goo blog サービス終了のお知らせ 

「県外移設は県民総意」の文言が消えた



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

「県外移設は県民総意」の文言が消えた

革新系の政党が集まり、11月の知事選への基本姿勢を基本姿勢を発表した。
沖縄タイムスの配信を紹介する。

社民党県連、共産党県委、社大党、生活の党県連、県議会会派「県民ネット」の野党5団体でつくる11月知事選に向けた候補者選考委員会は6日、那覇市の教育福祉会館で会見し、候補者に求める基本姿勢を発表した。知事選で初めて「前文」を盛り込み、米軍普天間飛行場返還問題をめぐる仲井真弘多知事の名護市辺野古移設埋め立て承認の撤回を明記した。県議会定例会前の6月中旬までに候補者決定を目指す。
 1月25日に協議を開始した選考委は、最大争点を普天間返還問題と想定し、基本姿勢で前例のない前文を策定した。
 前文は全41市町村長による普天間の閉鎖・撤去と県内移設断念、普天間のオスプレイ配備撤回を政府に求めた建白書を「オール沖縄の意志」とし、「県選出自民党国会議員と県連が政府自民党の圧力に屈し方針転換して県民を裏切った。知事の承認は県民の失望と大きな怒りを招いている」と指摘し新知事による承認の撤回を掲げた。離島振興、鉄軌道導入も盛り込んだ。
 具体的な基本姿勢は(1)普天間の閉鎖・撤去と県内移設断念。オスプレイ配備撤回と新基地建設反対(2)TPP参加と消費増税反対-など5項目。
 最終調整していた憲法は「9条を守り県民のくらしの中に憲法を生かす。解釈改憲および特定秘密保護法に反対」となり、解釈変更で集団的自衛権行使を容認しようとする現政権の姿勢を認めない内容。
 選考委座長を務める社民党県連の新里米吉委員長は「これまでの知事選選考委で一番スムーズに姿勢が決まった。人選は関係する労組、平和・市民団体などに加え、辺野古に反対する良識的保守の意見を聞きたい」と述べた。
                沖縄タイムス 4月7日(月)10時44分配信
この記事を読んで、なにか変だなと思わないか。
そう、「県外移設」の文言がひとつもない。あるのは「県外移設」はなく「普天間の閉鎖・撤去」だ。
革新さんよ。タイムスさんよ。「県外移設は県民総意」ではなかったか。「県民総意」の「県外移設」を主張しないのはおかしいではないか。
名護市長選まであんなに新聞紙上を賑わしていた「県外移設は県民総意」が最近の新聞から消えてしまっている。どうして消えたのだ。「県民」の「総意」があっさりと変わるものなのか。常識的に考えて簡単に変わるはずがない。でも簡単に変わっている。「県外移設」の文言が新聞からなくなったし、革新は一言もいわない。
なぜ、あっさりと消えたのか。
考えられる理由はふたつある。
ひとつは「県外移設」に賛成している県民は三十%であり、本当の県民総意ではなかった。新聞や尻軽な政治家のねつ造だった。ねつ造に加担していた自民党が辺野古移設賛成に変更したために「県外移設」を主張する政治家が少数政党の民主党だけになってしまったからだ。
もうひとつは安保反対・米軍の日本駐留反対の革新政党は昔からずっと「県外移設」には反対であったからだ。今までも繰り返し述べてきたが、革新政党が「県外移設」に賛成することは絶対にあり得ないのだ。

東京行動の時の建白書にも「県外移設」の文言はなくて「閉鎖・撤去」があった。
言葉の意味としては「撤去」は県外移設も含んでいて、革新政党が「県外移設」にも賛成しているように見えるが、それは違う。「撤去」は「県外移設」も含んでいると県民に勘違いさせるための革新のずるいまやかしなのだ。

革新は「県外移設」には反対だ。しかし、「県外移設」に反対すれば「県外移設」賛成である
県民の支持を失ってしまう。だから、「県外移設」に反対であるが声には出さなかったのだ。

自民党県連が革新の弱点を突くには「撤去」に「県外移設」は含んでいるかを追求すればいい。革新は絶対に「県外移設」に賛成とは言えない。革新のいう「撤去」は適切な文言ではなく、「撤去」ではなく国外移設が適切な言葉なのだ。

革新は、辺野古移設反対、県外移設反対、閉鎖・国外移設賛成なのだ。しかし、閉鎖・国外移設は不可能である。だから、革新の主張は普天間を固定化してしまうのに等しい。
自民党沖縄県連は、革新は普天間固定化を主張しているのに等しいことを県民に明らかにすれば選挙戦を有利にすることができる。しかし、沖縄県連は沖縄県連で内部矛盾を抱えているから、革新の矛盾を批判する能力がない。

不毛な沖縄の政治である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その5



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その5
ひどすぎる革新の選挙違反

名護市長選後にびっくり仰天の記事が沖縄二紙に載った。なんと、県議が選挙違反をやったことが堂々と載ったのだ。それも選挙違反であることを分かっていながらやったのだ。

 有権者への個別訪問は公職選挙法で禁止されているが、選管が発行した証紙を張った法定ビラを対面で渡すという手法で有権者に直接支持を呼びかけた。
     「突きつけた民意・県議支援狙い的中」
県議会野党会4会派の議員十五人が辺野古区の住宅を個別訪問をして稲嶺立候補の支持を訴えたのである。

第百三十八条
2  いかなる方法をもつてするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。

 「いかなる方法をもつてするを問わず」と第百三十八条には書いてある。県議員がそのことを知らないはずがない。選挙違反であることを知っていながらやった。非常に確信的な選挙違反である。しかも、そのことが効果があったと自慢しているのである。

 山内末子県議は「ビラを突き返されたのは2人。1人に投げ捨てられたが、そのほかは話を聞いてくれた」と想定していなかった手ごたえに声を弾ませた。
           「民意ふたたび」
 明らかな選挙違反である。しかも、悪質な選挙違反だ。選挙違反をやったと公言しているのに、県議会は十六人の県議員に対する問責会議を開く様子はない。法律を率先して遵守しなければならない県会議員であるはずだが、沖縄の県会議員は違法行為をしてもなにも問われないのだ。野党だけでなく自民党も遵法精神がないようだ。沖縄の政治は保守も革新も腐敗している。
 選挙違反をやったことが新聞に載ったのに警察が取り調べをしないというのもおかしい。本人たちが選挙違反したと公言したのに警察は知らんぷりをするのだろうか。
 考えられないことだ。

 沖縄の政治界にうんざりしていると、ブログ「狼魔人日記」はうれしいことが載った。
 市民グループが名護市長選の時の革新の選挙違反を警察に告発したというのだ。革新の選挙違反をしている映像がユーチューブにアップロードされ、映像をみれば革新の驚くべき実態が分かる。
市民グループによる選挙違反の告発は沖縄政治の正常化に画期的である。
 
ブログ「狼魔人日記」
■稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる!
これまで当日記(ブログ狼魔人日記)は選挙のたびに行われる革新勢力の目に余る選挙違反を告発してきた。

だが、沖縄に蔓延する「反戦平和は免罪符」の風潮で、沖縄メディアは勿論取り締まり当局も見てみぬ振りが常態となっていた。

一月に行われた稲嶺候補側の目に余る選挙違反に堪忍袋の緒が切れた市民グループがこのたび県警に告発をした。
沖縄二紙はこのニュースに免罪符を与え、当然の如く隠蔽するだろう。
ネットによる周知のため
以下は「拡散依頼」です。
         ★
今年一月一九日投開票で行われた名護市長選挙について、三月十三日公職選挙法違反の疑いで市長以下国会議員五人、県議会議員一五名、市議会議員二名、県内二紙の記者二名、政党及び団体役員四名、その他姓名所属不詳者多数が、有志等の連携により沖縄県警捜査二課に告発されました。
告発は、有志等が撮影した違反行為と思われる映像や、違反行為を平然と記事にしてしまったと思われる新聞や稲嶺氏の支持者が撮影したと思われる動画を証拠として提出しているもので、本件の立件にはかなりの立証性があるものと思われます。
尚、公職者で告発された方々は以下の通りです。(敬称省略)
名護市長 稲嶺 進
国会議員 糸数慶子(参議院議員・沖縄社会大衆党委員長)・赤嶺政賢(日本共産党 衆議院議員)・倉林明子(日本共産党 参議院議員)・玉城デニー(生活の党 衆議院議員)・山本太郎(参議院議員・新党 今はひとり 党首)
県議会議員 山内末子・玉城義和・新里米吉(社民党県連委員長)・氏名不詳 県議会議員一二名+α
市議会議員 比嘉祐一名護市議会議長(稲嶺ススム選対責任者)・翁長久美子名護市議会議員
新聞記者 沖縄タイムス社 M氏・琉球新報社S氏
政党役員 沖縄社会大衆党会計長
団体役員 沖縄統一連代表、・沖縄統一連代表幹事・社大党顧問(元名護市長)
          「ブログ狼魔人日記」
 
 選挙運動は公平に行われなければならないから、選挙に関して、法律は細かく規定している。それが当然である。名護市長選では驚くほどの選挙違反が出た。

 選挙違反の実態を紹介する前に市民グループが選挙管理委員会のとのやり取りを紹介する。革新の選挙違反は選挙管理委員会も警察も知っていたこが明らかになったている。

大拡散希望!選挙管理委員会へ電話してみた【沖縄 名護市長選の実態11】
ユーチューブ公開日: 二〇一四年一月二十三日

名護市で大規模に行われていた選挙違反の実態について、選管はどこまで把握していたのか、どのような対処をしたのか、名護市選挙管理委員会に電話してみました。

稲嶺陣営が行っていた、大量の街宣車の動員や、のぼり旗・拡声器使用しての運動員のみによる街宣は、明らかに公選法違反との回答が得られました。
選管が注意しても、まったく言うことをきかなかったとのことです。

名護市選挙管理委員会とのやりとり

名護市選挙管理委員会に電話してみました。

「はい、選挙管理委員会です」
「すみません、名護市選挙管理委員会ですか。今回の名護市長選で、稲嶺ススムさんの陣営は」
「はい」
「選挙カーは稲嶺ススムさん本人の選挙カーとあと確認団体用の選挙カー一台。合わせて二台しか走っちゃいけないということですよね」
「はい、二台ですね」
「そうですよね」
「はい」
「拡声器も同じですよね」
「はい」
「選挙カーと拡声器というのは同じだというふうに考えていいですよね」
「はい、あの、そうですね。拡声器、選挙カーの上につけてる」
「そうですよね。ハンドマイクなんかを持つ時は、選挙カーは標旗を持ってやらなきゃいけないんですよね」
「はい」
「今回の選挙では基本的に、稲嶺さんの陣営は二台の街宣車しか動かしちゃいけないし、ハンドマイクを使う時は、その街宣車の標旗を持って、結局、二つのマイクしか使っちゃいけないということですよね」
「はい」

標旗=選挙管理委員会が立候補者に交付する。標旗は聴衆の見易いように演説中常に掲げておかなければならない。名護市長選では立候補者に二旗公布された。

「で、ですね。今回の名護市長選に関しては稲嶺さんの陣営は、告示前も告示後も数十台の車が市内を走り回って(稲嶺ススムを)連呼しまくっていましたね」
「はい」
「これ確認されていますか。されていますよね」
「それは、一応警察のほうには相談してやっています」
「でも、選挙の最終日まで、市内の至る所に街宣車が走り回って、路地にはハンドマイクを持った方々が本当に何百人も歩いていて、もう無数にそういう人たちが拡声器で稲嶺ススムさんを応援していましたよね」
「はい」
「していましたよね」
「それも、はい、まあ注意もしながら、警告を出しながら」
「これは明らかに選挙違反が白昼堂々と大規模に行われたということですよね」
「はい」
「でねそれを・・・」
「それは私たちも注意をして警察にも相談して進めて」
「え、わかりました。ということは、当然、選挙管理委員会さんは稲嶺さんの陣営にそういう注意もされたわけですね」
「そうです。はい」
「だけど稲嶺さんのところはまったく言うことを聞かなかったわけですね。最後までね。稲嶺ススムさんの選挙カーはものすごく数が多くて、ハンドマイクの数もすごかったので、当然注意されてたけど言うことを聞かなかったということですね」
「まあ、そうなりますかね。はい。それは私たちは注意して警察に相談しながら、まあ、あとは警察のほうがやります」
「ええ、それとですね。今回、現職の国会議員が標旗を持っていない不正な街宣活動をしてましたね。車を持ち込んだりして。それも把握されてますか」
「ええ、まあ、あのう、いろいろな所で名前が出ていました」
「デニー玉城さんとか、山本太郎さんとか、東京で有名な、そういう人が来てましたよね」
「そうですね、はい。直接は見てないですけど」
「そういう国会議員も一緒になって選挙違反をしてましたよね」
「応援ということで見えられるのか、来られてるんだろうという」
「標旗を持たない街宣車を持ち込んでね。わかりました」
「その辺は、私たちも注意は一応してます」
「でも、言うことを聞かなかったわけですよね。普通は警告とか注意ですよね。警察はどうしたんですか。警告とかされたんですかね」
「そうです。警察のほうも注意はしてるみたいですけど」
「そうですか。でも最後までずっと続いてましたよね。はい、わかりました。どうも」


       終わり
 選挙管理委員会も警察も選挙違反行為を注意していた。それでも稲嶺陣営は違反行為を止めなかったのだ。革新勢力は今までの選挙の時も同じことをやって来たが警察に摘発されなかったからので違反行為を続けてきた。
 その実態のひとつひとつを明らかにしていく。

〇玉城デニー議員の選挙違反街宣
国会議員である玉城デニー氏も選挙違反をした。カメラに手を翳して撮影されないようしたのは彼が選挙違反をしていることを自覚していたからである。


一月一八日一六時一五分頃、名護市内にて、
生活の党の街宣車で稲嶺ススムの応援演説を実施。 生活の党の車でありながら、車体には稲嶺ススムのポスターを掲示。 選管からもらうはずの「街頭宣伝車標旗」は持っていない。
・候補者のポスターを街宣車に貼ることは公選法違反。
・標旗なしに選挙活動(候補者の名前の連呼、投票を呼びかける演説)をすることは違反。
・政党の構成員(国会議員)は、選挙期間中に地方公共団体所有の土地で、候補者の氏名を印刷した文書図画を掲示してはならない(この場所は公道の歩道)
玉城デニー氏は現職国会議員。公選法を知らなかったとは言わせない。
知っていながら違反行為をおかしていたからこそ、注意されて、あわててカメラを遮り、­慌ててその場を逃げるように立ち去ったのでしょう。
           「ユーチューブより」

生活の党としての政党活動としての演説はいいが、稲嶺立候補の応援は選挙違反である。車には稲嶺候補のポスターを貼っている。選挙ポスターは選挙管理委員会が指定した場所以外に貼ってはいけない。明らかな選挙違反である。
〇山本太郎 名護市で公職選挙法違反【沖縄 名護市長選の実態4

 標旗を掲げずに稲嶺立候補応援の街頭演説。国会議員でありながら選挙違反

〇社民党街宣車の選挙違反
二〇一四年一月十八日十六時三十七分頃 名護市役所前にて社民党の街宣車が、名護市長選候補者である「稲嶺ススム」 の応援演説をしながら走っていました。


