の平等であり、宮平さんが考えている生活が全国平等になるということではない。生活が平等になり貧しい人がいない社会を目指すのは社会主義であるが、ソ連やヨーロッパのすべての社会主義国家が崩壊したように、現実は宮平さんが考える社会を実現するのは困難だ。「国民平等の原則に照らし、米軍基地を県外に移設し、平和で豊かな生活を取り戻さねばならぬ」と宮平さんは述べているが、米軍基地を県外に移すということは同じ日本国民を苦しめるということになる。これは沖縄の人間が利己主義だと思われてしまう。
 沖縄は宮平さんのいう「平和で豊かな生活」になった過去は一度もない。「平和で貧しい生活」はあった。戦争がない平和な沖縄であったがソテツ地獄があり、極貧なために娘を遊郭に売り、息子を糸満の漁師に売った。戦前まで遊郭売りや糸満売りがあったことを宮平さんは知っているはずだ。
 宮平さんはそんな生活に戻ろうと言っていることと同じだ。

 中国や北朝鮮が危険な国でなくなれば米軍は撤去する。中国が市場経済を導入してアメリカとの貿易では莫大な利益を上るようなった。アメリカと戦争すると中国も大打撃を受けるからアメリカとの戦争の危機はなくなった。中国が周囲国との大っぴらな戦争をする可能性も低い。であるから、沖縄から米軍基地は徐々に撤去している。これからも米軍基地は撤去していくだろう。
中国と日本はお互いの国債を所有することになった。経済関係が密接になりお互いになくてはならない存在になれば戦争、紛争を起こすことはなくなる。中国、日本、アメリカはゆっくりではあるがそういう関係を築いている。
しかし、まだ対立する問題もあり、緊張関係は続いている。だから、沖縄に米軍基地は必要だ。

宮平さんは西原町に住んでいる。宮平さんは本当に米軍基地の重圧に苦しい思いをしているのですか。西原村には米軍基地はなかった。西原村の人たちは本当に米軍基地の重圧に苦しんでいるのですか。宮平さん。戦前の生活と戦後の生活を比べてください。戦前の自由と戦後の自由を比べてください。戦前に比べれば戦後の生活は豊かではないでか。戦前比べれば戦後はなんばいも自由ではないですか。

異民族のアメリカ軍に負けた悔しさが宮平さんの心の底にはあるかも知れない。異民族であるアメリカ人に違和感があるかもしれない。異民族であるアメリカ軍に支配された悔しさが宮平さんの心の底にはあるかもしれない。

 ううん。これ以上宮平さんになにを言えばいいかわからない。中途半端ではあるが、これで終わりだ。
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