辺野古移設反対派の抗議は民意ではない


「翁長知事・県議会は撤回せよ謝罪せよ」
「一九七一Mの死」
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 辺野古移設反対派の抗議は民意ではない

 知事選挙はいうまでもなく法律の規定に従って行われるから合法である。合法である知事選挙によって辺野古移設反対を公約にした翁長知事が大勝した。
 翁長知事はあらゆる手段を使って辺野古移設を阻止すると宣言し実行している。仲井真知事が承認した辺野古埋め立て申請に瑕疵があるかどうかを検証しているし、トンブロックがサンゴを破砕しているかどうかを調査し、サンゴが破砕していたら岩礁破砕許可を取り消す可能性を示唆している。
 翁長知事はあらゆる手段を使って辺野古移設を阻止すると宣言しているが、翁長知事が県の予算で船を買い、多くの県庁職員を連れて、辺野古の海のフロートを乗り越え、オイルフェンスも超え、スパット台船を占拠して作業を中止させた時、それも翁長知事のいうあらゆる手段の内に入るだろうか。辺野古移設反対派は翁長知事に拍手喝采するだろうし、翁長知事に勇気づけられた辺野古移設反対派も次々とスパット台船を占拠するだろう。
 あらゆる手段であればこのような行為も含まれるが、誰も翁長知事がこのようなことをするとは考えていないだろう。あらゆる手段といっても、公的な地位にある「知事」は法律を遵守する立場にあり、違法行為は許されない。進入禁止であるフロートを越えてスパット台船を占拠することは翁長氏個人はできるだろうが知事という立場ではできない。翁長知事のいうあらゆる手段とは法律を遵守した合法的なあらゆる手段である。

 翁長知事は辺野古移設反対を公約にして選挙に勝った。だから、沖縄タイムスは「選挙結果に基づく民意」は辺野古移設反対であるから、辺野古移設反対を掲げて行動するすべてが民意を反映しているように述べている。しかし、それは違う。県民は翁長氏を選んだのだから県民の民意は翁長知事に託したのである。翁長知事以外の人や団体に託したのではない。
 民意を根拠に辺野古移設反対派はキャンプシュワブゲートを占拠したり、国道の歩道にテントを張ったり、進入禁止のフロートを乗り越えたりしているが、そのような行為も民意であるというのは間違っている。県民の民意は翁長知事の合法的な行為に託されたのであって辺野古移設反対派の違法な行為に託してはいない。

 こうした中、沖縄防衛局は県などの抗議を受け流し、新基地建設にまい進している。
                                         「沖縄タイムス」
 「県など」の「など」には辺野古移設反対派が含まれている。「県」と「など」を分けて考えると、沖縄防衛局が県の抗議を受け流しているというのは間違いである。沖縄防衛局は「県」の抗議を受け流していない。防衛局は辺野古埋め立て申請を出したが、審査した県の疑問には防衛局は丁寧に答えている。
 トンブロックについても設置する前に事前に県に伝えたことが報道で明らかになった。埋め立て作業を停止しろという翁長知事の抗議に対して政府も沖縄防衛局も停止しない理由を翁長知事にきちんと答えている。沖縄防衛局が県の抗議を受け流したことはない。県の抗議を真正面から受け止め、誠実に答えている。「沖縄防衛局は県などの抗議を受け流し」という沖縄タイムスの指摘は間違っている。
 
キャンプシュワブの辺野古移設反対派が「県など」の「など」に入るなら彼らの抗議は民意の内には入らない。「など」の抗議にいちいち対応する義務も必要も政府や防衛局にはない。彼らは県民の「民意」によって結成した集団ではない。選挙の結果に関係なく、辺野古移設が決まった時から反対運動をしている左翼集団である。辺野古移設反対を公約にした翁長氏が知事になったのだから辺野古移設反対は確かに「民意」である。しかし、だからと言って辺野古移設反対を掲げて行動するすべてが「民意」というわけではない。
キャンプシュワブの辺野古移設反対派は日米安保廃棄、沖縄の米軍基地撤去を目標にした政治集団である。辺野古移設反対は米軍基地撤去を根拠している。彼らは普天間飛行場の閉鎖・撤去を主張している。翁長知事と同じ県外移設を主張していない。政治集団である彼らは平然と違法行為をやる。キャンプシュワブに入ろうとする運搬車や従業員の車や公用車の前に立ちふさがる。トラックの下に潜り込む者もいる。国道沿いに違法なテントをつくって籠城し、テントを撤去しようとした警察に激しい抵抗をした。船やカヌーで進入禁止のフロートを越えてボーリング調査作業を妨害しようとする。このような違法行為も辺野古移設反対を主張すれば「民意」であるというのは間違っている。沖縄タイムスは彼らの行為も民意であると主張するのか。違法行為が民意であるはずがない。
民意は翁長知事の合法な「あらゆる手段」に託したのであり、キャンプシュワブの違法行為の反対運動に託したのではない。辺野古移設反対派の行動は民意ではない。ところが沖縄タイムスは辺野古移設反対を掲げていることを理由に辺野古移設反対派の行為を民意であるというのである。沖縄タイムスは「民意」をねじ曲げている。