選挙期間中は、標旗がなければ応援演説をすることはできませんが、標旗は不所持。
社民党の宣伝であればよいですが、稲嶺ススムの応援をすることは公選法違反です。

〇社会大衆党による違法街宣【沖縄 名護市長選の実態7】


〇沖縄統一連による選挙違反
投票日前日・標記を持っていない。

二〇一四年一月十八日 撮影。
公示後、選挙期間中に走らせてよい街宣カーは、政党カーを含めて全部で「二台」です。
しかし、今回の名護市長選挙で稲嶺陣営は、数十台の街宣カーを使い、名護市内は稲嶺陣­­営の車であふれかえっていました。
統一連の街宣カーは標記がないばかりか、ナンバーを隠していました。
         「ユーチューブより」
標旗なしで選挙活動は選挙違反
一六四条の五 (街頭演説の標旗 )・(街頭演説)
第百六十四条の五  選挙運動のためにする街頭演説(屋内から街頭へ向かつてする演説を含む。以下同じ。)は、次に掲げる場合でなければ、行うことができない。
一  演説者がその場所にとどまり、次項に規定する標旗を掲げて行う場合
二  候補者届出政党又は衆議院名簿届出政党等が第百四十一条第二項又は第三項の規定により選挙運動のために使用する自動車又は船舶で停止しているものの車上又は船上及びその周囲で行う場合
2  選挙運動のために前項第一号の規定による街頭演説をしようとする場合には、公職の候補者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては、衆議院名簿届出政党等)は、あらかじめ当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会(衆議院比例代表選出議員又は参議院比例代表選出議員の選挙については、中央選挙管理会)の定める様式の標旗の交付を受けなければならない。

 選挙期間中の選挙運動は厳しく制限している。名
護市長選の場合は

二〇一条の九 (市長の選挙における政治活動の規制)・(都道府県知事又は市長の選挙における政治活動の規制)
第二百一条の九  政党その他の政治活動を行う団体は、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラの頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、都道府県知事又は市長の選挙の行われる区域においてその選挙の期日の告示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。

標旗を持っていない者は稲嶺候補の名前を宣伝してはいけないと注意しているが本人たちは理解していない。

〇選挙違反摘発現場【沖縄 名護市長選の実態6









名護市では、市内を稲嶺陣営の選挙カーが何十台も走り回っていました。本来、選挙期間­­中に走らせてよい街宣車の数は、二台。
しかも、標旗がなければ選挙活動、街宣などできないはず。街宣カーをとめて標旗の提示­を求­めると、案の定、標旗なしに街宣カーを走らせていました。

〇投票日前日の名護市で走っていた稲嶺陣営の街宣車。
公示後に走らせてよい街宣車は二台です。この車も標旗を持っていませんでした。
「稲嶺ススム陣営の事務所の指示でやった」と、この運動員は証言しています。車のバンパーにポスターを貼っているのも選挙事務所の指示か。



公示後の選挙期間中は、候補者本人がいなければ、「稲嶺ススム」ののぼりを立てての選­挙活動はできません。
道路わきでの街宣を偶然みかけて、近寄ったところ、社会大衆党による演説でした。


注意したところ、沖縄では当たり前だと居直っている。
まるで、生まれて初めて選挙違反を注意されたように、豆鉄砲をくらったような顔をして­います。
沖縄では、これまでこのような不法行為がまかり通ってきたのでしょうか。
開き直って「おまえたちは警察か」「取り締まる権限はない」といっていますが。
選挙違反を見つければ、誰でも注意、警告、通報してよいのです。
右側の女性は弁護士であるという。「弁護士の先生なら、取り締まらないといけないとうことを知らないのか」と言うと、知らないと首を振った。
あなたが選挙違反を取り締まる権限があるのかと逆切れする始末。
法治国家なのだからというと、法治国家ではあるが取り締まるのは警察の仕事だろう、あなた方はどんな権限で、どんな役職で我々に指導しているのと反論する弁護士だという女性。
「法治国家なのだから法律を守りましょう」・・


二〇一四年一月一八日一六時四十五分頃
名護市大中1丁目十九大中交差点付近にて

選挙期間中に、候補者がいない場所で候補者「稲嶺ススム」ののぼり旗を立てて活動する­のは、公職選挙法違反です。
歌を歌うのはいいですが、選挙活動はいけません。

注意し、「稲嶺ススム」の旗をおろさせて正常化。街頭で歌っている普通の「おやじバン­ド」になりました。

公職選挙法に違反したと思われるのは次の通りです。 
一三八条(戸別訪問)・一四一条(自動車・拡声器)・一四二条 (法定ビラ)・一四三条(ポスターの掲示)・一六四条の五 (街頭演説の標旗 )二〇一条の九 (市長の選挙における政治活動の規制)・二二一条 (買収及び利害誘導罪)


革新勢力はどんな社会を目指しているのか

八重山教科書問題では地区協議会の秩序よりも自分たちのイデオロギーを優先させた。車と座り込みで普天間ゲート封鎖の全ゲートを封鎖して普天間飛行場の機能を麻痺させた。彼らの実力行使は無抵抗の抵抗ではない。大衆運動の枠を超えたテロ行為である。一般市民である撮影者へ敵意むき出しになりゲートから排除した。ゲートは彼らの占領地になっていた。朝の出勤時に車道に飛び出して米兵の車を停め、一般市民を巻き込んだ大渋滞を起こしても彼らは平気である。最悪の場合、墜落する可能性があるアドバルーン風船揚げ、選挙違反を平気でやった名護市長選挙。
「米軍の居ない平和で豊かな沖縄」が革新の目指している沖縄社会である。
革新はどのような沖縄社会をつくろうとしているのか。果たして彼らは本気で「平和で豊かな沖縄」をつくろうとしているのか。彼らの運動を見れば疑問が湧いてくる。
彼らは自分たちのイデオロギーのためには違法行為を平気でやる。違法行為を平気でやる革新が「平和で豊かな沖縄」社会をつくれるとは思えない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その3



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
野嵩ゲートは犯罪集団革新に実質占領されていた
オスプレイ配備反対運動が普天間飛行場のゲートを封鎖し、ゲートは米軍の施設であり、治外法権の場所だから警察が排除することはできないと主張したことは正しい。警察は米軍の正式な排除依頼がない限り彼らを排除することはできない。
 しかし、それだけではない。治外法権はゲートを封鎖している彼らにも適用される。彼らは米軍施設に違法侵入したのだ。それは米国の駐日大使館に侵入したことと法的には同じだ。大使館への侵入は米本国に蜜入国したことと同じである。
 米国は日本ではない。米国は米国の法律が適用される。日本の法律は適用されない。密入国者だから彼らは米国民でもない。米国人としての権利もない。日本国民の権利も米国にはないから彼らは日本国民としての権利もない。日本にとって治外法権の場というのはそういうところだ。
彼らは、米軍基地ゲートは治外法権の場所だと主張している。であるならば彼らは日本人としての権利は一切ないことも認めなければならない。
彼らは米国大使館の中に社民党の車を乗り入れ、オスプレイ反対運動をやっているようなものだ。日本国民の権利を失った彼らには日本国民としての権利主張はできない。
ゲートに違法侵入した国会議員も県会議員も弁護士も米軍基地ゲートでは身分は自然消滅し、なんの権利もないただの人間である。彼らは日本国民としても沖縄県民としても主張する権利はない。
彼らの自分たちの都合に合わせた治外法権の解釈は身勝手でありそんな連中に県民とか市民を名乗る資格はない。

 オスプレイは旧型のCH46との入れ替えであり、新配備ではなかった。また、米政府と日本政府はオスプレイが安全な飛行機であったから沖縄配備を配備を決めた。騒音に関してもプロペラが小さいオスプレイはCH46に比べて小さい。特に上空を飛行機モードで飛んでいる時の騒音はヘリコプターに比べて非常に小さい。
 ポンコツ状態のCH46よりオスプレイ配備のほうがいいのは歴然としていた。しかし、革新勢力はオスプレイ配備に反対し、普天間飛行場の全ゲートを封鎖したのである。
 野嵩ゲートでは社民党の街宣車をゲート封鎖に使った。信じられないことである。治外法権の場所に国会議員、県会議員、弁護士も入った。法律の専門家だから、治外法権の場所では日本国民の権利は自然消滅することを知っていたはずである。それでも入ったということは大衆運動の領域を超えている。普天間ゲート封鎖は反米主義のイデオロギー闘争であり、彼らの行為はテロ行為だ。

 保守系の宜野湾市民がビデオ撮影をすると彼らはすさまじい妨害をした。撮影者は保守系であるが政治活動家ではない。
彼は辺野古でもビデオを撮ったことがあり、彼は革新系活動家に敵視されていた。

私は彼のビデオを見て驚いた。ゲートの周囲にいる人が一般市民の見物人だと思ったら間違いであり、周囲には親衛隊が居て、保守系の人間や警察の動きを監視していた。
ビデオ撮影をしているといきなり新聞をかざして撮影が邪魔された。


 撮影者は邪魔しないでほしいと言いながら、カメラを移動しながら撮影したが、何度も何度も新聞をかざして撮影の邪魔をした。撮影妨害をしている人がこの女性である。


ゲート前で座り込みをしているグループを撮影しようとすると徹底して新聞をかざして邪魔をする。
撮影者は仕方なく、移動する。
場所を移動して撮影をしていると、サングラスの男が近づいてきて新聞をかざして撮影の邪魔をした。


彼が去ると、その後は邪魔が入らないで、順調に撮影をしていたが、突然、小太りの男がやってきて、すさまじい形相でカメラの前に立ちふさがる。
彼は新聞をかざすのではなく、カメラの前に立ちはだかった。

 邪魔だからどいてくれと頼むが、しつこく撮影の邪魔をする。
「お前右翼だろう」とかいう。
撮影者は一宜野湾市民であると訴えて、撮影の邪魔をしないように頼むが、
「宜野湾市民ではないだろう。警察だろう」
などといって撮影を邪魔する。
 警察ではないというと「警察でなくてなんなんだ」
といいながら撮影の邪魔をする。
「一個人です」というと、
「お前日の丸小僧だろう」と分けのわからない罵声を浴びせる。ものすごい形相である。
「・・・お前、顔覚えておくからな」
といきなり脅し文句を出す。
「お前、どこで会うか知らんからな」
激しくつっかかる。横から誰かが諭すが(多分警察だろう)
「いや、警告警告。今度会った時はぜんぜん許さん。覚悟しておけよ」
と捨てゼリフを吐いて去っていった。しかし、それだけでは終わらなかった。

弁護士がやって来て出て行くように言う。弁護士らしく理屈を並べる。

弁護士=この集会に便乗して入って来るな。自分の責任で入ってこい。
撮影者=自分の責任で入っていますよ。私は宜野湾市民です。私にこれを見る権利はないでしょうかね。見てはいけないですか。
撮影者=いけないことないですよ。でも、警察はここに入って来てはいけないって言っているんだからあんたも警察が排除すればいいじゃないか。なんで私たちは排除するのにあんたたちを排除しないのかってことよ。
 
 まだ。誰も排除されていない。
オスプレイ配備運動のリーダーでもある弁護士の言葉である。彼らは車と座り込みでゲートを塞いだ。普天間飛行場の機能を麻痺させる犯罪行為だ。ゲートに入る入らないという問題ではない。それなのにゲートに入る入らないの問題に歪曲して撮影者とゲート封鎖した人間を同じにしている。
 数人の男女が撮影者の素性を調べるために色々質問する。撮影者は答える。そこへ弁護士がやってくる。

弁護士=この人は辺野古で清掃という名目でリボンをとった集団のひとりだ。旗とかなんとかを盗ったでしょう。
撮影者=私は撮影をしただけで、旗は盗っていません。
女=・・・・映さないで。あんた沖縄人。
撮影者=沖縄人ですよ。撮影してはいけないんですか。みんな撮っていますよ。
女=早く帰って。

女は去っていく。撮影をしていると、隊列を組んでいる男が突然、「行けー」と怒鳴る。

マイクを持っているリーダーも、近づいてきて、「出て行け、お前は」と怒鳴る。スピーカーから広場全体に流れる。

 再び小太りの男がやって来る。
男=なんでお前は撮っているの。撮るんじゃない。オラ。誰が撮れと言ったばあ。警察だろうお前。なんでね。これは証拠か。

撮影者=警察ではないです。一個人です。
男=嘘だろう、お前ばれているんだぞ。勝手に撮るんじゃないぞ。

  移動しながら撮影していく。男はついてくる。

男=撮るなと言っているだろう。なんで撮るんだバカヤロー。勝手に撮るな(怒声)。

新たに男が加わり、二人で撮影者に怒声を浴びせる。これは脅迫だ。

男=身分を明かせ。身分証明書を見せろ。身分を明かせ。誰かお前は。

  撮影者は撮影を続ける。男は怒り心頭状態。

男=誰が撮れと言った。

  男は撮影者に怒声を浴びせ続ける。

男=誰だお前は。マスコミだろう。
撮影者=個人です。個人で撮っています。
男=嘘つくなお前。名前教えろ。
男=なんでここに居る。
男=なにかこれは。
男=帰れ、お前は帰れ。帰れお前は。帰れ。何しているんだお前は。帰れ。

  若い男がやって来る。

若い男=ええ、お前撮るなよ。撮るなよ。

  二人で撮影者を責める。そこへ弁護士がやって来る。
「手を出してはだめだよ」と若い男に注意する。


男=手は出さないよ。手を出さなければいいわけよ。
若い男=人権侵害だよ。勝手に撮影している。わったあ許可もらったか。なあ、許可もらったか
撮影者=警察がやっているところを撮っているだけです。
若い男=俺なんかの写真も入っているだろう。俺の許可とったか。
男=撮るな。お前に絶対撮らせないからな。

  緊迫した状態を気にした県警がやって来る。

男=兄さん、なに。
県警=けんけー。
男=この男は勝手に撮ったんだよ。いやあ、マスコミはOKよ。

  県警とのやり取りがはっきりとは聞こえない。弁護士がやってくる。

男=弁護士の前で身分明かせ。弁護士に身分明かせ。
撮影者=どうして弁護士に私が身分を明かさなければならないのですか。
男=お前勝手に撮っているだろうが。みんなの顔を撮っているだろうが。お前、警察に証拠として出すんだろう。お前が警察だということはばれているんだよ。

  県警の前であるのに、明らかに警察の人間ではない撮影者に警察だとでたらめをいう男の話に弁護士は県警を見ながら苦笑いする。県警がトラブルを起こさないように諭す。

男=そりゃあ、トラブルになるでしょうが。

  男と県警の話になる。カメラに身を乗り出した県警の顔も映る。男の話を押さえて弁護士が県警に主張する。

弁護士=彼はゲートの中をあちこち歩き回っているから、彼こそゲートから出しなさいということですよ。
男=出て行け。県警が出せと言っているだろう。だから出て行け。

県警の困った顔が映像に映る。

男=こいつがねえ。写真撮って証拠として出すんだろう。

別の県警に抗議する。
弁護士と男の猛烈な抗議に県警は撮影者にゲー
トを撮影をしないように忠告する。

男=お前が写真撮ったら絶対許さんからな。
  
男去る。

 忠告した県警も去る。これが最後の場面。
撮影終わり。

これは別の保守系の人のビデオだが、彼の存在に気が付くと、歩いてきて、

撮影者に突っかかり、「集会の邪魔するな」「出て行け」などと罵声を浴びせる。警官が間に入るが、警官に撮影者を撤去させろと命令口調で言った。彼は親衛隊にゲートから押し出された。


野嵩ゲートが警察も手を出せないゲートを封鎖した集団の占領地帯であったことが分かる。
 治外法権地帯に侵入した彼らにはなんの権利もない。市民に撮影をさせない権利は彼らにない。しかし、彼らは自分たちに都合のいい権利を振りまき、警察に圧力をかけて撮影者を追い出した。警察も彼らの言いなりになったのだ。
 ゲートは彼らの身勝手な法が適用され、彼らの支配地になっていたのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「県民への武力行使」とは笑わせる



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
「県民への武力行使」とは笑わせる

欺瞞に満ちた報道である。
オスプレイ配備反対派が立ち入り禁止区域である普天間飛行場のゲートに強引に侵入して封鎖した。会話やアピールではなく実力でゲートを封鎖することこそが暴力主義であるのに、警察が座り込みをしている人間をやさしくいたわりながら引き抜きをすると「暴力をふるうな」と抗議した。暴力をふるったのは彼らである。車と座り込みでゲートを塞いだのはまぎれもなく暴力行為である。しかし、彼らは自分たちの暴力を棚に上げて、警察に暴力主義だと非難する。卑劣な連中である。

