埋め立てはどんどん進む。それなのにデニー知事はのんびりトーク全国キャラバンだとよ



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埋め立てはどんどん進む。それなのにデニー知事はのんびりトーク全国キャラバンだとよ

 県が実施した県民投票で辺野古埋め立て反対が7割を超した。県民は埋め立てに反対なのだから、県民の代表である玉城デニー知事は民意が実現するまで懸命に行動するべきである。もし、埋め立てが阻止できなかったら知事の座を退く覚悟で取り組むべきである。それが県知事のあるべき姿である。しかし、デニー知事は辺野古埋め立て阻止に真剣に取り組む気はないようだ。
 県民投票から5カ月が過ぎた。辺野古埋め立てに本部港からも土砂を運ぶようになったし、辺野古埋め立て現地では新たにK8護岸からの土砂の陸揚げもするようになり、埋め立て工事のペースが二倍になった。そんな時にデニー知事が新たに始めたのが  
安全保障の負担を全国で考えてほしいと訴えるトークキャラバンである。日々を重ねれば重ねるごとに辺野古埋め立て阻止に心血を注いでいくかと思いきやなんと、「トーク」キャラバンをするというのだ。「トーク」である。あきれてしまう。県知事の仕事は「トーク」をすることではない。県知事の仕事は行政である。やるべきは「トーク」ではなく「行政」である。県知事のやるべきことは県民への公約を実現し、県民の希望を実現していくことである。
県民投票で7割以上の県民が埋め立てに反対したのだからデニー知事は埋め立て阻止の実現に突き進むべきである。突き進んでいると思いきや、なんと11日に東京のルポール麹町でたった200人の市民を集めてトークをしたのである。議員でもない、知事でもない普通のたった200人の市民を集めてトークをしたのである。デニー知事は東京だけでなく全国キャラバンをやるという。「トーク」で沖縄に負担が集中する安全保障について全国的な議論の喚起を狙うというのである。東京で集まった市民はたった200人である。東京の人口は1300万人である。1300万人の内のたった200人とトークしたのである。これでは政治的な効果は0である。沖縄県の行政の長である県知事ならばわずか200人の東京都民とトークするのではなく東京都の行政の長であると知事とトークするべきである。
デニー知事がやるべきは市民と「トーク」することではなく、辺野古移設を阻止するために都道府県知事や市町村長との交渉をするべきである。

県の情報発信のための全国キャラバンは1996年の大田県政がやったという。そうであるならば太田県政の全国キャラバンの成果を分析するべきである。全国キャラバンによって日本中に沖縄問題が理解され、沖縄問題が解決されていったならデニー知事も全国キャラバンをやるべきである。そうでなかったらやるべきではない。事実、太田県政の全国キャラバンの成果はなかった。東京のルポール麹町で行った全国キャラバン最初の集会を見れば全国キャラバンがなんの成果もないことは予想できる。
キャラバンの題名が「We love OKINAWA デニー知事キックオフ・シンポジウム―沖縄の声を聞き、皆で考えてみませんか?」である。東京の市民に「We love OKINAWA」を主張するキャラバンなのだ。東京市民なら「We love TOTYO」である。東京市民に東京愛を示すことはなく一方的に「We love OKINAWA」を掲げ、沖縄のことを考えろというのはどうだろうか。沖縄に強い関心がある市民なら聞くだろうが、沖縄に関心のない市民なら聞かないだろう。
 デニー知事は、200人の市民に薩摩の侵攻に歴史をさかのぼりながら「為政者による圧力が今日に至るまで続いている。その最たるものが辺野古の現状だとぜひ受け止めて、自分ならどうするか主権者として考えてほしい」とそれぞれが考えるよう訴えたという。デニー知事は薩摩侵攻を問題にしているが、琉球王国も宮古、八重山。奄美大島を侵攻をした歴史的事実がある。

奄美群島南部の沖永良部島と与論島は、14世紀に沖縄本島北部に存在した北山王国の勢力圏に入った。15世紀に入り、沖縄本島の統一を進めていた第一尚氏は1416年に北山王国を滅ぼし、その領土であった与論島と沖永良部島に服従を要求する。沖永良部島において、北山王の一族であった島之主一家とその重臣達は使者船を侵攻と誤認して自刃した。1429年に両島は琉球王国の領土に組み込まれた。次いで徳之島も服属した。
1447年に第一尚氏4代尚思達王が奄美大島を征服。1450年から1462年まで、喜界島を攻略するためほぼ毎年攻撃を仕掛けていた。
1466年に尚徳王が自ら3000の兵を率いて喜界島を制圧して、琉球王国は奄美群島全域を支配下に置いた。全域支配の成った1466年、琉球王国は那覇に泊地頭(泊港)を置き、奄美群島各地に年貢の納付を改めて命じた。

デニー知事の主張は沖縄本島で三国を統一した琉球王国中心の理論であり、客観性がない。封建時代は武力に強い国が弱い小国を武力で支配し、年貢を納めさせる時代であった。武力で勝る琉球王国は宮古島、八重山、奄美大島を武力制圧し年貢を納めさせたのである。1609年には武力で勝る島津に琉球王国は支配された。封建社会は支配者の弱肉強食の時代だった。
しかし、琉球処分は違う。封建社会の江戸幕府を滅ぼして近代国家を設立した明治政府は武力で琉球王国を滅ぼしたが、琉球を支配し、年貢を納めさせたのではなかった。明治政府は琉球王国を滅ぼして四民平等の沖縄県を築いた。
 デニー知事には島津侵攻と琉球処分そして安倍政権も沖縄に圧力をかける為政者にしか見えないようだ。
 ハーフであり身分が最下層であるデニー氏が琉球国王になれるはずはなかった。明治から戦前までは日本政府が県知事を派遣していたから、四民平等ではあったがデニー氏が県知事になれることはなかった。戦後、日本復帰して日本の法律が沖縄に適用されるようになり、県知事は県民の選挙で選ばれるようになったからデニー氏は県知事になれたのである。それなのに島津侵攻以来の為政者による圧力が今日に至るまで続いていると考えるのはおかしい。もしそうであればデニー氏が知事になれたはずがない。日本が法治主義の議会制民主主義国家になったからデニー氏は県知事になれたのである。
 デニー知事は、辺野古の工事の在り方について「法律の解釈のねじ曲げが続くと、日本の民主主義も地方自治も成り立たない。沖縄の現状ではなく、自分ごととして考えてほしいと全国に伝えたい」と東京都の200人の市民に話したという。
 法治国家である日本で法律の解釈の捻じ曲げが簡単にできるのか。もし、デニー知事のいうことが正しいなら日本の民主主義も地方自治も成り立たないだろう。議会制民主主義国家の政府が法律を捻じ曲げているとは考えられない。むしろ、法律を捻じ曲げようとしたことが明らかになったのは政府ではなく翁長知事の承認取消だった。最高裁で翁長知事の承認取り消しは違法であるとの裁定が下ったのだ。

デニー知事は「政府は辺野古が唯一の解決策だという。だが、どこと比べて唯一なのか沖縄県民は説明を受けたことはない。辺野古が唯一という理由、理屈が成り立っていないから説明してと求めている。説明できないものを実行するわけにはいかない」と改めて辺野古新基地は認められないと強調したが、現実はデニー知事が認めなくても埋め立て工事は着々と進んでいる。デニー知事が「実行するわけにはいかない」と言っても安倍政権は実行しているのである。

県知事は県行政の長である。国の行政の長ではない。デニー知事は県行政の長なのだから国の行政の在り方を追及する前に沖縄県の行政に集中するべきである。デニー知事の歴史や法の解釈は行政ではないし解釈が辺野古埋め立て工事にいささかも影響することはない。全国キャラバンは少数の市民に県の税金を使ってデニー知事のたわごとを聞かすだけである。行政の長であるデニー知事がやるべきものではない。
政府は「辺野古が唯一である」と述べて、辺野古移設工事を進めている。デニー知事は「辺野古が唯一という理由」を政府は説明していないと言うが、政府は名護市長とV字型滑走路飛行場建設で合意し、県知事とは埋め立てで合意した。だから辺野古飛行場建設工事をやっている。「辺野古が唯一という理由」を説明しなくても法に則って実践していく。それが行政だ。
デニー知事がやるべきことは「トーク」することではない。県民投票で明確になった辺野古埋め立て反対の民意を実現することである。東京キャラバンをのんびりとやっている暇はない。真摯に辺野古埋め立てを阻止するのに取り組まなければならないのがデニー知事である。
県民投票の民意を根拠にした安倍政権への辺野古埋め立て中止要求は政府の「辺野古移設が唯一」という理由によって実現させることはできなかった。安倍政権が県民投票の民意を無視したのである。安倍政権の民意無視に日本の民主主義も地方自治も成り立たないとどんなに叫んでも辺野古埋め立てを止めることはできない。それが現実である。安倍政権への中止要求では辺野古埋め立て反対の民意を実現することはできないことは明らかである。であるならば他の方法を模索しなけれはならない。しかし、まだ有効な方法は見つかっていないようである。追い詰められているデニー知事であるはずだがなんとのんびりと全国キャラバンをするというのである。これでは辺野古埋め立て阻止に真剣に取り組んでいるとは言えない。

6月14日で沖縄防衛局が辺野古沿岸部に埋め立て土砂を投入して半年となったことについてデニー知事は、
「埋め立て工事を行わないようぎりぎりまで政府に求めてきたが、土砂投入の強行は非常に遺憾だ」
とした上で、県民投票の結果に関係なく工事を進めると宣言した通り埋め立てを進めている政府に対して、デニー知事は2月の県民投票の結果を踏まえ、政府は工事を中止して県と対話する場を設け、解決策を模索すべきと主張した。
政府の解決策は辺野古移設である。着実に埋め立てを進めるのが政府の方針であるし、実際に埋め立てを着実に進めている。そんな政府が埋め立てを中止することはないし、解決策を模索することもない。模索しなければならないのはデニー知事である。

 デニー知事は、政府に対話を呼び掛けながら、行政指導や国地方係争処理委員会の審査申し出、抗告訴訟など法律に基づいた対抗策を講じると述べている。デニー知事の模索はこの程度である。
 翁長知事が承認取消の法廷闘争で敗北したように法律に基づいた闘いでは政府に絶対に勝てない。ということはデニー知事の対策では辺野古移設を阻止することはできない。阻止できないのに阻止できるる振りをしているのがデニー知事である。

キャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」の講演の中で、沖縄の政治を批判し、
「政治とは実際的な問題を処理していくことであって空想的な計画を作ったり、圧力団体がスローガンを叫ぶことではないのである。政治というものは可能なものを行う芸術である」
と述べた。50年以上前のキャラウェイ氏の批判であるが、彼の批判は現在の沖縄の政治にも通用する。

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