 沖縄タイムスは反対派の違法な暴力行為を「抗議」と呼んで正当化している。抗議ならば声を上げて反対しているのをイメージするので沖縄タイムスの読者は反対派が紳士的に振舞っている思うだろう。それは違う。キャンプシュワブの現場で展開されているのは違法な暴力行為である。反対派の違法な暴力行為を「抗議」と報道している沖縄タイムスは辺野古の現実を捻じ曲げて報道している。
 辺野古移設反対派の船やカヌーは何百回何千回と進入禁止のフロートを越えている。もし、フロートを越えている瞬間の写真を何度も掲載し、彼らが違法行為をしていることを報道すれば県民は辺野古移設反対派に反発を増していくだろう。沖縄タイムスは県民が反発するような写真の掲載を避けている。沖縄タイムスは海保は過剰警備していると報道するが、海保が過剰警備をしているのではなく反対派が過激な行動をしているのだ。沖縄タイムスは辺野古反対派の過激な行動を隠蔽している。

 辺野古で起きている、これらの現実を直視すれば、日本という国の隠れた本質と矛盾が浮かび上がる。
                                     「沖縄タイムス」
報道機関が乗る複数の漁船の船長に対し、海上保安庁は「立入検査指導事項確認票」に同意しサインすることを求めた。同意書の内容である。
(1)工事作業区域には進入しない。
(2)キャンプシュワブ基地内に上陸しない。
(3)船長は乗船者の安全の確保に責任があり、自ら入水したり、乗船者を入水させない。
(4)現場では海保ゴムボートの指示に従う。
(5)工事作業船や工事警戒船に接近しない。
当然守るべき事項であるが、同意書を求めたということは報道機関が守っていないからである。抗議船やカヌー隊も同じである。
TBS報道特集で、金平茂紀キャスターはフロートを何度も超えたと言っていた。全国放送のテレビでである。フロートは進入禁止を示すものであり陸の金網と同じである。フロートを越えたということは金網を超えることと同じことであり、違法に米軍施設内に入ったことになるが、そのことを金平茂紀氏は平然とテレビで話したのだ。沖縄では本土のジャーナリストも違法行為を平気でやる。辺野古の海は法治主義が存在しないエリヤになってしまっている。違法行為をやっているマスコミが反対派の違法行為を隠蔽しているのが辺野古である。

 「米軍は地元で歓迎されている」と公言してはばからない米政府と、日米同盟の盤石ぶりをアピールしたい日本政府にとって、辺野古での市民の根強い反発と抵抗は「見たくない現実」に違いない。
 「国家の暴走」を連日報じる沖縄の地元紙の存在を政府関係者が疎ましい、と感じるのも無理はないだろう。
                                      「沖縄タイムス社説」
 「米軍は地元で歓迎されている」は大げさであるが、カーニバル、基地見学会、基地内フリーマーケットなど米軍主催の催しには会場が超満員になるくらいに多くの県民が参加しているのは事実である。辺野古に集まる人と米軍の催しに参加する人を比べれば圧倒的に米軍の催しに参加する人が多いのも事実である。沖縄二紙はこの事実を隠し続けている。それは沖縄二紙が見たくないし県民に知られたくない現実だからである。
 沖縄タイムスは辺野古の左翼活動家を「市民」と呼んでいる。左翼活動家の存在を記事にするのは沖縄タイムスにとって不都合である。キャンプシュワブには共産党や社民党系の活動家だけでなく革マル派や中核派も参加している。過激な行動をしているのが過激派である。しかし、沖縄タイムスは過激派を市民と呼んで隠蔽しているのである。
 暴力革命を目指している革マル派や中核派は公安の監視対象であるから、キャンプシユワブには反対派集団を見張っている公安がいる。「根強い反発と抵抗」をしている連中の素性はすでに公安は把握している。政府は沖縄タイムスのいう「「見たくない現実」を正確に見ている。政府は見たくないから見ない。見たいから見るという次元の存在ではない。すべてを見て、状況を分析して対応するのが政府である。
 暴走していないのに「国家の暴走」と報じ、過激派の存在を隠して、市民が激しく反発し抵抗しているように嘘の報道をしている沖縄二紙を政府関係者が疎ましいと感じるのは無理ないだろう。