2004年には警戒船の絶対数が不足していたために、取り締まることができなくて、抗議する人間の危険な行為を止めることができなかった。警戒船が少ないと怪我人や最悪の場合は死者を出してしまう。
警戒船が少ないと、彼らが測量の邪魔をするのは分かりきっていることだ。測量している人間に危害を加える可能性もある。
警戒船が多ければ測量する人の安心を守り、抗議する人間の危険な行動を押さえることができる。警戒船が多ければ多いほど安全が守れる。

「100隻だと海が真っ黒になる。県民に対する武力行使で、大きな反発を招く」とは笑わせる。警戒船は辺野古の工事を破壊しようとする人間たちを侵入させないためにある。侵入しない人間にはなにもしない。それなのに「武力行使」とは笑うしかない。
内心は抗議行動が完全に封じられることに落胆しているだろう。
安全に確実に辺野古移設工事が進んでいくのを歓迎する県民のほうが多い。

自分の主張は県民の主張だという妄想に陥っている革新連中にはあきれる。この妄想病は一生治らないだろうな。しかし、革新を支持する県民は確実に減っている。これからも減り続けるだろう。でも沖縄自民党も腐っているし・・・困ったものだ。


八重山地区がきっかけとなって、国の無償措置法は採択地区の設定単位を「市都」から「市町村」に改めることになった。前川局長は「同じ群だが隣接しないなど不合理を生じている町村などがあり見直された」と説明した。

無償措置法が改訂されれば、竹富町単独で教科書を採択できるから、八重山教科書問題は解決する。これで一件落着である。が、それは竹富町と県教育庁にとって困ることである。
地区協議会を設定した理由は、ひとつに転校生が困らないようするためである。八重山地区は石垣市、竹富町、与那国町は隣接しているから転校生は必ずいるだろう。三市町の教科書が違っていると生徒が困る。
二つ目は人口の少ない町や村だけで教科書を選択するのは負担が大きい。だから、人口の少ない町村どうしが協力しあうために地区協議会を設立した。
前川局長は市町村単位になっても「八重山はひとつの地区であるべきだ」と言っている。それは人口の少ない竹富町と与那国町のことを考えてのことだ。石垣市は市であるから単独で教科書採択する権利はある。
一方前川局長は「地区設定の権限は県教委にある」と答弁している。
前川局庁の答弁の通り地区設定は県教委がやっている。石垣市、竹富町、与那国町の三市町で八重山地区協議会を設立したのは県教委であるのだ。だから、八重山教科書問題ほ解決する責任は県教委にある。県教委が解決する努力を怠ったので文科省が直接指導したのだ。「国の政治介入」なんてアホらしい反発である。

今までの竹富町と県教育庁の主張なら竹富町は地区協議会から離れて単独教科書採択をするのがベストであることになる。しかし、現在竹富町が石垣市、与那国町と違う教科書は公民だけであり、他の教科書は同じであるから、教科書が違うことに町民の反発起こらなかった。
竹富町が単独で教科書を採択することになると小学一年生から中学三年生まですべての教科書が石垣市、与那国町と違うようになる可能性がある。それでは竹富町民は納得しないだろう。
竹富町を単独にするのを決定するのは県教委である。単独にすれば転校生のことを無視していると非難されるだろう。竹富町を地区協議会に参加させれば、今回のような地区協議会の採択した教科書とは違う教科書を採択することはできなくなる。そのすべての責任は県教委にある。

さあ、どうする竹富町。さあどうする県教委である。
結局、竹富町と県教委は自分の首を自分でしめることになる。

竹富町、県教育庁が相手にしているのは民主主義国家である。竹富町、県教育庁の社会主義に根差した反保守イデオロギーは、無償措置法を破って東京書籍の教科書を採択したが、反法治主義のイデオロギーは短期間では勝利しても、長期的には敗北していく。
なにしろ相手は法治主義の民主主義国家なのだから。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その1



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

<iframe width="560" height="315" src="//www.youtube.com/embed/qeSpOLWKIX0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その1

八重山教科書問題、普天間飛行場のアドバルーン風船上げ、ゲート封鎖、辺野古テントそして、名護市長選挙には共通点がある。それは高度な知識のある人たちが法律を研究し、法律の弱点をついて、罰されないように法律違反をしていることだ。問題も場所もそれぞれ違う。八重山は教科書、普天間飛行場はアドバルーン風船上げとゲート封鎖の座り込み、辺野古は普天間飛行場の移設、そして、名護では選挙である。問題を起こしたのは全て革新系の人たちである。彼らは自分たちのイデオロギーを押し通すために法律に違反する行為をやり、高度な知識と知恵を使って自分たちのやったことを無理やり正当化する。

〇八重山教科書問題
 八重山教科書問題は二〇一一年八月二十三日に八重山採択地区協議会で中学三年生の公民を育鵬社版に賛成多数で決めたことから始まる。
 竹富町の教育委員会は育鵬社版は保守色が強いからという理由で、八重山採択地区協議会で決めたことを拒否して東京書籍版を使用した。
八重山採択地区協議会には規約があり、第三条の地区協議会の目的が書いてある。

第三条 協議会は、採択地区教育委員会の諮問に応じ、採択地区内の小中学校が使用する教科用図書について調査研究し、教科種目ごと一点にまとめ、採択地区教育委員会に対して答申する。

第三条を読めば、協議会が石垣市、竹富町、与那国町の小中学校で使用する教科書を決める組織であることは明確である。竹富町もその趣旨に従って中学三年の公民以外の教科書は協議会で決めた教科書を使用している。

八重山教科書問題は本当は竹富町が無償措置法違反をしているという単純な問題である。無償措置法とは国が義務教育を受けている小中学生に教科書を国が無償給付する法律である。

竹富町の中学校は公立である。私立ではない。教育委員会は公務員である。民間人ではない。公立中学校の教科書を八重山採択地区協議会という公的な機関で八重山で国が無償給付する公民の教科書を育鵬社版に決めた。規約には協議会で決めた教科書を八重山地区で使用すると銘記している。
協議会という公的な機関で育鵬社の教科書を採択したら公的機関である竹富町の教育委員会は協議会の採択を遵守して育鵬社版を採択しなければならないはずである。しかし、竹富町は協議会の決定を遵守しないで東京書籍を採択した。これは議会制民主主の根幹を揺るがすもので公務に携わる者としては非常に罪の思い行為である。私たちはしっかりとこのことを認識しなければならない。そのことを認識していれば竹富町や革新勢力の竹富町弁護はすべてまやかしであることが分かる。竹富町弁護の裏には革新勢力の反保守・反自民党のイデオロギーがあるからだ。もっと突き詰めていえば、反資本主義・反民主主義の社会主義イデオロギーが彼らの根っこにあるからだ。

竹富町は民間の寄付を募って教科書を購入し生徒に無償給付した。しかし、無償給付は国がやることであって、「民間」が無償給付してもいいとは無償措置法のどこにも書いていない。だから、民間の寄付によって生徒に無償給付したのは違法行為である。竹富町やマスコミは美談のようにいいふらしているが、実は自分たちのイデオロギーに固執した違法行為である。

イデオロギーに固執して東京書籍版を採択した竹富町は違法行為ではないことを次々と主張した。
最初に主張したのが「答申」は強制ではないから協議会で採択した教科書とは別の教科書を使用しても法律違反ではないという理屈であった。答申は強制ではなくても答申に違反した行為は違法行為である。
次に主張したのが、市町村で使用する教科書を決めるのはそれぞれの市町村の教育委員会が決めると地方教育行政法に書いてあることを指摘した。そして、地方教育行政法が優先するから違法ではないと主張した。これも間違った解釈だ。優先するかしないかの問題ではない。「国」の無償給付を受けるか受けないかの問題である。竹富町は無償措置法に違反したから「国」の無償給付を受けることができなかった。「国」から無償給付を受けない行為は違法行為なのだ。

「答申」は強制ではない。市町村の教育委員会が使用する教科書を決めることになっていると説明されればなるほどと市民は思うし、竹富町が正しいかも知れないと思ってしまう。
八重山教科書問題は本当は単純明快な問題であるのだが、革新勢力の弁護士や学者たちが彼らの持っている高度な知識と知恵を使って市民を錯覚させる難解な弁解をしている。

竹富町だけが法律違反をしているというが、無償措置法では八重山地区は教科書を統一しなければならない。しかし、統一されていないのだから石垣市や与那国町も違反している。竹富町だけを非難するのは不公平である。竹富町の民意を無視した弱者いじめだという主張もある。
そのような主張を聞いていたらますます頭が混乱してしまう。法律に疎い市民は竹富町の主張が正しいかもしれないと思うだろう。しかし、竹富町の主張が正しいとしたら、自治体同士の協力関係が崩壊してしまう。

竹富町の主張が正しくて、協議会で採択した教科書以外をそれぞれの教育委員会で自由に採択してもいいなら、地区協議会は必要ない。
そもそもなぜ地区協議会があるのか。
那覇市や浦添市など人口が多く財力があり、公務員の多い市は単独で教科書を採択している。地区協議会には参加していない。実は石垣市も市であるから単独で教科書を決めることができる。しかし、市ではない竹富町や与那国町は単独で教科書を採択することはできない。地区協議会をつくりそこに参加して教科書を採択することになっている。それには理由がある。

地区協議会を設立している理由は二点ある。ひとつは転校生が困らないようにするためだ。もう一つは町・村のように財力のない小さい自治体にとって教科書研究や選定の負担が大きいから共同で選定・採択するためだ。
生徒のことを思い、お互いの負担を軽くするのが地区協議会の目的である。無償措置法は昭和三十九年から施行している。それ以前から教科書は地区ごとに採択していた。南部地区、中部地区、北部地区であったのか南部は島尻地区、那覇地区と分かれていたのかどうかは知らないが、はっきりしているのは市町村ではなく地区別に教科書を採択していたことだ。本土も同じだったと思う。無償措置法を採択する協議会はそれ以前からあった教科書使用を決める地区協議会と一緒にしたのだ。そうすることが自然である。

地区協議会には規約があり、規約は全員一致で決めることになっている。だから、竹富町も改訂した規約には賛成した。八重山採択地区協議会の規約には賛成多数で教科書を採択すると銘記している。全員が賛成した規約の手順に従って八重山地区協議会は育鵬社の教科書を採択したのだ。規約に賛成したのだから竹富町は地区協議会の教科書採択を守るのが義務であるはずなのに武富町は協議会の採択に従わないで東京書籍版を採択したのだ。

一般市民から見れば、文部省が検定した教科書なのだから、極端に偏った内容ではないだろうし、地区協議会で決めた教科書を使うのに問題はないと思うだろう。しかし、竹富町は育鵬社の教科書を嫌って東京書籍版を採択した。
育鵬社の教科書を採択しなかった理由は育鵬社版は保守的であるということだった。文部省が検閲したのだから、常識からはずれたような保守思想、右翼思想はないはずである。育鵬社版の教科書が右翼に片寄りすぎて拒否するほどの内容ではないはずだ。もし、竹富町のいうように教育に悪い影響を与えるほどの保守色が強ければ、育鵬社を使用している石垣市や与那国町の父兄からクレームがあるはずだ。今までクレームがあったという情報はない。つまり、一般市民にとって育鵬社版は普通の教科書であるのだ。
   
本当に深刻な問題は国が検閲して合格した教科書でさえ拒否し、地区協議会の決定を破棄したくらいに竹富町の教育委員会は左翼イデオロギーが強いということだ。竹富町の教育委員会は公務員でありながら法律を破り自分のイデオロギーを優先させるほどのごちごちの左翼である。
公務についている者なら、教科書を決めるまでは自分のイデオロギーを主張してもいいが、地区協議会で決定したことに対しては従うのが義務である。しかし、竹富町の教育委員会は公務員として法を遵守するより自分のイデオロギーを優先させたのである。

竹富町の教育委員会が八重山協議会の決定に従わないで東京書籍版を採択したのには、東京書籍版を採択しても罰せられないという法的な確信があったからである。高度な法律判断を竹富町の教育委員会ができるはずがない。彼らのバックには革新勢力の共産党、社民党、沖教祖、自治労や弁護士、学者がいる。弁護士や学者が法律を研究し、八重山採択協議会の採択に従わなくても罰せられることはないということを見つけ、革新勢力と沖縄二紙が後ろから徹底的に支援するという条件で東京書籍を採択するように竹富町の教育委員会に指示したのである。革新勢力の指示に従って竹富町の教育委員会は東京書籍版を採択した。

八重山教科書問題は法治主義と左翼イテオロギーの戦いである。
議会制民主主義は法律をつくり、法律に従って行動する。法律は神がつくったものではない。人間がつくったものだ。だから一〇〇%完璧ではない。欠陥部分を補うのが「内なる民主主義」である。竹富町を後ろから操っている革新勢力は法律の穴や弱点を探して自分たちのイデオロギーを押し付ける。もはやそこには「内なる民主主義」はない。
このことが露わになったのが文科省が竹富町の教育委員会に対し是正要求を出したことに対しての怒涛のような反論であった。
文科省は地方自治法に基づいて竹富町に是正要求を出していることを明言している。文科省は法の遵守に徹底している。法の遵守は議会制民主主義の根本ルールである。特に公務は法令遵守を徹底しなければならない。公務をつかさどる者に法令遵守の精神がなければ議会制民主主義は崩壊する。
しかし、沖縄の革新勢力や新聞二紙は徹底して法に従って要求している文科省に反論する。

竹富町は協議会の運営に問題があると主張。また、育鵬社版は沖縄の米軍基地が少ないなどとして独自に東京書籍版を選定した。
             「琉球新報」
竹富町が協議会で採択した教科書以外の教科書を使用したのは公民だけであり、他の教科書は全て協議会で採択した教科書を使用している。竹富町が運営に問題があると主張したのは協議会で育鵬社版を採択してからである。協議会の規則改定は全員賛成が必要であり竹富町も賛成している。米軍基地問題に対する考えはイデオロギーの問題であるが、八重山教科書問題はイデオロギーの問題ではない。法律を守るかどうかの問題である。
琉球新報は、竹富町は左翼イデオロギーを固執したために地区協議会の規則を破ったと書いているようなものだ。

無償措置法が同一の採択地区内では同じ教科書を使用すると想定している以上確かに竹富町は違法状態にある。しかし、竹富町だけでなく石垣市、与那国を含む地区全体が不正常な状態にあるということだろう。
              「琉球新報」
無償措置法では協議会が採択した教科書をそれぞれの市町村で使用すると書いている。石垣市と与那国町は正常であり、竹富町だけが不正常だ。地区全体が不正常うんぬんはこじつけだ。新報も竹富町の違法状態を認めている。違法状態を正すのが法治主義であり民主主義だ。

竹富町教委はこれまでも、教科書無償措置法が石垣市、与那国町を含めた三教委全てに係るという認識から、竹富町だけが違法という指摘に反論してきた。慶田盛氏は「同一の採択は崩れたのだから、石垣と与那国が整って、竹富が整っていないというのはおかしい」と語った。
              「琉球新報」
こんなひどい理屈がまかり通っているのが沖縄である。無償措置法には協議会で地区で使用する教科書を採択するという文言はあるが、三教委全てに係るという文言はない。常識としては協議会で採択した教科書を使用している石垣市と与那国町は正常であり、竹富町だけが違法である。ところが「採択地区内の小中学校が使用する」という文言を逆手にとって「三教委全てに係る」という理屈をつくり、竹富だけが間違っているというのはおかしいと居直っているのだ。このような理屈も法律専門家でないと思いつかないだろう。
最初の頃は「答申」は強制ではないから協議会が採択した教科書を必ずしも採択しなければならないということにはならないと言い、次に地方教育行政法が優先すると言い、最近は「同一の採択は崩れたのだから、石垣と与那国が整って、竹富が整っていないというのはおかしい」と主張するようになった。
あらゆる手段を使って竹富町は間違っていないと主張するのは左翼イデオロギーに固執しているからである。

調査員が最も悪いという教科書を挙げたのが、答申を認めない大きな原因の一つだ。採択地区協議会がどのように答申を出したのかも、きちんとしてほしかった」と、協議会運営に対しても疑問を投げかけた。
             「琉球新報」
慶田盛教育長が最初から主張し続けていることである。沖教祖を中心にこのような主張が最初の頃は強かった。しかし、市民の意思を反映するのは選挙で選ばれた市長であり市長が選んだ教育委員会である。一教員である調査員にランクづけする権利はない。だから文科省はランクづけを禁じた。ランクづけすることは違法行為である。だから、次第にこのような主張は下火になっていった。ところが老慶田盛教育長はまだ言い続けている。

竹富町が八重山地区協議会の規則を破り、東京書籍版を採択したのは左翼イデオロギーが原因である。それは竹富町のイデオロギーというより、共産党、社民党、沖教祖、自治労、学者、知識人、県教育庁を含めた沖縄の革新勢力のイデオロギーである。

元高校教員で琉球・沖縄史に詳しい新城俊昭・沖縄大学客員教授(63)は文部科学省による竹富町教育委員会への是正要求を「国家権力による教育への介入。国策を子供に注入するのは、あってはならない行為だ」と批判。「教科書は子どもを一番よく理解している現場の教師か学校が選ぶべきだ。どの教科書にも良し悪しがあり足りない点を補うのが本来の教育の姿」と語る。
           「沖縄タイムス」
教科書を検定するのは文科省であり、全国的な教育方針を決めるのは国会や文科省である。国はすでに教育に介入している。民主主義国家では当然である。
文科省は無償措置法に従わない竹富町に無償措置法を守るように「是正要求」をしているだけである。国策とは関係がない。それなのに国策だと拡大解釈して国の理不尽な政治介入だと新城俊昭氏は主張している。
国民に選出された議員によってつくりあげられた民主主義国家をまるで独裁国家でもあるようにいう新城俊昭氏は民主主義国家を否定しているようなものである。

 育鵬社版の公民教育を精査した、おきなわ教育支援ネットワークの中村英吉事務局長(70)は「現憲法の価値観を覆す記述ばかりで、安倍政権の本音を代弁している。国のために個人の権利を制限して構わないという書きぶりだ」と疑問視する。「自衛隊の先島配備を進めるため。軍隊に親近感を持たせる狙いが透けて見える」と批判した。
             「沖縄タイムス」
だから、竹富町が育鵬社版ではなく東京書籍を採択したのは正しいというのだろうか。
公民の教科書は育鵬社、東京書籍だけではない。文科省の検閲を合格した教科書には帝国書院、日本文教出版、教育出版、清水書院の教科書もある。文科省はそれらの教科書のどれを採択しても容認している。八重山教科書問題は竹富町が八重山採択協議会の規則を破った違法行為が問題なのだ。
それにしても、「現憲法の価値観を覆す記述ばかり」には呆れる。憲法を覆すような教科書を文科省が認可することは絶対にない。
左翼イデオロギー丸出しで育鵬社版批判、安倍政権批判をしている新城俊昭氏には法治主義が欠落している。

沖教祖の山本隆志委員長は「国が市町村に直接是正要求するには、「緊急性」が必要。竹富の現場ではなく、年度を越えてはメンツがつぶれるという大臣の緊急性があるのだろう」と皮肉る。一方で「文科省対竹富町という構図が鮮明になった。安倍政権の「教育改革」暴走のシンボルとして、竹富支援を全国に呼び掛けていく」と語った。
            「沖縄タイムス」
繰り返し書いているように八重山教科書問題は法律を守るか守らないかの問題であって、政治的な問題ではない。しかし、山本隆志委員長が「文科省対竹富町という構図が鮮明になった」と話しているように革新勢力にとってはイデオロギー闘争であるのだ。
教育の現場代表である山本隆志委員長が八重山教科書問題を安倍政権とのイデオロギー闘争であることを宣言した。沖教祖にとって教育の場は教育の場ではなくイデオロギー闘争の場である。

「是正要求八重山を分断」「混乱招く大義名分」「なぜ一方的に避難」
 自主性や対話が重んじられるべき教育に、国が有無を言わさず力で介入する。政治的なパフォーマンスのために、無用な混乱を持ち込まれては迷惑だ。
            「沖縄タイムス」
文科省は県教育庁に竹富町への指導を依頼していたが、県教育庁は一年以上も有効な指導をしなかった。だから、文科省は仕方なく竹富町に直接是正要求をしたのだ。「有無を言わさず」ではない。文科省の是正要求は予想されていたことであり、混乱が起きることはない。

いまも米軍基地の過重な負担にあえぐ沖縄で、基地問題の記述が少ない教科書に抵抗を覚える住民が多いのは当たり前だろう。一方で尖閣諸島をはさんだ日中間の緊張の高まりに伴い、八重山で領土問題の記述を重視する住民が増えているのも現実である。
どちらも地元にとっては切実かつ機微に触れる問題にほかならない。国が「採択地区は同一の教科書」という「大義名分」を掲げつつ、実際には片方の教科書に肩入れすれば、解決を遠のかせるだけだ。これ以上、地域を分断させることは許されない。
        「沖縄タイムス」(鈴木実)
鈴木氏は八重山教科書問題を歪曲している。鈴木実氏には法治主義のかけらもない。国は竹富町に法律を守れといっているのであって育鵬社の教科書にこだわっているのではない。文科省にとっては教科書は育鵬社版でも東京書籍版でもいいのだ。八重山地区協議会で採択した教科書を使用するように竹富町に要求しているだけだ。鈴木氏は反育鵬社のイデオロギーで判断しているから、国が育鵬社の教科書に肩入れしているように見えるのだ。

今まで八重山教科書問題で竹富町を応援する記事を見てきて気が付いたことがある。なんと全ての記事が「多数決の論理」を取り上げないで無視していることである。それを徹底している。革新勢力が米軍基地を非難するために戦前戦後の沖縄の貧困問題を無視していることと共通している。

意見が全会一致するということはなかなかありえないことである。しかし、教科書は学校で使用しなければならない。全員一致するまで待つわけにはいかない。だから、意見を出し合って最終的には多数決で決めなければならない。これが民主主義のルールだ。しかし、革新勢力の頭のいい人たちはそのことを一切口に出さないで八重山教科書問題の別の解決方法を指摘する。

金井俊之東大教授(自治体行政学)がその典型的な意見である。

重要なことは、これら三市町教育委員会が虚心坦懐に協議を尽くし、同一の教科書を採択できるように努力することである。県教育委員会や文科省の任務は、三市町教委の対立をあおることではなく、再協議を促して和解と合意形成を進めることだ。
しかるに文科省が、違法状態を生み出している三当事者のうち、竹富町教委のみを標的に是正要求をしたことは法の下の平等に反する不公平な取扱いと言わざるを得ない。仮に是正要求を文科省が発出するのであれば、三市町に等しく行うべきだ。
        「琉球新報」
法の下の平等を持ち出したもっともな御高説である。しかし、三市町教育委員会が虚心坦懐に協議を尽くすのなら永遠に協議は終わらないだろう。永遠に同一の教科書を採択することはできない。
文科省は三市町教委の対立をあおってはいない。国の教育に責任を持っている文科省が法律に違反している竹富町に是正要求するのは当然の行為である。文科省は竹富町に法律を守ってくれと言っているだけである。

教科書は新学期に使用されるから、新学期に間に合うように採択しなければならない。期限が限定される。だから、多数決を採用しなければならない。民主主義のルールに従って八重山採択協議会は多数決で育鵬社版を採択したのである。もし、金井俊之東大教授が指摘したように文科省が三市町に平等に是正要求をしたなら、民主主義のルールを遵守した協議会の決定を無効にすることになる。そして、民主主義のルールを破った竹富町の行動が是認されることによる。
そうなれば民主主義ルールよりイデオロギーの勝利だ。そんなバカげたことがあってはならない。

イデオロギーの塊である革新勢力がバックアップしている竹富町が文科省の是正要求に応じることはないだろう。しかし、それでも文科省は是正要求をやり続けなければならない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

翁長市長は知事選で革新の支持を得られない 



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



 翁長市長は知事選で革新の指示を得られない 

 オスプレイの普天間飛行場配備に反対した翁長市長は自民党の宿敵である革新政党・自治労・沖教祖をも巻き込んでオール沖縄を結成して、本土政府にオスプレイ配備撤回を要求する県民大会・東京行動の先頭に立った。オール沖縄結成は大成功し、翁長市長は那覇市長選で圧勝した。すべてが翁長市長の思惑通りに進んだ。

「オールジャパンに対しては、オール沖縄で結束しないと駄目だ。基地問題で沖縄が主張する場合でもイデオロギーではなくアイデンティティーを持って、県民の心を一つにして頑張らないと本土全体の無関心、無理解にはとても立ち向かえない。最大公約数で頑張ろう、というのが私の言葉の意味だ」
翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)
 翁長那覇市長がオール沖縄の結束をイデオロギーを超えたアイデンティティーを根拠にした。「県民の心はひとつ」というわけだ。翁長市長のアイデンティティー論で保守も革新も一緒になったオール沖縄が結成されて東京行動を実現した。
 そして、革新を巻き込んだオール沖縄結成の成功は翁長市長との対立軸を失った革新勢力は統一立候補を立てることができなくなった。翁長市長は思惑通り那覇市長選で圧勝した。「沖縄のアイデンティティー論」に翁長市長はますます自信を高めていっただろう。そして、今年の知事選に立候補して当選する自信に満ち溢れていた。何事もなければ翁長市長が知事になるのは確実だった。

 ただ翁長市長には大きな勘違いがある。翁長市長はイテオロギーではなくアイデンティティーを優先すると主張している。翁長市長のようにイデオロギーのない人間ならアイデンティティーを優先させることができるが、実際はイデオロギーを持っている人間はアイデンティティーよりイテオロギーを優先させる。なぜならイデオロギーは現実について勉強し、研究した結果生まれるのだから自然発生的に生まれるアイデンティティーを超えたところにある。
 イデオロギーから見ればアイデンティティーは幼稚である。
 共産党はイデオロギーの塊である。社民党も共産党ほどではないが護憲反安保というイデオロギーがある。社大党も反米主義のイデオロギーの塊である。イデオロギーの塊である共産党・社民党・社大等の革新政党がオール沖縄に参加したとしても翁長市長の「アイデンティティー論」に賛同したからではない。革新政党がオール沖縄に参加したのは、翁長市長がオスプレイ配備反対、辺野古移設反対の革新政党と同じ主張をしたからである。翁長市長が革新政党のこれまでの主張と一致したから革新政党勢力はオール沖縄に参加したのであって、翁長那覇市長の「アイデンティティー」は全然関係がない。むしろ、翁長市長の「アイデンティティー」が革新政党のイテオロギーに傾いたから革新政党はオール沖縄に参加したのだ。

 翁長市長と革新政党では決定的に違うイテオロギーがある。それは日米安保に対するイデオロギーだ。翁長市長は日米安保に賛成し米軍の日本駐留を認めている。しかし、革新政党は日米安保に反対であるし、米軍の日本駐留を認めていない。革新勢力と呉越同舟である自治労、沖教祖も同じである。もっと深く言えば、革新勢力のイデオロギーは社会主義である。革新政党は反資本主義であり、資本主義社会を容認している現在の議会制民主主義にも反対である。

 オール沖縄運動で、翁長市長は「県外移設」を主張し何度も声にした。「県外移設」とは国内移設をすることである。翁長市長は米軍の日本駐留を認めているから「県外移設」を主張することができる。しかし、反安保を掲げ日本の米軍駐留を認めない革新政党は「県外移設」に賛成することはできない。事実、共産党、社民党の政治家は一度も「県外移設」を主張したことはない。共産党の志位委員長はオール沖縄に賛同する発言の中でも「国外撤去・閉鎖」を主張していた。
 「県外移設」することは米軍の日本駐留を認めることであるし日米安保廃棄のイデオロギーを撤回することになる。革新政党は口が裂けても「県外移設」を口にすることはできない。そうであるのに県外移設を主張する翁長市長と一緒にオール沖縄を結成した。結成できないのに結成できたのには革新政党の狡猾な裏ワザがあったからだ。
 政府に提出したオール沖縄の建白書には「県外移設」の文言は一つもなかった。「県外移設」の代わりに「撤去・閉鎖」の文言が盛り込まれていた。「撤去」は沖縄以外の場所に移設する意味に解釈できるから「県外移設」「国外移設」の両方を含んでいるように拡大解釈することができる。だからオール沖縄の建白書には革新政党でも賛成できる「撤去・閉鎖」の文言にしたのだ。
 しかし、説明したように「県外移設」と「国外移設・閉鎖」ではイデオロギーが違う。「撤去」を翁長市長は「県外移設」と解釈し、革新政党は「国外移設」と解釈することによってオール沖縄を結成することができたのである。革新政党が「撤去」を「県外移設」と解釈することは絶対にない。
絶対に交わらない水と油を交わらしたように見せたのが「撤去」という文言である。

県外移設・・・日米安保・米軍日本駐留賛成。
国外移設、閉鎖・・・日米安保・米軍日本駐留反対。

オール沖縄は相容れないイデオロギーが同居したのだ。

 オール沖縄はそれでも結成することができ、東京行動をすることもできた。しかし、知事選挙となるとそうもいかない。オール沖縄では、保守政治家が「県外移設」を公言し、マスコミも「県外移設」は県民の総意などと報道して、「県外移設」がオール沖縄の主張のように見えていたが、建白書には「基地の撤去・閉鎖」の文言を入れ、革新側の面目を守ることができた。しかし、選挙公約は翁長市長が決め、それを革新政党が支持することになる。「県外移設」と「閉鎖・撤去」を使い分けることはできない。


 翁長市長は「県外移設」を主張し続けている。二月二十四、二十五日の那覇市議会の定例会では、
〇「沖縄だけに基地を置いて本土の方たちは何もしないのでは、日本の本気度は感じられない」
〇米軍普天間飛行場の移設先について、本土はどこも基地を受け入れない状況に「じゃあ沖縄が一〇〇年受け入れようかというのは今の政治家として、責任世代として許されることではない」
〇「沖縄は日米両政府とってちっぽけなもの。だから心を一つにして、まずノーと言わないと何でも沖縄に持ってこられる」
と発言している。
翁長市長が問題にしているのは沖縄の米軍基地過重負担である。本土の負担をもっと増やせと主張しているのだ。翁長市長が日米安保容認、米軍基地の日本駐留容認であることは明確である。
 日米安保・米軍の日本駐留を容認している翁長市長を革新政党が支持・応援することは革新政党が堅持し続けてきた反日米安保・反米主義を放棄することになる。それはイデオロギーの崩壊だ。革新政党が「県外移設」を公約にした翁長市長を支持することはできない。

 共産「大同団結し基地はね返そう」
翁長氏に異例のエール 


 二十四日の那覇市議会二月定例会の質問で、野党最大会派の共産党が翁長那覇市長を激励する場面があった。古堅茂治氏(共産)が「大同団結し日米政府の基地押し付けをはね返していこう」と、翁長市長が唱えてきた「オール沖縄」の再構築を訴えた。
 県政野党が十一月の知事選に向けて模索を始めた革新政党に中道を加えた「脱革新共闘」方式が実現した場合、超党派の県民大会を主導した翁長市長が有力候補に浮上する可能性もあり、野党からの突然のエールには、与党側からも驚きの声が上がった。
 古堅氏は「基地のない平和で自立できる未来を切り開く道を進むのか、沖縄の進路を左右する歴史的分岐点にある」とし、県都の市長として基地問題解決を日米両政府に訴える決意を促した。
翁長市長は「県民の心の中に平和と経済が同居できるようになった。党利党略を乗り越えて県民に寄り添う姿勢が大切。私なりに頑張っていきたい」と語った。
 質問後、古堅氏は「知事選との関連はない」ときっぱり否定したが、議会論戦では激しく対峙してきた最大野党の「雪解け宣言」は秋の決戦を見据えて憶測を呼びそうだ。
                「沖縄タイムス」
 共産党が県知事選で翁長市長を押す雰囲気である。タイムスは「脱革新共闘」が実現する可能性を述べているが共産党の妥協には限界がある。共産党は絶対に「県外移設」を認めることはできない。もし、翁長市長が革新共闘の支持を得たいならば翁長市長が「県外移設」をひっこめる以外にはない。

 名護市長選では稲嶺市長は辺野古移設を反対するだけでよかった。「名護市の陸にも海にも新基地は造らせない」を主張していれば沖縄二紙や周囲が勝手に稲嶺市長が県外移設を主張しているように演出した。だから、共産党、社民党は稲嶺市長を支持し、アホな自民党県連元会長宮里氏も稲嶺市長を支援した。
 「辺野古移設」「県外移設」に反対するということは普天間飛行場を国外移設か閉鎖を主張することになる。そうすれば革新共闘の支持を得ることができるかも知れない。しかし、それだけで済む問題ではない。普天間飛行場の国外撤去・閉鎖は日米安保の否定につながる。翁長市長は日米安保をも否定することができるだろうか。そうなれば完全に自民党からの決別になるし、保守から革新へと変身することになる。
 
 辺野古承認撤回確認 知事選選考委 

 県内革新政党に中道・リベラルを加えた11月知事選の候補者選考委員会の第2回会合が8日、那覇市内で開かれた。米軍普天間飛行場の返還問題への基本姿勢では、仲井真弘多知事の名護市辺野古埋め立て承認の撤回を盛り込む方針で一致した。前回は県内移設断念を政府に求めた「建白書」を重視することを確認している。
 社民、共産、社大、生活、県民ネットでつくる選考委は早ければ3月中に選挙に臨む基本姿勢をまとめ、人選に入りたい考え。
 基本姿勢は普天間をはじめとする基地問題のほかに経済、福祉、雇用、教育、環境など各分野の考え方も盛り込む。
 座長を務める社民県連の新里米吉委員長は会合後、記者団に「議論は順当に進み90%以上まとまった。早くて3月末、遅くても4月中旬には発表したい」と説明。
 その後の候補者選定については「人選で不協和音が出るのは避けたい。結束が大事なので時間はかかる」と述べるにとどめた。
沖縄タイムス 3月9日(日)10時55分配信
安保廃棄・日本からの米軍基地撤去が革新政党のイデオロギーである。翁長市長の県外移設は国内移設であるから米軍の日本駐留を容認していることになる。翁長市長が「県外移設」を掲げる限り革新政党の支持を得ることはできない。
 しかし、翁長市長の当選至上主義は筋金入りである 
「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない。稲嶺恵一知事はかつて普天間の県内移設を認めたうえで『代替施設の使用は十五年間に限る』と知事選の公約に掲げた。あれを入れさせたのは僕だ。防衛省の守屋武昌さんらに『そうでないと選挙に勝てません』と。こちらが食い下がるから、向こうは腹の中は違ったかもしれないけれど承諾した」

仲井真知事の最初の選挙の時。革新立候補と同じように「三年以内の普天間基地閉鎖」を公約に掲げたが。もしかするとこれも翁長市長の入れ知恵だったかも知れない。明確であるのは仲井真知事の二度目の選挙の時に「県外移設」を公約にしたのは翁長市長である。当選するためには手段を選ばないのが翁長市長だ。

当選するためには手段を選ばない翁長市長であるから、知事選で当選するために「県外移設」を下ろす可能性がないわけではない。
しかし、「県外移設」を主張し続け、「県外移設」は県民の総意とまで公言した翁長市長である。「県外移設」の看板を下ろすことは至難である。翁長市長は知事選挙を断念するのだろうか。
しかし、沖縄の政治家の頂点である知事になるのが翁長市長の悲願である。簡単にあきらめるわけにはいかないだろう。那覇市長であるのに「沖縄アイデンティティー論」を展開して沖縄全体についての政治問題について発言し、オール沖縄を先導したのも知事になるための複線であった。

さて、今年の知事選であるが翁長市長は立候補するのだろうか。「県外移設」を公約からはずすのだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

クリミヤ介入にハンガリー動乱・プラハの春…記憶よみがえる



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

ロシアのクリミヤ介入にハンガリー動乱・プラハの春…記憶よみがえる
【ジュネーブ=石黒穣】冷戦時代にソ連の支配を受けた東欧諸国やバルト3国は、ロシアによるクリミア介入を自国の安全に直結する危機とみなしている。
 ロシアの干渉に道を開く序章となることを恐れるからだ。
 ウクライナと国境を接するポーランドのトゥスク首相は今月、クリミア情勢を巡りハンガリー、チェコ、スロバキアの首相と共同声明を出し、冷戦時代の「自分たちの経験と類似する」と警戒感をあらわにした。
 ハンガリーで1956年、ソ連軍が反ソ暴動を鎮圧した動乱。チェコスロバキアで68年、ソ連・東欧軍の介入で民主化運動が圧殺された「プラハの春」の挫折。市民の間でも、ソ連の軍靴に希望を踏みにじられた記憶がよみがえっている。
 バルト3国でも同様だ。ラトビアのリンケービッチ外相は「クリミアで起きていることはソ連による第2次大戦中のバルト3国占領とそっくりだ」と述べた。
(2014年3月18日07時44分 読売新聞)

ハンガリー動乱について関心のある人はほとんどいないと思う。読売新聞は「ソ連軍が反ソ暴動を鎮圧した動乱」と書いているが、そうではなく、ハンガリーの労働者が政府の圧政に不満を持ち、労働者の人権を要求した運動だった。運動はどんどん広がりハンガリー政府では鎮圧することができなくなって、ハンガリー政府が崩壊する恐れが出てきたので、ソ連軍が軍隊を派遣してハンガリーの労働者を鎮圧した。

ソ連がハンガリーの労働者を弾圧したことにショックを受けた日本の共産主義者たちが反ソ連の新しい共産主義運動を生み出した。それが革命的共産主義者同盟(かくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめい、革共同)である(前身は日本トロッキスト聯盟)。革共同はハンガリー動乱の翌年の1957年に結成された。いわゆる日本の新左翼運動の始まりであった。
しかし、革共同は運動の在り方の違いで分裂する。
分裂後の主な党派は革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)(第四インター)など。
革マル派と中核派が大きい組織であるが、二つは近親憎悪というか、激しく対立し内ゲバを繰り返していく。死者は100人近くになるという。
私はかみつくⅠに短編小説「1971Mの死」を掲載したが、Mとは町田のことて、小説に界あるのはほとんど事実である。ただ、彼は中核派に殺されたのではない。共産党の統一連、民主青年同盟の人間たちに殺された。
その後一般学生が学生自治会長に間違われて殺されたが、襲ったのは中核派であった。彼は革マル派と中核派の内ゲバの犠牲者であった。

ハンガリーの労働者をソ連軍が弾圧したことに怒り、その原因を追究し、原因がスターリン政治あることを突きとめ、反スターリン主義という素晴らしい思想を生み出した人たちがお互いに殺し合うようになるのは虚しいものである。労働者の自由を求めて立ち上がった反スターリン主義運動が内ゲバのために台なしになった。
なぜ、労働者の自由を求めた運動が内ゲバに発展したのか私は理解できない。

プラハの春
プラハ‐の‐はる 【プラハの春】
チェコスロバキアで1968年の春から夏にかけて、新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた状況をいう。8月に、ソ連・東欧軍の介入により弾圧された。

自由を求めるチェコ・スロバキアの人々の動きと政権の動きに共産主義ブロック崩壊の
萌芽を感じたソ連が、ワルシャワ条約機構軍を動員して1968年8月に戦車で武力介入し、自由主義的傾向のドプチェク政権を打倒してかいらい政権を樹立した事件です。

西側報道陣が事件を沢山撮影して西側で放送し、人々の群れにソ連軍戦車が突入して人々を巻き込みひき殺す有様、チェコの人々が戦車の予備燃料に火をつけて炎上させる有様などの闘争が生々しくテレビに出ました。
ドプチャク氏は完全失脚し一時は道路作業員をしていたようですが、ソ連の自由化と共に人々に推されて首相に復活(後年交通事故死)、同じく自由派として冷や飯組のベラ・チャスラフスカ氏(東京・メキシコ五輪体操金メダリスト)なども名誉復活しました(オリンピック委員会総裁就任:URL)。

プラハの春
チェコスロバキアで1968年の春から夏にかけて、新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた状況をいう。8月に、ソ連・東欧軍の介入により弾圧された。


東京オリンピックで体操の金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカ。彼女の女性らしい美しさ、演技の華麗さは見る人をうっとりさせた。後の体操選手とは一線を画す。彼女の体操はコマネチへ続く。



1964年の東京オリンピックで、チャスラフスカは人気選手となる。平均台、跳馬と個人総合の金メダルに加え、団体でも銀メダルも手にした。『ウィキペディア引用』 故国チェコへ帰国して数ヵ月後から、プラハの春といわれた人権尊重の時代が暗転、ソ連共産党の支配が強まった。その時、民主化要求の「二千語宣言」に彼女も著名したことで、メキシコオリンピックに出場するのが危ぶまれた。
メキシコオリンピックでの採点も、ソ連選手との競り合いで、同着2人金メダルとなった。ソ連選手が金メダル授与されている間、顔を背けることで抗議の意を示した。1968年のメキシコオリンピックでは、跳馬、段違い平行棒、ゆかと個人総合で金メダル、平均台と団体種目で銀メダルと、女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。
メキシコオリンピックでベラ・チャスラフスカを見た私は彼女の魅力に憑りつかれた思い出がある。
二千語宣言(にせんごせんげん、Dva tisíce slov)
1968年のチェコスロヴァキア改革運動、いわゆる「プラハの春」を象徴する文書のひとつ。4月の『行動綱領』が党による改革の指針であるのに対して、『二千語宣言』は市民社会側からの改革への支持・期待の表明であった。起草者は、作家のルドヴィーク・ヴァツリーク。
1968年6月27日、『リテラールニー・リスティ(Literární listy)』、 『プラーツェ(Práce)』、『ゼムニェジェルスケー・ノヴィニ(Zemědělské noviny)』、『ムラダー・フロンタ(Mladá fronta)』 に同時掲載された。

エミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカをはじめとする著名人が名を連ね、1週間たらずで3万人以上の市民が署名した。
二千語宣言に署名したチャスラフスカは弾圧される。東京、メキシコオリンピックの金メダリストであるにも関わらず冷遇され、表舞台から消え、貧困生活を送りうつ病になるが、それでも意思を貫く。
民主化運動は次第に浸透していき、1989年になると民主化が実験していく。
1989年11月25日[編集]ヤケシュ辞任に伴うチェコスロバキア共産党の新執行部が記者会見を行った。しかし民主化勢力側の要求を取り上げない姿勢を示したため、国民の間に新執行部に対する失望感が広がった。同日午後にはプラハ市党委員会のシチェパンが第一書記を辞任した。
民主化デモの参加者はこの日、プラハで推定80万人、ブラチスラヴァで過去最高の10万人に達した。
1989年11月26日[編集]アダメッツ首相が初めてハヴェルと会見した。
スロバキア共産党機関紙「プラウダ」の編集部は、民主化支持の姿勢を表明した。
1989年11月27日[編集]全国民の75%が参加したゼネストが正午から午後2時まで国内全土で行われた。
連邦政府文化省は、反共産主義に関する文書などを対象にした国家検閲を廃止すると発表した。1週間以上続いた大規模な民主化デモはいったん収束した。
ヨーロッパではチェコスロバキアだけでなくほとんどの社会主義国家で民主化運動が広がり、粘り強い戦いで民主化を勝ち取り民主主義国家をつくり上げていいった。民主化運動では多くの血が流れた。血が流した原因はソ連にある。
だから、かつて社会主義国家だったポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキアの市民はロシアのクリミアへの軍事介入がかつてのソ連の軍靴に希望を踏みにじられた記憶がよみがえってきて、ロシアのクリミアへの介入を危惧するのだ。
それにしても、民主化への道は険しい。タイ、エジプトなどの国々の民主化も苦しんでいる。
労働者の自由を勝ち取る目的の運動であったはずの学生運動も内ゲバをするようになり狂ってしまった。日本の学生運動には革命主義だけがあり、民主主主義がなかった。だから破綻したと私は思っている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

慰安婦と女郎



書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
 
慰安婦と女郎

 勝新太郎が主人公の「兵隊やくざ」シリーズは満州が舞台だった。
第二次世界大戦中の一九四三年(昭和一八年)、舞台はソビエト連邦との国境に近い満州の「孫呉の丘」。四万の兵力を誇る関東軍が駐屯していた。そこへ入隊してきたのは大宮貴三郎(勝新太郎)、浪花節語り(浪曲師)になれずやくざの用心棒をやっていた男である。大宮の指導係に任命されたのが、有田三年兵(田村高廣)であった。彼は名家の出身でインテリであり、幹部候補試験を意図的に落第したという男であった。


予告編に「起床ラッパは」「女郎屋で聞いて」の宣伝文句が出てくる。



嵯峨三智子は私が大好きな女優だった。




「兵隊やくざ」は元やくざの主人公の型破りの戦争映画であった。
主人公の寝ていたところは「慰安所」ではなくて「女郎屋」である。「女郎屋」で働いている女性を女郎と呼んだ。

写真で見て分かる通り「女郎屋」と「慰安所」は違う。


慰安所は外に日本兵が順番待ちをしている。女郎屋には待合部屋がある。

 戦時中満州には女郎屋はなかったが、「兵隊やくざ」は映画であるから殺風景な「慰安所」の代わりに「女郎屋」をセットしたのではないかと思うかもしれない。しかし、それは間違っている。むしろ、日本軍が管理している公的な慰安所より民間の売春宿が多かったと考えるべきだ。慰安所は兵士の数に合わせて慰安婦の人数を決めている。そして、慰安所に行ける曜日や時間が決められている。それに数をこなすために流れ作業のように仕事をしている。そんな慰安所よりサービスのいい女郎屋に行く兵士も多かっただろう。慰安所と女郎屋は別物である。
「兵隊やくざ」で慰安所の前で並んでいる勝新太郎が我慢できずにイライラしている映像を見た記憶がある。

戦時中のことだから満州も戦争状態であったと思うのは間違いである。韓国も満州も日本軍が制圧して比較的平和であった。戦争状態と思ったら間違いだ。

満洲国の情況
一九三一年(昭和六年)一二月二三日、関東軍は満蒙独立国家の建設を目指す「時局処理要綱案」が陸軍によって策定され、一九三二年(昭和七年)一月六日、独立国家建設を容認する、陸軍省、海軍省、外務省関係課長による三省協定案「支那問題処理方針要綱」が策定された。
一九三二年(昭和七年)二月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領した。三月一日、満洲国の建国が宣言された。国家元首にあたる「執政」には、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀が就いた。国務総理には鄭孝胥が就き、首都は新京(現在の長春)、元号は大同とされた。これらの発表は、東北行政委員会委員長張景恵の公館において行われた。三月九日には、溥儀の執政就任式が新京で行なわれた。

同年三月一二日、犬養毅内閣は「満蒙は中国本土から分離独立した政権の統治支配地域であり、逐次、国家としての実質が備わるよう誘導する」と閣議決定した。日本政府は、関東軍の独断行動に引きずられる結果となった。
犬養首相は満州国の承認を迫る軍部の要求を拒否し、中国国民党との間の独自のパイプを使って外交交渉で解決しようとした。犬養の解決案は、満州国の形式的領有権は中国にあることを認めつつ、実質的には満州国を日本の経済的支配下に置くというものだった。しかし、同年五月に五・一五事件が起き、政府の満洲国承認に慎重であった犬養は、反乱部隊の一人に暗殺された。
五・一五事件以後は軍部に反対する政治家は居なくなり、満州は関東軍の思い通りに進む。

一九三二年(昭和七年)六月一四日、衆議院本会議において、満洲国承認決議案が全会一致で可決された。九月一五日には、大日本帝国(斎藤実内閣)と満洲国の間で日満議定書が締結され、在満日本人(おもに朝鮮族日本人)の安全確保を基礎とした条約上の権益の承認と、関東軍の駐留が認められた。
一二月一七日と二七日に本土と朝鮮より満州に兵力が増派され、一二月二八日より、錦州を攻撃し、翌年一月三日に錦州を占領した。一月二八日、関東軍は参謀本部の承認のもとに、北満ハルピンへの出動を命じ、二月五日、ハルピンを占領し、日本軍は満州の主要都市をほとんどその支配下に置いた。
一九三三年(昭和八年)には日本軍が満州を制圧している。満州には続々と日本から移民者がやって来た。沖縄からも県民が農業をやるために満州に渡っている。
日本軍が制圧した満州は平静であり多くの日本人や韓国人が住んでいた。
満州事変の前の満州国の人口は一八〇〇万人であったが、満州国が建国されると、三〇〇〇万人に増加している。
終戦時の満州在住の日本人は約一九五万人(関東州内二十五万人を含む)であった。
関東軍が制圧した満州で日本は農業や工業の発展を目指した。映画協会も設立している。
満洲映画協会
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
満映の撮影所満洲映画協会(まんしゅうえいがきょうかい)は、満州国の国策映画会社。略称満映。一九三七年に設立。資本金は五〇〇万円(満州国と満鉄が五〇%ずつ出資)。看板スターは李香蘭であった。

満映は映画の製作だけでなく、配給・映写業務もおこない各地で映画館の設立、巡回映写なども行った。配給エリアは満洲国内及び日本租界である。中華民国の配給会社は中華電影との合同映画を除いては満映の映画を取り扱わなかった。
満映スターたちのアルバム


満映は「日満親善」、「五族共和」、「王道楽土」といった満州国の理想を満州人に教育することが主な目的であるとされた。満映製作の映画は日本の文化を紹介する文化映画や啓蒙的な映画、プロパガンダ映画が多く、あまり大陸では人気がなかった。満映には一種独特な「官僚的雰囲気」があり、それ以前の問題として映画の文化的土壌さえも無かった。楽天家で知られ、東映の社風を作った男とされる名プロデューサーのマキノ満男でさえ、往時を回顧すると『泣いて帰りたいときもあった』としている。

満州国の人口は一八〇〇万人から満州国の建国によって、三〇〇〇万人に増加した。満州は平和であり急速な経済発展をしていった。
日本人開拓民所在地

 多くの日本軍や日本人が住んでいる満州に商売人たちも移っていっただろう。多くの民間売春業者も満州に渡ったことは想像できる。民間の売春宿が「女郎屋」である。
 慰安婦は日本軍が指定した斡旋業者によって集められて現地に送られ、現地では楼主が経営している慰安所のみで商売をした。慰安所は日本軍が保護管理し、軍医が一週間に一度は性病検査をしていた。
 女郎は慰安婦のような厳しい管理はされていなかった。女郎の中には日本兵専門としていた売春婦がいた。それを「娘子軍」と呼んでいたという。
日本兵を相手に売春をやったのは慰安所だけではなく多くの民間の売春婦がいたのだ。
朝鮮の売春業者も満州や他の国に駐屯している日本兵を相手に商売をしていた。慰安婦よりも民間の売春婦が多かっただろう。民間の売春宿は千差万別であっただろう。「兵隊やくざ」で描かれている平穏な売春宿から、あくどい業者による性奴隷のような売春宿も確実にあった。誘拐された少女や騙された少女が売られた売春宿は奴隷同然の売春宿であっただろう。

民間の売春婦はたとえ日本兵を相手にしていたとしても慰安婦ではない。女郎である。それなのに政治家や評論家は日本兵相手の売春婦をすべて慰安婦と思い込んでいる。その間違った思い込みが韓国の自称慰安婦の本性を暴き損ねている。

慰安婦は斡旋業者が日本や韓国で募集し、慰安婦が働く慰安所は日本軍が保護管理していた。日本軍が管理していたのだから慰安所は日本の法律が適用されていたということである。

明治政府は近代国家づくりに四民平等と法治主義を掲げた。だから、ペルー船籍のマリア・ルス号に乗せられていた中国人奴隷を解放した。
遊郭の遊女が奴隷であることをイギリスの弁護士に指摘された明治政府は芸娼妓解放令を出して遊女たちを自由にした。それから紆余曲折を経て遊女の人権を認める法律をつくった。それが一九〇〇年(明治三十三年)に施行した「娼妓取締規則」である。
一八八九年(明治二十二年)には娼妓渡世は十六歳未満の者には許可しないと布告された。そして、十一年後の一九〇〇年(明治三十三年)には十八歳未満の者には娼妓稼業を許可しないと改正し、「娼妓取締規則」の第一条に「十八歳未満の者は娼妓になってはいけない」と書いてある。日本政府にとって娼妓の年齢規制は非常に重要なことである。法律を遵守しなければならない日本軍が管理している慰安所に日本女性なら十八歳未満、韓国女性なら十七歳未満の女性が慰安婦として入れるはずがない。

「娼妓取締規則」は娼妓の人権を守るための法律である。日本軍は慰安婦の人権を守らなければならない義務がある。日本軍が保護管理している慰安所で日本や韓国で集められた慰安婦たちが性奴隷にされることはあり得ないことである。

韓国の自称元慰安婦たちが日本を非難している理由は、日本軍に強引に連行された、慰安婦は性奴隷であった、十一歳や十五歳で十七歳未満の少女も慰安婦にさせられたことである。
「慰安婦は必要であった」「どこの国にも慰安婦は居た」は反論になっていない。「日本軍は強制連行していない」「日本軍は慰安婦の人権を守っていた」「十七歳未満の女性が慰安婦になることを禁じていた」が真正面からの反論である。

慰安婦問題は根本的には明治維新の四民平等・法治主義の名誉がかかった問題である。

韓国で元慰安婦だと主張している女性は慰安婦ではなかった。日本兵相手の民間売春婦だった。もし彼女が本当に慰安婦であったなら自分で慰安婦を志願していて、より安全な慰安所で働き、日本軍に守られていたから性奴隷にさせられたことはなかったはずである。

私たちは、一九〇〇年(明治三十三年)に公娼の人権を守る「娼妓取締規則」が施行されたことを重視するべきである。



花やから・・・芭蕉布
驚き、感動した踊りである。彼女たちは基礎がしっかりしている。
その上に高度な表現力を持っている。手取り足取り教えただけでは彼女たちの踊りに到達できない。
彼女たちには生まれながらの才能があり、それを指導者が引き出した。
沖縄の踊りでこんなに表現力のある踊りを見たのは初めてだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

キューバ危機と沖縄

 


書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村



キューバ危機と沖縄
 


キューバ危機
キューバを舞台に、一九六二年一〇月一四日から二十八日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、核戦争寸前まで達した危機的な状況のことである。

キューバ危機が起こったのは私が中学二年生の時である。第三次世界大戦に発展するかも知れないキューバ危機の情報に私は戦々恐々としていた。
小学一、二年生の頃から第三次世界大戦は核戦争になり人類は滅ぶと聞いていた。それだけではない。もし、戦争が起こったら核爆弾を貯蔵している嘉手納弾薬庫が真っ先に攻撃されて沖縄は一瞬の内になくなってしまうと聞かされていた。嘉手納弾薬庫は毎日見ている山であり、身近な存在であった。
もし、明日世界大戦になったらなにをしたいかという話を子供の間で話し合ったこともあった。
第三次世界大戦を描いたSF小説もあり、第三時世界大戦、核戦争、沖縄島の消滅、そして自分の死は私のトラウマとなっていた。核戦争が起こり、各セルターに避難した人たちが生き延びて、廃墟となった地上に出て生活するSF小説を読んだ私は、中学三年生の時の弁論大会で、もし第三次世界大戦が起こったら、人間のいない廃墟の世界で生きるのは詰まらないから私は生き残りたくないと意見を述べた。SFかぶれの私が変なことを弁論していると他の生徒は思っただろう。
私にとってキューバ危機は核戦争がSFの世界ではなく現実に起こる可能性があることを予感させるものであった。
キューバ危機はキューバ革命から始まった米国とキューバの対立が原因である。

キューバ革命
フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、アメリカ合衆国の影響が強かったフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争のことを指す。
アメリカ合衆国からの支援、庇護をうけた軍事政権への反発は既に一九五〇年代前半よりみられており、一九五三年にもカストロらは蜂起していたが、この頃は革命勢力の結束が弱く失敗に終わった。

一九五八年になると反政府各派の共同戦線が結束され、一九五九年一月一日にハバナ占領を果たして革命政権が成立した。キューバ革命は、当初より社会主義革命を志向したわけではなく、政権獲得直後にはアメリカ合衆国との関係継続を目論んだ交渉も模索していた。

戦後資本主義国米国が最も恐れていたのが社会主義の台頭であった。一九〇七年にロシア革命が起こったが、戦後にスターリンがソ連を拡大していくと同時にアジアの独裁国家が次々と社会主義国家になっていった。
社会主義国家は労働者階級のための国家であり、資本家が労働者を搾取している資本主義国家の次の国家だという理論があり、労働者や農民の支持を集めた社会主義はどんどん広がっていった。資本主義を否定する社会主義を米国は最も恐れていたが、その時に起こったのがキューバ革命であった。
ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と、その後を一九六〇年に継いだジョン・F・ケネディ大統領は米国支援の軍事政権を倒したカストロら新政府を「容共」であるとみなし、カイトロ政権を打倒すべくピッグス湾事件を起こした。

ピッグス湾事件
一九六一年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援の下で、フィデル・カストロによる革命政権の打倒と傀儡政権の再興を試みた事件。ジョン・F・ケネディ大統領の承認を経て一九六一年四月一五日に侵攻が開始されたが、東側諸国の援助を受けたキューバ軍は三日間の戦いで撃退に成功した。この事件の直後、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言。ソビエト連邦への接近を強めた結果、翌一九六二年にはキューバ危機が起きることになる。
ピッグス湾とは侵攻が行われた地名(コチーノ、スペイン語で豚の意)を英訳したものであるが、キューバをはじめとする中南米諸国においてはプラヤ・ヒロン侵攻事件と呼ばれる。
ピッグス湾事件をきっかけにキューバはアメリカ合衆国との関係回復が不可能であると判断すると、ソ連への接近を鮮明にし、一九六一年に社会主義宣言を示して、キューバ革命を社会主義革命として位置づけた。
一九六一年は終戦からまだ十五年しか経過していない。武力による革命の多くは社会主義国家になっていったからキューバも社会主義国家になるだろうとケネディ大統領は早計してしまった。社会主義を敵視しているケネディ大統領がキューバ叩きをやったためにキューバは社会主義国家になったと言える。キューバ危機を招いたのはケネディ大統領自身であった。

キューバ革命への道
前史
フルヘンシオ・バティスタ一八九八年に起きた米西戦争でスペインに勝利したアメリカ合衆国は、同年のパリ条約でキューバ独立をスペインに認めさせた。しかし、一九〇一年のプラット条項によってキューバを事実上の保護国とすると、その後もたびたび内政干渉を繰り返した。

この様な状況下で、一九〇三年二月二三日にグアンタナモがアメリカの軍事基地となリ、「アメリカ合衆国の裏庭」と化していたカリブ海においてキューバは戦略的に重要な位置を占めていた。さらに、アメリカへの経済的従属も進み、砂糖やバナナなどの商品作物の供給地として必要不可欠な島となっていった。

一九三四年にフランクリン・ルーズベルト大統領のもとでプラット条項は廃されたが、アメリカは親米政権をキューバにおいて維持させることを国是としており、活発な投資活動が続いていた。さらに第二次世界大戦ではグアンタナモ基地がドイツの潜水艦に対する基地として活用されるなど、軍事的にもキューバはアメリカと切っても切れない関係となっていった。

こうした中、第二次世界大戦後の一九五二年に軍事クーデターによって政権を獲得したフルヘンシオ・バティスタも、これまでの政権同様に親米政策をとりアメリカからの援助をうけつつ独裁体制の強化を図ったが、共産主義の影響を受けた学生組織や左翼組織による反バティスタ運動が高揚していた。

反乱
モンカダ兵営で逮捕されたカストロ一九五三年七月二六日、若者を主体とする一一九人の反バティスタグループが、オリエンテ州(当時)のサンチアゴ・デ・キューバにあるモンカダ兵営を攻撃した。しかし、僅かなミスから奇襲は失敗し、政府軍に包囲されてしまう。彼らの一部はその戦闘で死亡し、生存者も程なくして逮捕されたが、政府軍は逮捕者の多くを見せしめとして虐殺した。

しかし、弁護士フィデル・カストロとその弟ラウル・カストロらのリーダー格は、高度に政治的な裁判にかけられた。フィデル・カストロは裁判上で「歴史が私に無罪を宣告するであろう」と演説を展開したが、判決では一五年の刑期が宣告された。

ほかの者も一様に長い刑期を宣告されピノス島(現・青年の島)にあるモデロ刑務所に収監された。一九五五年の選挙の後、五月にバティスタは恩赦でモンカダ兵営襲撃犯を含む政治犯をすべて解放した。

M26
カストロ兄弟は程なくメキシコに亡命、同じ境遇の追放キューバ人を糾合し、再度バティスタを倒すために戦う準備を行った。このときカストロが組織した集団はモンカダ襲撃の日を取って「七月二六日運動」(M26)と呼ばれる。

メキシコ潜伏中にカストロはアルゼンチン人で放浪好きな医者チェ・ゲバラに出会う。ゲバラは彼らの軍隊に加わった。メキシコでゲリラ戦の訓練を行った彼らは一九五六年一一月、現地調達した八人乗りのプレジャーボート「グランマ号」に、合計八二名で乗り込みメキシコを出発した。

カストロは、事前にキューバへ戻ることを公言していたため、祖国に上陸した途端、たちまちバティスタ軍に包囲され多くの仲間を失ってしまう。何名が生き残ったかに関しては論争となっているが、一二名を残して全てが上陸後の最初の戦闘で殺されるか捕らえられるかした。捕らえられたゲリラのうちの数人は特別裁判の後処刑された。カストロ兄弟及びゲバラは生存メンバーであった。残った一二人はキューバ東南部のマエストラ山脈に逃げ込みゲリラ活動を開始する。なお、彼らの上陸した場所の付近は当時オリエンテ州の一部であったが、後に「グランマ州」と名づけられた。

革命成功
一九五八年に革命軍は攻撃を始めた。彼らは「カラム」と呼ばれた二つの部隊に別れて進軍した。片方のカラムであるオリエンテ州(現在、サンチアゴ・デ・キューバ、グランマ、グアンタナモおよびオルギンの4州に分割されている)の四つの前線はフィデル・カストロ、ラウル・カストロおよびフアン・アルメイダによって指揮された。もう一方のカラムはチェ・ゲバラおよびカミロ・シエンフェゴスの指揮下にあり、西方と首都ハバナへ進軍した。

カミロはヤガイェイの戦いで大きな勝利を収め、ヤガイェイの英雄と呼ばれるようになった。またゲバラの部隊もサンタクララでの決戦で勝利を勝ち取った。この戦いはオリエント州軍への増援部隊と物資を載せた列車を停止させたことで有名である。ゲバラとカミロの部隊はハバナ入城時にコロンビア兵営(現在「シウダ・リベルタ( 自由都市)」と呼ばれる)とラ・カバナ(現在「モロ」と呼ばれる)を占領した。

政府軍の敗北が決定的となった一九五八年の一二月三一日夜、バティスタはコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティーの席上で突如として辞任演説を始め、日付の変わった一九五九年の元日、クバーナ航空機でキューバを脱出し、独裁者のラファエル・トルヒーヨ率いるドミニカ共和国へ亡命した。数時間後、政府軍の将軍カンティーヨが「臨時政府」の成立を宣言したが、カストロはこれを認めずカミロにハバナ突入を命じた。まもなくハバナは革命軍によって制圧され、八日にはカストロがハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定した。

革命政権成立後ソ連との接近
ワシントンD.C.を訪れたカストロ(一九五九年四月)
キューバ革命はその当初より社会主義革命を目指したわけではなく、実際にカストロはアメリカとの友好的な関係を保持しようと試み、革命成功後ただちにアメリカを訪問している。しかし、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が冷戦下においてカストロ率いる革命政権を「社会主義的」、「容共的」と警戒して、ワシントンD.C.を訪れたカストロとの会談を拒否し、代わりにリチャード・ニクソン副大統領と短時間の会見をさせお茶を濁すなど距離を置く態度を取った。

これに対し革命政権側も、敵視するだけでなく革命後もキューバ経済を牛耳ろうとしていたアメリカ合衆国に対立姿勢を示し始め、同時にニキータ・フルシチョフ首相率いるソビエト連邦との接近を深めた。

アメリカとの対立
さらに、ユナイテッド・フルーツなどのアメリカ資本の支配下にあった農業の改革を目的に農地改革法を制定した他、アメリカ合衆国及び西側を中心とした諸外国の所有するキューバ国内における財産を一九六〇年八月六日に国有化するなど、結果的に社会主義的な政策を矢継ぎ早に導入することとなった。

こうした動きに対して、アメリカ合衆国は厳しい態度で臨んだ。アメリカは対抗策としてキューバとの通商停止(事実上の経済制裁)を行った。なおこの措置は、多くの財産を失った大企業やマフィア、そしてアメリカ国内の亡命キューバ人ロビーなどのアメリカ政府に対する圧力もあり、この措置は五〇年近く経った現在も継続されている。さらにアイゼンハワー大統領は、亡命キューバ人を組織、訓練して、この革命政権を打倒しようと図った。一九六一年よりアメリカ大統領になったジョン・F・ケネディは、この作戦を継承して、同年四月にピッグス湾事件を起こすが失敗に終わった。

これを受けて革命政権は、五月に社会主義宣言を発し、キューバ革命を「社会主義革命」として位置づけた。これ以降、ソ連や東ドイツ、ポーランドなどの東側諸国との関係は強化されることとなった。一九六四年一二月にはチェ・ゲバラが、国連総会でアメリカを非難しソ連の支援を求める演説を、合言葉“祖国か、死か!”の紹介と共に、主席として行なっている。

粛清
革命政権の粛清や、資本主義経済の放棄を嫌った人々はアメリカ合衆国に逃れたが、キューバ国内ではバティスタ政権下の警官及び兵士が、殺人と拷問を含む人権侵害及び戦争犯罪で裁判にかけられた。殺人で有罪判決を受けた者達五〇〇人以上のほとんどが銃殺され、残りは長い懲役刑を宣告され収監された。チェ・ゲバラはラ・カバナの最高検察官に任命された。これらはカストロによる反革命活動勢力、バティスタ忠誠者達を浄化する試みの一部であった。他に多くの者が警察及び軍から解任され、旧体制の数人の高官は追放された。これに加えて革命政府は反体制派の追放政策を行った。

彼らの多くは弁護士、目撃者および参加社会の人々(彼らの多くは検察官の求刑よりも重い刑を頻繁に要求し、しばしば残忍な要求を行った)を交えた裁判の後処刑された。更に超法規的な処刑も行われた。最も悪名高いものは、サンチアゴの占領後にラウル・カストロによって指揮されたバティスタ政権兵士の捕虜七〇名以上の処刑である。

一九六一年五月に、革命統一機構(ORI)はフィデル・カストロのM26、ブラス・ロカによって率いられた人民社会党(PSP, 旧キューバ共産党)、ファウレ・チョモーンによって率いられた三月一三日革命指令の合併によって形成された。一九六一年七月二六日、ORIはキューバ社会主義革命統一党(PURSC)になり、一九六五年一〇月一日にキューバ共産党と名称を変えフィデル・カストロが第一書記(党首に相当)に就任した。

キューバ危機への過程

米ソの核ミサイル配備
そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に武器の供与を要求しはじめた。しかしソ連は表立った武器の供与はアメリカを刺激し過ぎると考え、一九六二年には、ソ連は兵器の提供の代わりに核ミサイルをキューバ国内に配備する「アナディル作戦」を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承すると、ソ連製核ミサイルがキューバに配備されはじめた。 アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。 アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、トルコに中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦・爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。 一九六二年七月から八月にかけて、ソ連の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、アメリカ軍はキューバ近海を行き来する船舶や、キューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。同年一〇月一四日にアメリカ空軍のロッキードU12偵察機が、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル (MRBM) の存在を発見、さらにその後3つの中距離弾道ミサイル (IRBM) を発見した。

対立激化
これに対してアメリカ政府は激烈な反応を示し、ケネディ大統領はエクスコム(国家安全保障会議執行委員会)を設置し、ミサイル基地への空爆を主張する国防総省やCIAの強硬論を抑えて、第一段階としてキューバ周辺の公海上の海上封鎖及びソ連船への臨検を行うことでソ連船の入港を阻止しようとした(これに対してソ連船は海上封鎖を突破することはせず、また臨検を受けることをよしとせず引き返した)。そしてアメリカ政府はNATOや米州機構(OAS)の指導者たちに状況を説明し、彼らの支持を得た。

またケネディは一〇月一八日にアンドレイ・グロムイコ外務大臣とホワイトハウスで会見しソ連政府の対応を迫ったが、グロムイコはミサイルは防御用のものであると述べた。ケネディはこの時点ではアメリカの握っている証拠を明らかにせず、会談は物別れに終わった。 一〇月一九日にU‐2偵察機による決定的写真が撮影され、同盟国への説明が行われた。

ケネディは一〇月二二日午後七時の全米テレビ演説で国民にキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。

アメリカ軍部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中にデフコン3となり、二六日午後一〇時にデフコン2となり準戦時体制が敷かれ、ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置いた他、日本やトルコ、イギリスなどに駐留する基地を臨戦態勢に置いた。核爆弾を搭載したB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し戦争に備えた。また、ソ連も国内のR-7やキューバのR-12(英語版)を発射準備に入れた。

また、デフコン2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットなどで水や食料などを買いに殺到する事態が起きた。

交渉開始
その一方でアメリカはソ連に対しミサイル撤去交渉を開始する。際一〇月二五日の緊急国連安全保障理事会で、アメリカ国連大使のアドレー・スティーブンソンが、キューバのミサイル基地を撮影した写真を示し、核ミサイルの存在を認めるよう迫ったが、ソ連国連大使のワレリアン・ゾリンにはぐらかされる有名なやり取りは、当時の米ソ間の緊迫感を示している。

一〇月二六日にソ連からアメリカへ妥協案が示される。その内容は、アメリカがキューバに対する軍事行動をしないなら、キューバの核ミサイルを撤退させるというものだった。しかし、一〇月二七日に内容が変更され、トルコに配備されているジュピター・ミサイルの撤退を要求する。これは、アメリカにとって受け入れがたいものだった。

さらに二七日昼頃、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルで撃墜された。同日、アメリカ海軍は海上封鎖線上で、ソ連の潜水艦B-59に対し、その艦が核兵器(核魚雷)を搭載しているかどうかも知らずに、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、ヴァシリー・アルヒーポフ(ロシア語版)の強い反対によって核戦争は回避された。この日は「暗黒の土曜日」と呼ばれ、誰もが第三次世界大戦の勃発を覚悟した。

キューバ危機はワシントン時間一〇月二八日午前九時、ニキータ・フルシチョフ首相はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表してキューバ危機は去った。


その後
その後キューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は平和共存へと向かっていくことになる(米ソデタント)。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するためのホットラインが両国間に引かれた。一方、カストロは、米ソの頭越しの妥協に不快感を示し、ソ連への不信感をも募らせていくことになる(チェコ事件で和解)。カストロはその後ソ連に二回訪問し、フルシチョフと二人で事件について冷静に振り返っている。カストロは自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していないとしたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。


冷戦後わかったことは、キューバ危機の時点でソ連はすでにキューバに核ミサイル(ワシントンを射程に置く中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍をたたく戦術短距離核ミサイル「ルナ」)を九月中に四二基(核弾頭は一五〇発)配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。さらに臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル(核弾頭を取り外している)搭載船が封鎖線を目指していた為、アメリカによる臨検はほとんど効果がなかったことである。また兵士の数は米側の見積もりの数千名ではなく、四万名であった。カーチス・ルメイ空軍参謀総長をはじめとするアメリカ軍はその危険性に気付かず、圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。

もしフルシチョフの譲歩がなく、ルメイの主張通りミサイル基地を空爆していたら、残りの数十基のミサイルが発射され、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が高い。しかし実はこの時点でアメリカ軍にもソ連軍にも相手を壊滅させるほどの核兵器がなかった。そのため中距離ミサイルをアメリカ軍はトルコに、ソ連はキューバに配備した。

解決までの経緯
なぜソビエト連邦のフルシチョフがキューバからのミサイル撤退を受け入れたかについては様々な説がある。よく聞かれる説には次のようなものがある。

ワシントン時間一〇月二八日午前九時にケネディが緊急テレビ演説をするという情報がフルシチョフのもとに入った。そしてその演説に先立ってケネディは教会で礼拝をするという。開戦前のアメリカ大統領は開戦を告げる前に必ず礼拝に行くと聞いていたフルシチョフは、ケネディが開戦を決意したと勘違いしてミサイル撤退を決意した、というものである。

しかし、当時は情報機関の間では様々な不確実な情報が飛び交っており、ソ連のアレクサンダー・アレクセーエフ駐キューバ大使のところには「数時間以内にアメリカが武力侵攻するという確実な情報」が届けられ、これを知って激高したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫った。しかし、老練なフルシチョフは、この情報はアメリカの情報機関がソ連の情報機関に意図的に流したデマだとして取り合わなかった。ケネディが教会で礼拝をするという話を聞いてフルシチョフがあわててミサイル撤退を決意したなどというのは、ゴシップ誌の報道に過ぎず、むしろ敬虔なキリスト教徒が毎週日曜日に礼拝を行うのは当然の慣習である。

ケネディの側近だったセオドア・C・ソレンセンの著書「ケネディ」では、キューバ危機の米ソ対決が沈静化したのは、ロバート・ケネディ司法長官とアナトリー・ドブルイニン駐米大使が、ABCネットワークの記者ジョン・Å・スカリーの仲介で深夜のワシントン市内の公園で密かに会って話し合ったときであったことが記されている。その会談で実際にどのようなやり取りがなされたかは具体的には書かれていない。しかし、当時のソ連の権力機構から考えて、駐米大使に決定的な権限が与えられていたとは考えられず、会談の存在が事実だとしても、この会談が問題解決に決定的な役目を果たしたとは考えられない。

なお当時の両国の核戦力は、ソ連の核爆弾保有数三〇〇発に対してアメリカは五〇〇〇発と、ソ連は圧倒的に不利な状況であり、仮に両国の全面戦争という事態になればソ連は核兵器を用いてアメリカにある程度のダメージは与えられたものの敗北するのは決定的であった。第二次世界大戦時にドイツを相手に苦戦した経験を持つフルシチョフはこのことをよく理解しており、アメリカの強い軍事力と強い姿勢に屈服せざるをえなかったのが国際政治の現実であったと考えられている。実際にフルシチョフは「正直なところ、アメリカが戦争を開始しても、当時のわれわれにはアメリカに然るべき攻撃を加えられるだけの用意はなかった。とすると、われわれはヨーロッパで戦争を始めることを余儀なくされただろう。そうなったらむろん第三次世界大戦が始まっていたにちがいない」と後に回想している。その一方、フルシチョフとしては、キューバに対するアメリカの干渉を阻止したことで満足したとも考えられている。

この二年後にフルシチョフは失脚することになるが、フルシチョフが更迭された中央委員会総会では、キューバ危機におけるアメリカへの「譲歩」が非難されることになる。また、このキューバ危機を教訓として二つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話ホットラインがソ連とアメリカ間に初めて設置された。
フリー百科事典『ウィキペディア

 キューバ危機はケネディ大統領のキューバ叩きから始まり、ソ連との核戦争の危機が起こり、第三次世界大戦の可能性まで発展した。そんなとんでもない事態になるとはケネディ大統領は予想していなかっただろう。キューバ危機でソ連と敵対することに懲りたケネディ大統領は核戦争を避けるためにソ連とホットラインを設置して対話と政治交渉へと戦略を敵対から対話に大きく変えた。

キューバ危機と沖縄

大国同士の直接対立を痛感したケネディ大統領は、ソ連や中国とは友好関係を築きながら、一方では社会主義圏の拡大を阻止するための局地戦争をするようになる。ソ連も米国と同じ戦略を取ったために社会主義圏と資本主義圏の狭間で戦争が起こった。
大国とは政治交渉をやり一方で局地選をやる戦略を提案したのが若きキッシンジャー教授であった。キッシンジャーの戦略をケネディ大統領が採用して東アジアで始めたのがベトナム戦争であった。米政府首脳は最初は短期間に終わらす予定であったが、北ベトナムやベトコンは予想以上に強力であり、泥沼化していった。
国民の厭戦や経済危機に陥った米国はベトナムから撤退する。
ベトナム戦争をケネディ大統領が初め、ニクソン大統領が終わらしたのは有名な歴史事実であり、ケネディ大使も知っているはずである。

ケネディ大統領が始めた大国との対話と局地戦争戦略は現在まで続いている。だから沖縄の平和が守られているのである。

沖縄の米軍基地は社会主義国家と資本主義国家の対立なしには存在しない。資本主義国家は民主主義国家でもある。だから民主主義国家と社会主義国家の対立でもある。
沖縄の米軍基地を容認するかしないかは民主主義に賛同するか社会主義に賛同するかである。米軍基地を認めているのは民主主義に賛同する政治家・識者である。米軍基地に反対しているのは社会主義に賛同する政治家・識者である。

オスプレイは墜落する危険な飛行機。米軍基地があるから戦争に巻き込まれる。米兵は暴行魔、殺人鬼である。米兵がいるから女性は夜外を歩くこともできない。米軍基地があるから沖縄は戦争状態である。沖縄は軍事植民地である。米軍基地は自然を破壊している。辺野古に基地ができるとジュゴンやサンゴ礁、希少動物が被害を受ける・・・は米軍基地を沖縄から撤去させる口実である。

社会主義者である政治家・識者・活動家の反戦平和、自然保護、人権保護、民主主義運動は純真な沖縄県民を反米、反保守、反議会制民主主義へと巻き込むための大衆運動である。
彼らは本当の反戦平和運動家ではないし、人権活動家でもないし、自然保護運動家でもない。彼らは社会主義者である。彼らは反米主義、反保守主義、反議会制民主主義者である。
彼らの大衆運動は米軍基地を撤去させ、日本・沖縄を社会主義国家にするための手段としての運動である。



コンビニを初めて20年以上になる。コンビニの設備やシステムの発展はすごいものがある。政治や思想は遅々として進まないが、経済は確実に日進月歩している。コンビニをやっていると経済の発展を実感することができる。

最近導入したコーヒーメーカーである。なんとコーヒーの粉からコーヒーをつくるのだ。コンビニはできあがったものを即販売するスピードにある。弁当、あんまん肉まん、チキン、ポテトフライ等の揚げ物がそうである。ところがこのコーヒーはセットしてコーヒーができるまで数分かかる。今までのコンビニの理念とは違う商品である。時間がかかるから売れないだろうと思っていたが、以外にもこのコーヒーが結構売れている。売れる理由は「おいしい」からである。コンビニも「速さ」だけでなく「質」も求めるようになってきた。

このコーヒーを買うの若者ではなく中年の人たちである。先日の沖縄マラソンの時、私の店がマラソンコースになっていたので孫や子供を応援する年配の人が店にやって来て、このコーヒーを買っていった。暫くするとこのコーヒーを求める客がやってきた。「おいしい」と聞いてやってきたのだ。

そういえば年配のコンビニ客は以外と多い。原因のひとつに食事の問題がある。年配だから食事は少量である。家でつくるよりコンビニのファーストフードを利用したほうが楽である。三度の食事の中のひとつはコンビニを利用する年配の人は多い。
コンビニのサンドイッチを買う年配の人は多い。年配の人ならサンドイッチよりおにぎりを買うだろうと思うだろうが実際はそうではない。サンドイッチの方を買う。逆におにぎりを買うのは若い人が多い。
それもまたそれなりの理由がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

下らない「沖縄エゴイズム」

 


書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。


新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中


クリックすると本の紹介画面へ









狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村


琉球新報社説
「拝啓 米大使ケネディ様」
「辺野古移設断念の時」
 「沖縄の民主主義尊重を」


琉球新報が米大使ケネディ氏に訴えたというより諭したと言った方がいい社説を載せた。

親愛なるキャロライン・ケネディ駐日米国大使へ。あなたの沖縄訪問を心から歓迎します。

の文章から始まっている。
「沖縄県民は自由と民主主義、人間の尊重という普遍的価値を米国民と共有したいと望んでいます」と言い、「米政府は沖縄の民主主義を尊重していますか」と分かるような分からないような意味不明の言葉を投げかけている。

「キューバ問題、部分的核実験停止条約の締結、国内での人種差別撤廃など一連の国内、国際問題でときに悪戦苦闘し、ときに示した行動力、決断力とその問題解決への貢献は、英知と情熱に裏づけられた真の政治家のそれだった」
・・・・・・「ニューフロンティア」の旗手と言われた大統領の死は沖縄住民にとっても衝撃的でした。
      琉球新報二〇一四年二月一一日

ケネディ大統領を慇懃な態度で褒め称え、

ケネディ大使、父親譲りの使命感で、米軍が住民の安全を脅かしている沖縄の軍事植民地状態に終止符を打ち、新しい琉米有効の扉を開いてください。
            琉球新報
と、勝手に沖縄を軍事植民地状態と決めつけて、ケネディ大使に終止符を打つように求めている。
しかし、琉球新報をケネディ大使が読む可能性は低い。読んだところで心が動かされることはない。琉球新報の社説はケネディ大使ではなく社説を読んだ県民が辺野古移設反対の気持ちにさせるための県民をマインドコントロールするためのメッセージである。
そうであることが明確であるのは、ケネディ大統領の功績を讃えながらも、ひとつ肝心な功績を故意に抜かしていることだ。それはケネディ大統領がベトナム戦争を始めたことである。

キューバ危機で核戦争の危機を体験したケネディ大統領は、大国同士の対立は核戦争に発展する可能性があることを痛感し、核戦争を避けるためには大国同士の対立を避けなければならないと考えた。ケネディ大統領はキッシンジャー教授の「柔軟反応戦略」を採用して、ソ連と直接対立するのを止め、その代わり社会主義圏の拡大を防ぐために社会主義圏の周辺国に軍隊を送り局地戦をする戦略に転換した。それが「冷戦」と呼ばれるようになった。

ケネディ大統領の新たな戦略によって始まったのがベトナム戦争であるが、ケネディ大統領の戦略は現在も続いている。それが米軍の沖縄駐留である。

特にキッシンジャー氏はアイゼンハワー政権の採用した核戦略(「大量報復戦略」)の硬直性を辛辣に批判し、のちのケネディ政権が採用する「柔軟反応戦略」のひな型ともいえる、核兵器・通常兵器の段階的な運用による制限戦争の展開を主張した[2]。1960年代にはケネディ政権の外交政策立案に一時的に関与することとなる

「侵略者は通常兵器による限定戦争で勝利を得ようとし、手に入れた勝利を核兵器によって守ろうとするかもしれない。こうして、われわれは敗北を受け入れるか、それとも核兵器の使用を否認させるだけで侵略を黙認してしまうか、あるいは勝利を手に入れる前に侵略者から戦利品を奪えないようにする干渉戦争に乗り出すか、現実のディレンマに直面するであろう。もしソ連が通常兵器部隊でヨーロッパあるいはイランを軍事侵略することに成功すれば、ソ連は核兵器で自分の侵略地域を防衛し、反撃を阻止すると脅かしつつ、自分たちに都合のよい和平を提案することができる。」

「これに応じて、われわれは戦略ドクトリンを調整しなければならない。しかし、われわれが重要な地域において通常兵器による戦争で敗北するかもしれないという印象を与えることはきわめて危険なことであろう。・・・・われわれが通常兵器による軍事戦略と、核戦略の関係について採用する戦略方針は、アメリカの外交と同時に、われわれの戦略が今後進むべき方向を決定するだろう。これは軍備管理交渉において明白である。」

「今後、われわれが採用すべき方策は、限定戦争能力と通常兵器の軍事力を同時に再建しながら、きわめて重要な軍備管理交渉に乗り出すことである。アメリカの指導層は、われわれが軍備管理交渉に熱心な努力を傾ける一方で、軍事支出を増大しなければならないことを世論に理解させねばならない。この二つの努力のうち、どちらを軽視しても、その危険は非常に大きい。」
「限定戦争の再評価-通常兵器か核兵器か?」ヘンリー・キッシンジャー

大国同士は戦争をしないために外交交渉をやり、他方社会主義圏が拡大しないために限定戦争をするという外交と局地戦争を同時に進行させるのがキッシンジャー氏の戦略である。キッシンジャー氏の戦略はケネディ大統領から始まり、ニクソン大統領の時に採用され、現在も続いている。

世界地図の赤色部分が一九六〇年代の社会主義圏である。戦後に社会主義圏が急速に広がり、アジアからヨーロッパにかけてほとんどが社会主義国家であった。なぜ、急速に広がったか。それは朝鮮戦争やベトナム戦争で分かるように社会主義は軍事力で侵略し占領するからだ。
中国のチベット、ウイグル、内モンゴルは人民解放軍が侵略して無理やり中国の領土にした。ソ連や中国は他国を支配するために侵略したが、米国は他国を支配する気持ちはなく、社会主義国家の広がりを阻止するのが目的であった。

東アジアでは韓国、日本、台湾、フィリピンなどわずかの国が非社会主義国家であったが、もし、米軍が駐留していなかったら四か国も中国かソ連に侵略されて社会主義国家になっていただろう。

日本国内にも社会主義国家を目指していた政党があった。日本共産党と旧社会党だ。日本共産党は実際に武力革命を目指したが、GHQに排除された。武力革命を諦めきれない沖縄出身の徳田球一は中国に亡命して、日本の武力革命を目指していた。旧社会党は北朝鮮を理想社会だと信じ、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還を積極的に行った。

在日朝鮮人の帰還事業
一九五〇年代から一九八四年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。

もし、米軍が日本・沖縄に駐留していないで、自衛隊も弱小だったら、共産党や旧社会党と中国が連携して日本は中国に組み込まれ、チベットやウイグルのようにニッポン自治区となり中国の実質的な植民地になっていただろう。


現在の社会主義圏である。第二次大戦後に武力で拡大していった社会主義であったが、「冷戦」が続き、熱い戦争のない平和が続いている内にヨーロッパの社会主義国家は市民が立ち上がり次々と民主主義国家になっていった。そして、一九九一年にソ連が崩壊するとソ連が支配していた社会主義国は次々と独立して民主主義国家になった。
武力で社会主義は広がり、戦争のない時代に市民の蜂起で民主主義が広がったのだ。

ケネディ大統領の「冷戦」戦略は功を奏したと言える。ところが新報社説は「ケネディ大使、父親譲りの使命感で、米軍が住民の安全を脅かしている沖縄の軍事植民地状態に終止符を打ち、新しい琉米有効の扉を開いてください」と世界の民主化に大きく貢献したケネディ大統領の戦略を「沖縄エゴ」で矮小化してしまうのだ。沖縄が「軍事植民地状態」だなんてバカバカしい。

現在の社会主義国家は中国、北朝鮮、ベトナム、キューバだけになった。
世界の歴史は社会主義国家、軍事独裁国家から民主主義国家へと流れている。

米軍はイラクから撤退し、アフガンからも撤退の予定である。周囲に社会主義国家が存在しないからだ。しかし、東アジアには社会主義超大国の中国が存在している。「冷戦」が続いている東アジアだから米軍は駐留し続けている。
 沖縄に米軍が駐留しているのは社会主義国圏と資本・民主主義国圏との対立が原因であった。社会主義国家中国が民主主義国家にならない限り米軍の沖縄駐留は必要である。
中国・北朝鮮の本質を知ることなくして沖縄の米軍駐留は理解できない。

延坪島砲撃事件(ヨンピョンドほうげきじけん)




2010年11月23日14時34分ごろ(日本時間同)、朝鮮人民軍が北方限界線(NLL)を越えた延坪島に向けて突然、砲弾約170発を発射、90発が海上に落下し、80発が同島に着弾した[3]。当時、韓国軍海兵隊延坪部隊第7砲中隊は配備している6門のK9 155mm自走榴弾砲のうち4門を動員して月に一度の陸海合同射撃訓練を行っている最中であった。

部隊の南南西、4.8キロメートル離れた海上に向け、1門15発ずつ計60発を発射し、最後の砲撃を行おうとした4番砲に不発弾が発生した瞬間に北朝鮮の砲弾が部隊を襲った[4]。部隊内に着弾した砲弾4発のうち1発は、1番砲の砲台を直撃。もう1発が3番砲の外壁を破壊した[4]。訓練後に返却するため砲後部に集めてあった装薬に火が付いて火災が発生し、これにより1番砲と3番砲の2門の電気系統が麻痺した[4]。3番砲の火災は鎮火することができ、手動照準に切り替えて応射に参加した[4]。砲弾の直撃を受けた1番砲の火災は深刻で応射には加わることができなかった。
韓国軍は朝鮮人民軍の砲台を目標に80発の対抗射撃を行った。またF-15KとKF-16戦闘機4機ずつを島に向け非常出撃させた。

この事件で韓国の海兵隊員2名、民間人2名が死亡、海兵隊員16名が重軽傷、民間人3名が軽傷を負い山火事や家屋の火災が発生した。住人1,300人には避難命令が出された。韓国軍合同参謀本部は直ちに珍島犬1号(非常事態警報)を発令し、金滉植国務総理も全公務員に対し非常待機命令を発令した。

 北朝鮮は韓国への侵略の欲望を持ち続けている。中国もスキあらば周辺国への侵略を狙っている。
【北京=牧野田亨】新華社電によると、中国海軍の南海艦隊の艦艇3隻が26日、中国とマレーシアが領有権を主張する南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島最南端のジェームズ暗礁(中国名・曽母暗沙)に到着し、領土主権を守る決意を示す「主権宣誓活動」を行った。

 中国はフィリピンやベトナム、マレーシアには軍艦を派遣している。しかし、日本の尖閣諸島には軍艦を派遣していない。なぜか。日本の自衛隊は強く、バックには米軍もいるから反撃されるのが怖いからである。弱い国には軍艦を派遣して脅し、強引に領地を広げる。それが中国の本性なのだ。
 スキがあれば侵略する。それが中国である。


中国はもうひとつ大きな爆弾を抱えている。それは中国の社会主義体制が崩壊した時に内戦が起こり、周辺国へ紛争が飛び火する恐れがあることだ。ソ連が崩壊した時にもチェチェン戦争など多くの戦争が起こった。中国が平和裏に民主主義国家に変革すればいいが、内戦になる可能性もある。内戦が日本や韓国などの周辺国に飛び火させないためにも米軍のアジア駐留は必要であるし、沖縄駐留も必要である。

 米国は軍事力だけで中国を抑止しているだけではない。政治交渉でも中国を抑止し日本・アジアの平和に尽力している。

〇中国の王毅外相は14日、訪中しているケリー米国務長官との会談の中で、中国は朝鮮半島における戦争や混乱は容認しないとの考えを伝えた。中国国営の新華社が報じた。
〇米海軍太平洋艦隊のハリー・ハリス司令官は11日、当地で講演し、中国が東シナ海に設定した防空識別圏について「一方的な現状変更の試みだ」と批判した上で、中国軍の最近の動向について「急激な軍事力の増大と透明性の欠如、ますます独断的となっている行動パターンについて心配している」と懸念を示した。
〇ハリス司令官は、中国軍の一連の行動で地域の緊張が高まっており、「誤算につながり得る」と、偶発的な軍事衝突が起きる可能性を指摘した。
 アジア太平洋への軍事面でのリバランス(再均衡)戦略ついては、新型哨戒機や最新鋭の沿海域戦闘艦の配備などを実例として挙げた。
(2014年2月12日18時46分 読売新聞)
〇米国のケリー国務長官は7日、訪米した日本の岸田文雄外相とワシントンで会談し、「米国は中国が主権を主張する島などで日本が中国の攻撃を受けないよう守る」と表明した。シンガポール紙・聯合早報が8日伝えた。
〇英国の報道によると、来週、中国を訪問する予定のケリー国務長官は会談で、日米安保条約での約束を守ると改めて述べ、両者は日米同盟強化の方針を確認した。
〇ケリー国務長官は日本との関係の重要性について改めて言及。「両国関係は地域の平和の基盤であり、オバマ政権のアジア太平洋リバランス戦略の基盤でもある」として、「東シナ海を含む地域で日米安保条約に基づく防衛義務を果たし、アジア太平洋地域の繁栄と安定に貢献するよう努力していく」と述べた。
〇ケリー国務長官は中国が東シナ海に設定した防空識別圏について、「米国はこれを認めず、受け入れない。この地域での動きを変える考えもない」と述べ、「関係各方面が国際法を順守し、他国の航行の自由、自由な飛行の権利を確保する必要がある」と強調した。

軍事・政治の両面での米国のアジア平和への尽力がなければ沖縄はとっくの昔に戦争に巻き込まれ、中国に占領されていただろう。
米国は沖縄の人たちの命を守ってきた。


なぜ、尖閣に中国軍が攻撃しないか。理由のひとつは自衛隊が強いから、第二に米軍が後ろにいるからである。もし、自衛隊が弱く、米軍の後ろ盾がないなら、フィリピン、ベトナム、ラオスのように中国軍の軍艦が攻めていただろう。

沖縄県にとって一番大事なことは県民の命を守り、戦争に巻き込まれないことである。それをやってくれたのが自衛隊と米軍である。自衛隊と米軍に保護されて私たちの生命の安全は保たれてきた。

私たちの社会生活が安全を保っているのは警察がいるからである。もし、警察が居なければどんなに素晴らしい民主的な法律をつくろうと世の中は乱れ強盗や殺人が横行する。
国際情勢も同じである。外国軍やテロの侵略を防ぐ軍隊がいなければどんなに素晴らしい「平和宣言」をしても侵略されてしまうのだ。
私は嘉手納飛行場の近くに住んでいる。北朝鮮や中国が不穏な動きがあるとすぐに嘉手納飛行場が慌ただしくなる。北朝鮮がミサイルを発射する噂があると本国から最新鋭の偵察機がやってくる。
常に米軍は最悪な状態を想定して行動していることが分かる。そして、戦争に発展しないために最大限の努力をしている。
復帰前の沖縄は米軍によって平和が保たれていた。復帰後は自衛隊と米軍が沖縄の平和を守っている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »