キャラウェイ弁務官こそが沖縄社会の民主化を目指していた1



アマゾンで注文・購入できます。
アマゾン・ヒジャイ出版
本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします。

:掲示板
沖縄内なる民主主義19新発売中

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新報社説は「内なる民主主義」がない5
キャラウェイ弁務官こそが沖縄社会の民主化を目指していた1

1952年に行政主席・立法院・裁判の三権分立の琉球政府が設立される。行政首席は民政府が任命、立法院議員は市町村民の選挙で選ばれた。

行政主席の職務・権限
行政各局の管理運営に責任を負い、米国民政府の認可のもとに職員を任命する。
立法の委任がある場合には、その施行のために必要な規則を定めることができる。

立法院の権限
米国民政府の布告・布令・指令に反しない限りにおいて法律を制定する。立法院で制定した法律は米国民政府の承認を経て施行された。

沖縄の住民が選出した議員によって法律が制定されるようになったから、沖縄の民主化は発展していったように見えたが、実はそうではなかった。キャラウェイ弁務官のことを調べていくとその事実が分かってきた。


2015年4月 7日 (火)に翁長知事が菅官房長官に「キャラウェイのようだ」と言ったことをきっかけに琉球新報は翌日の8日に「『キャラウェイ』に反響63年「自治神話」報道」の記事でキャラウェイ弁務官の「沖縄の自治は神話」発言について書いている。

菅義偉官房長官との会談で翁長雄志知事が引用したキャラウェイ高等弁務官の「自治神話論」発言があった1963年3月、高等弁務官の発言を批判的に報じた琉球新報の社内には緊張感が広がっていた。
・・・・・・
・・・・・・・
「自治は神話である」―。1963年3月5日、キャラウェイ高等弁務官は那覇市内・ハーバービュークラブの「金門クラブ3月月例会」に招かれ演説。翌6日の琉球新報朝刊は一面で演説内容を次のように記す。

「自治とは現代では神話であり存在しない。琉球が再び独立国にならないかぎり不可能」
「琉球政府への権限委譲は行政命令にも規定し、努力も払われているが現在の琉球政府の状態ではまだまだ」
演説は県民の「自治権拡大」の熱望に冷水を浴びせ、同日夕刊で立法院野党各党は猛反発した。
               琉球新報
キャラウェイ弁務官が「自治権拡大」の熱望に冷や水を浴びせたことに野党は反発したと新報は報じている。野党とは人民党や社大党の左翼政党であり反米主義の左翼政党が反発するのは当然であるが、与党の保守の方もキャラウェイ弁務官には反発していた。保守革新の政党から嫌われたのがキャラウェイ弁務官である。

「沖縄の自治は神話である」と発言したポール・W・キャラウェイ氏が高等弁務官に就任したのは、琉球政府が設立してから9年後の1961年2月16日である。弁務官の中で一番悪名高いのがキャラウェイ氏であるが、キャラウェイ弁務官が沖縄の住民を弾圧し苦しめる政治をやったと思うのは間違いである。キャラウェイ弁務官がやった政治は沖縄の住民のためであった。彼の演説の全文を読めばそのことが分かる。ところが沖縄の政治家も新聞もキャラウェイ弁務官を自治権拡大を許さない独裁者であると非難したのである。原因はキャラウェイ弁務官と沖縄側との間には自治についての考えの決定的な違いがあった。

リンカーン大統領の有名な「人民の人民による人民のための政治」の格言が民主主義の原則と言われている。キャラウェイ弁務官はリンカーン大統領のいう民主主義の原則を実現するのが自治であると考えていた。しかし、沖縄の自治は「人民の人民による人民のための政治」ではなく「一部の人間の一部の人間による一部の人間のための政治」であった。沖縄側が要求したのは沖縄の一部の人間による政治決定権であったのだ。沖縄の政治にはリンカーン大統領のいう「人民のため」が欠落していたのだ。キャラウェイ弁務官はそれを弁務官権限で「沖縄の人民のための政治にした」のである。
キャラウェイ弁務官のいう自治とは、納税者の最小限の負担で政治の安定並びに住民の福祉で最大の効果を上げながら合法的な機能を効率的に行使する政治のことである。琉球政府がそのような政治を行い、政府の機能を十分行使する能力があることを実証すればキャラウェイ弁務官は「沖縄の自治は神話」とは言わないで沖縄に自治権を拡大していっただろう。しかし、沖縄の政治は合法的な機能を沖縄人民のために効率的に行使するのではなく一部の人間の利益のために行使するだけであった。
米民政府が権力機能を移譲すると、特殊な利益団体が納税者の負担で利益を享受したり、一般住民を無視して特権層が利益を享受していた。その事実が米民政府の調査によって明らかになったから権限の委譲はしないとキャラウェイ弁務官は言ったのだ。