 沖縄タイムスは辺野古移設反対が「民意」であると主張し、辺野古移設反対派の違法行為には目を瞑り、彼らの運動を擁護している。「民意」と「法律」ではどちらが優先されるのか沖縄タイムスは考えたことがあるだろうか。沖縄タイムスは「民意」が優先するように主張しているが、実はそうではない。「民意」より「法律」が優先する。
例えば、国会で自衛隊を軍隊にすることを賛成多数で可決したとしよう。国会で可決したから自衛隊を軍隊にすることができるだろうか。それは知っている通り自衛隊を軍隊にすることはできない。なぜか、憲法で軍隊を持つことを禁じているからだ。憲法で禁じていることを国会の「民意」を理由に決めることはできない。国会で新しい法律をつくる時は憲法に違反しない法律だけしかつくれない。だから、「民意」であっても法に違反することはできない。国民投票をして過半数が自衛隊を軍隊にすることに賛成でも軍隊にすることはできない。自衛隊を軍隊にするには衆議院と参議院で3分の2以上の賛成があり、その上国民投票で国民の過半数があった時に軍隊にすることができる。法治国家である日本は徹底して法律が優先するのである。それこそが本当の民意を社会に反映することができる唯一の方法なのである。
辺野古移設反対派は違法行為を繰り返している。県民の民意が辺野古移設反対だとしても辺野古移設反対派の違法行為は議会制民主主義を否定するものであり、民主主義ルールを破壊している。彼らは犯罪者集団であり県民の民意を担う資格はない。

反対運動の拠点となっているテントは違法行為であり、撤去するよう国が忠告している問題をめぐり、沖縄タイムスは次のように述べている。

 市民らは「運動が手薄になった隙を狙って幾度となく不意打ちされてきた」と警戒。「闘いの場を守り抜くぞ」と声を上げた。集会が終わった午後4時ごろ、同事務所の職員が立て看板の位置を戻しにテント前を訪れた。
 市民らは職員を取り囲み「テントは明け渡さない」と反発。
                                          「沖縄タイムス」
 辺野古移設反対派は国がテント設置は違法であると忠告し、彼ら自身も違法行為であると認識している。それなのに「闘いの場」であることを口実にして職員を取り囲み「テントは明け渡さない」と反発したのである。辺野古移設反対派は法律を守ることよりも「闘い」を優先させて国の違法忠告もはねつけている。
 彼らは「民意」を口実に違法行為を正当化しているのだ。彼らは法律よりも「闘い」を優先している。彼らの行為は議会制民主主義の根幹である法治主義の破壊行為である。

 日本は民主主義国家である。地方自治体の権利も保障している。国が辺野古に米軍飛行場を建設しようとしても、地元が反対すれば建設することはできなかった。地元が建設に同意して初めて建設計画を進めることができた。
 国が辺野古建設計画を進めることができたのは第一に辺野古区民の同意があった。次に名護市長の同意があった。最後に鳩山政権時代に県知事の同意があった。三者の同意を得たから国は辺野古飛行場建設の計画を立て、最終的に辺野古埋め立てを県に申請したのである。
 埋め立て申請後は政治の場から公有水面埋立法という法律の場に移っている。辺野古移設に反対した翁長知事が当選しても「民意」を理由に政治的に辺野古建設を止めることはできない。国が公有水面埋立法に違反している場合にのみ中止させることができる。しかし、違反している箇所を訂正した場合は工事を再開できる。これもまた法律で保障している。
 公有水面埋立法では、辺野古埋め立てが県に不利益をもたらすことがあれば県は申請を許可しないことができる。辺野古埋め立てに関しては国よりも県の利益が優先するのだ。県に不利益がないことが明確になって初めて県は申請を許可する。
 国が一方的に辺野古建設をやることは法律が許していない。また、県が不利益がないのに政治的に反対して許可をしないことも法律は許していない。国の横暴も県の横暴も許さない中立の立場に立っているのが公有水面埋立法である。国と翁長知事は公有水面埋立法という法律に守りながら主張し合わなければならないのだ。

 公有水面埋立法を無視し、違法行為を繰り返している辺野古移設反対派は警察の取り締まりの対象にはなるが「民意」を担う集団にはなれない。彼らの「闘争」に屈して辺野古移設が頓挫した時は日本の議会制民主主義・法治主義の敗北である。絶対にあってはならない。

 海の安全を担う海上保安庁は、基本的に地元メディアとも社会的使命を一にする。そうした認識があるからこそ、本紙もこれまで同庁の啓発や活動の意義を発信してきた。
 同庁は今回の経緯について「一部報道機関から説明を求められたため」と明かしているが、優先すべきは県民の信頼回復だろう。民意に背を向ける政府方針に正当性はあるのかを問い、本来の職務に立ち返る勇気を求めたい。
                                         「沖縄タイムス」
 沖縄タイムスは辺野古移設反対派の「民意」を口実にした彼らの違法行為を一度も批判したことがない。違法行為を取り締まっている海保を過剰警備だと非難し続けたのが沖縄タイムスである。
「海の安全を担う海上保安庁は、基本的に地元メディアとも社会的使命を一にする」と沖縄タイムスは述べているが、それは間違いだ。地元メディアは報道の自由を根拠に活動するが、海保は国の法律を守るために活動している。違法行為を取り締まるのを任務としている海保の使命は地元メディアの使命とは全然違う。同じ社会的使命でも内容は異なる。
もし、沖縄タイムスが海保と「社会的使命を一」にすると思うのなら、海保の社会的使命の側に立ち、フロートを越えて進入禁止地区に入った船やカヌー隊の違法行為を批判し、彼らを取り締まる海保の行動を正当なものであると報道するべきである。ところが沖縄タイムスは海保の忠告を無視し、フロートを越えて進入禁止内にどんどん侵入し、海保に激しく抵抗する辺野古移設反対派を擁護し、怪我させないように気を遣いながら取り締まっている海保を過剰警備していると非難するのである。
沖縄タイムスは辺野古移設反対派の過激な違法行為を知りながら報道していない。海の安全を守ることでは海保と社会的使命を一にしていると言いながら、沖縄タイムスは海の安全を守るために違法行為をしている船やカヌーを取り締まっている海保を非難するのである。海保を非難することは辺野古移設反対派の違法行為がますます過激になるのを応援しているのと同じである。海上保安庁は海の安全を守る努力をしているが、沖縄タイムスは海の危険を増長している。

「民意に背を向ける政府方針に正当性はあるのかを問い、本来の職務に立ち返る勇気を求めたい」には呆れる。海保は海の安全を守るのが役目であり、違法な行為をする者を取り締まるのが任務である。法を守ることを信条としている海保は政府方針が民意に背を向けているかいないかについて政治判断することを許されていない。海保に政治判断を要求する沖縄タイムスは民主主義も法治主義も知らないようだ。
 沖縄タイムスのほうが民主主義・法治主義を歪める報道をやめて、本来のマスコミとしての民主的で公平な報道に立ち返るべきである。



ベラ

われる拍手と歓声の中で
乱れた金髪を後光にほほえむベラ
踊り終えた肉体は安らぎ
安らいだ心が
生を終えた死が
よろこびをかみしめる

沈黙の世界がいつしかおとずれる
棘をもたない花
金貨で買えない真珠
目が遠い宇宙をみつめる
そこにはなにもない

血のにじむ練習
自信 転落 絶望 回転
喜び 躍動 希望 自信
過去の世界
宇宙塵と散った過ぎし日
過去も見えない未来も見えない 現実も

真空の無時間の
あなたは死んだ
平均台 マット 鞍馬
生きる場所を去った亡骸がよろこびをかみしめる
すばらしい死の姿
女神よりも尊い死の姿
わたしの女神が涙を一粒
感動の大滴が私の胸に落ち
わたしはうちふるえ高鳴り熱くなり
よろこびとも悲しみとも言えない
涙があふれでる

ベラとはチェコスロバアの体操選手ベラ・チャスラフスカのことである。1968年のメキシコ五輪で、淡々と体操をやるベラに大人の女性の魅力、妖艶さを感じた。琉大の男子寮の食堂の映りの悪い白黒テレビであったが、ベラの体操に私の目は釘付けになり、すごく感動した。スポーツを見てあれほど感動したことはなかった。19歳の私は感動を詩に書いた。
チャスラフスカはメキシコオリンピックで、、跳馬 、段違い平行棒、ゆかそして個人総合で金をとり、平均台と団体種目では銀メダルをとって女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。しかし、メダルを取った以上に、彼女にはメダルを越えたなにかがあり、彼女の魅力に私は惹かれた。
なぜ、私はあれほどに感動したのか。その理由はかなり後になって分かった。

チャスラフスカは1968年のチェコスロバキアの民主化運動(「プラハの春」)の支持を表明して「二千語宣言」に署名した。同年8月のワルシャワ条約機構によるロシアが軍事介入をして、プラハに侵攻してきた。弾圧から逃れるために彼女は身を隠さざるを得なかった。彼女のメキシコオリンピック参加は非常に危ぶまれていたが、オリンピック直前にようやく出国を許可された。彼女はこのとき、祖国の屈辱をはね返すために、最高の演技を誓い競技に臨んだ。そして、圧倒的な強さを見せる。

弾圧に屈しない彼女の内に秘めた闘いの魂は体操の演技に昇華してれ私を感動させたのだ。



二千語宣言
1968年のチェコスロヴァキア改革運動、いわゆる「プラハの春」を象徴する文書のひとつ。4月の『行動綱領』が党による改革の指針であるのに対して、『二千語宣言』は市民社会側からの改革への支持・期待の表明であった。起草者は、作家のルドヴィーク・ヴァツリーク。
 エミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカをはじめとする著名人が名を連ね、1週間たらずで3万人以上の市民が署名した。
『二千語宣言』に署名したチャスラフスカは金メダリストとしての栄誉をはく奪され、職を失い、苦しい生活を強いられる。うつ病にもなったという。しかしそれでも彼女の不屈の精神は弾圧に負けず転向することはなかった。1989年にチェコスロバキアが民主化されるまでの21年間、彼女は耐え抜いたのである。
1989年11月、ビロード革命によって共産党体制が崩壊すると、彼女はハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任した。大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めている。

チェコスロバキアの民主化革命をビロード革命と呼んでいる。
1989年11月17日に共産党支配を倒したがこの革命は、1か月後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて名付けられた。

 民主化革命は労働者や文化人が中心となって起こしている。これこそがプロレタリア革命であると私は思う。プロレタリア=労働者階級。労働者には家族がいる。家族も労働者階級に属する。学生の頃、私はそのように考えていた。労働者というのは自分の労働を売る人間のことをいう。労働を売ってお金=給料をもらう人間だ。働いて給料をもらう人はすべて労働者である。
 民主化革命はいろんな労働者が力をあわせて自分たちの権利を勝ち取った。ロシア革命などの社会主義革命は労働者ではなく政治家が中心になって起こした革命だ。だから本当のプロレタリア革命ではなかった。共産党一党独裁の社会主義国家を倒した民主化革命こそが本当のプロレタリア革命だったのだ。


庭で取れたトマト
庭で取れたトマトである。赤く熟するまで収穫しなかった。今日の朝の取り立てのトマトだ。


スーパーで売っているトマトよりはおいしい。断然においしいと言いたいが、私は美食家ではないので表現は押さえておく。とにかく、おいしいことは確かである。

残念であるのは、私は大きいトマトが好きであるのに小さいうちに熟したトマトがあることだ。小さなトマトにはもっと大きくなってから熟しろと言いたくなる。



手前に生えているのがトマトの木である。後ろに生えているのがサンニンだ。他のサンニンに比べてなぜかとても高い。山から取ってきて植えたのだから普通のサンニンである。肥料はほとんど与えていない。であるのになぜかとても高いのだ。
サンニンは共通語で月桃という。サンニンの茎は木槌で叩いて細く分け、それを編んで綱にした。藁で作る綱よりも丈夫な綱になる。だから、畑の隅にサンニンを植えていた。
子供の頃、父はサンニンで綱を作っていた。父に教えられながら私も綱づくりをやった。農協から藁の綱が大量に売られるようになるまで、父は藁やサンニンの茎で綱を作っていた。戦前は茎は綱に、葉はムーチーに使っていたのだ。

サンニンの花である。



香りもそうだが、花も高貴な感じがする。
初夏に花が咲き、花の咲いた木は夏に枯れる。
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