キャラウェイ弁務官は「沖縄の自治は神話である」の演説で琉球政府、立法院、司法が沖縄住民のためではなく一部のための政治であることを指摘し批判した。

琉球政府批判
1、琉球政府は失業保険制度が制定されたとき、その   資金の管理者にされたのである。しかし、同資金は琉 球政府のものではないのである。その資金は被雇用者や雇用者が納入した者であり、それから利益を受ける労働者に所属するものである。琉球政府は単に、その資金を労働者のために保管しているのに過ぎないのである。しかし、同資金を労働者の利益以外の目的のために流用しようとしたことが、これまでに幾度となくあったのである。同資金の保全にとっての脅威は、やっと最低必要な保護策が立法されるまで続いたのである。

2、琉球政府は、労働争議の一部である小さな暴力に なるかもしれない行為と、争議の一部ではなく、実際に刑事上の行為である暴力行為とを区別することをこれまで一貫して拒否してきたのである。政府は労働争議中のすべての行為を、争議の一部とみなす傾向があったのである。この主張は、法律的見地から支持することはできないのである。これは、その平和と安隠を保つため社会に対して責任を持つ当局によって、全社会を相手として犯された欺瞞行為である。そして、これは琉球政府の方で責任を取ることを拒否することになるのである。

3、西原地区における二つの競合する製糖工場の問題は、責任回避の一例である。道をへだてて二つの製糖工場を設立し、同じ農民からサトウキビの奪い合いをさせることに経済的な妥当性がないことは知られていたのである。それにもかかわらず、琉球政府は二つの製糖工場を許可したのである。この措置には、その地域の住民への、ひいては琉球経済全般に対する影響についての考慮がなされていなかったのである。今日、農民も工場側もこの問題および少なくともこれと性質を同じくするもう一つの問題に対して、無謀にも無責任であった琉球政府も、砂糖産業を合理化することを狂気のように試みており、その反面それと同時に他地域からの競争に対処するため、より大型の、したがってさらに小数の製糖工場にする決裁を避けようとしているのである。

4、多年にわたって琉球の銀行は、ほとんど完全な許可証を受けて運営を許されてきたのである。私は自由という言葉よりむしろ許可証という言葉を用いる。というのはここでもまた、私たちは、銀行と政府による信用機関の甚だしい濫用を見出すからである。この分野における不正行為の一例として、理事たちは彼らが経営している営利会社に無担保貸し付けを行うことが認められていたのである。これらの資金は、銀行に彼らの貯金を任せた大小多数の預金者の預金から出たのである。このような行為は他国ではほとんどどこでも重罪となるのである。琉球政府は、これに対して措置を取ることを拒否し、その代り弱々しくもその責任を回避して、米国民政府にそれを転嫁しようとしたのである。

立法院批判
1.医療法案は病院、診療所および助産院が一般大衆保護のための最低基準に適っているか、いないかを確かめるために必要な年次監査を規定しなかったのである。法律違反に対する刑が専門的水準を維持する上に全く不十分であり、また、不法営業を除去したり、厳重に防止することもできなかったのであろう。
2.立法院は、その労働者災害保障保険法案の草案の中で労働者が被った業務上障害のため、雇用者が当然も持つべき負担額を納税者に負わせるように法案を書き表して、納税者の税金の不当な使用を許可しようとしたのである。

立法院は、行政府と同様、琉球住民の利益のために必要とされているすべての法律を制定する権限を委任されているのである。立法院がそれをなし得なかったことに対して、高等弁務官が立法院に十分な権限を委任しなかったり、その行動に対する責任を与えなかったとして、高等弁務官のせいにして逃れることはできないのである。

司法批判
司法はその義務と責任の性質上、責任を引き受け、それを遂行するのに最も優れた記録を持っているのである。したがって司法府はおそらくもっとも広範囲の責任を持っているのである。しかし、ここにも法律上迅速な裁判をなす場合、それをよほど遅らせたり、法曹人の職業的水準が望まれているよりも低いのを黙認している例があるのである。

「沖縄の自治は神話である」の演説で指摘した問題はキャラウェイ弁務官が初めて指摘していたものではない。以前から米民政府が指摘して沖縄側に正すように忠告していた問題であったが、沖縄側は米民政府の忠告に目を背け正すことはしなかった。しびれを切らした米政府は沖縄の政治を正す目的でキャラウェイ氏を弁務官に任命したと思える。それはキャラウェイ氏の履歴を見れば納得できる。

ポール・ワイアット・キャラウェイの履歴
キャラウェイ氏は1905年12月23日、アーカンソー州ジョーンズボロで父・サディアスと母・ハッティの間に生まれた。三人兄弟の一人であり、兄弟の名はフォレストとロバートで、後にフォレストはポールと同じくアメリカ陸軍将官となった。
両親はともにアーカンソー州選出のアメリカ合衆国上院議員を務め、母は女性で初めて選挙により選出された上院議員である[。
キャラウェイ氏はジョージタウン大学を卒業し、1933年弁護士の資格を取得した。軍を退役した彼は、1965年から1968年の間アーカンソー州のハーバー・スプリングスで弁護士を開業し、その後ワシントンD・Cのベンジャミン・フランクリン大学で教鞭を執った。彼はメリーランド州で晩年を送ったとされる。

キャラウェイ弁務官は弁護士であり法律に詳しく、法治主義・民主主義に徹していた人物であったのだ。だから米政府は彼を沖縄の高等弁務官に任命したのである。

琉球政府の設立から7年後の1959年(昭和34年)に米民政府は域内の金融機関を調査させた。すると、琉球銀行を除く各金融機関の杜撰(ずさん)な経営内容が発覚した、米民政府はただちに「厳重警告」を発すると共に、琉球政府に銀行監査強化を要請した。翌年にも琉球政府に対し再三にわたって銀行行政の改善を求めた。しかし、改善することはなかった。
琉球政府は金融検査部を設置するが、同部の人事権が琉球政府行政主席の掌中にあるため、せっかく米民政府同部が金融監督権や逮捕捜査権を与えても発動することをしなかったのである。この為、金融機関の腐敗は拡大の一途を辿った。自治権を与えてもその権利を有効に使わなかったのが琉球政府だったのである。
こういう現実に対してキャラウェイ弁務官が「沖縄の自治は神話である」と言ったのである。沖縄の自治は現実ではなく神話の中にあると沖縄政治を批判したのである。政治に神話は必要ない。いや、あってはならない。だから、キャラウェイ弁務官は神話を現実にするために動いた。キャラウェイは金融検査部の独立制を保つために人事権を琉球政府から奪い高等弁務官のものとした。そして金融検査部長に、当時琉球大学で教鞭をとっていた公認会計士の外間完和を任命し、各金融機関の一斉捜査を開始したのである。外間完和氏は金融機関からのコーヒー一杯の接待も拒否したという。
独立制の強い金融検査部によって金融機関の腐敗が明らかになり、沖縄銀行の頭取を含む三行の役員数名を背任行為で逮捕。琉球農林中央金庫などの公的機関を含む、沖縄14金融機関65人を退任させたのである。これが「沖縄の自治は神話である」と言ったキャラウェイ弁務官がやったことである。
それからようやく、琉球政府はその重い腰をあげ、各金融機関に対し綱紀粛正を促す「政治献金の全面禁止、および金融機関職員の融資の際の金品の供応等の受領禁止」の通達を出した。
キャラウェイ高等弁務官が動くまで琉球政府は今では当たり前であるが、当時でも当たり前であった「政治献金の全面禁止、および金融機関職員の融資の際の金品の供応等の受領禁止」の警告も出せずにいたし、不正を見逃し続けてきたのである。

キャラウェイ弁務官は琉球銀行の株主総会に本人が筆頭株主(米国民政府が51%の株を所有)として出席し、その席上で経営陣の責任を追及し、経営陣の総辞職を行わせた。

キヤラウェイ弁務官のやったことを沖縄の自治を認めない独裁政治と決めつけるのは間違いであることが理解できたと思う。キャラウェイこそが沖縄の自治の在り方を真剣に考え、沖縄人民のための民主政治を実行したのである。沖縄人民のための政治ができなかったのは琉球政府のほうであった。
 
    つづく
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )